ジェームズ・アイヴォリー監督『日の名残り』

カズオ・イシグロの原作は翻訳されたときに買って読んだ。それからすでに訳されている本を数冊読んだ。なんと!この日記には1冊もカズオ・イシグロの本の感想が出てこない。いま調べたら「女たちの遠い夏」(1982) 「浮世の画家」(1986)「日の名残り」(1989)「充たされざる者」(1995)を読んでいる。このブログを書く前だ。

映画が公開されたときは行きたいと思ったのだが、映画を見る習慣がなくなっていたのでやっぱり見に行かなかった。レンタルビデオも借りないままに今回のご好意DVDの登場となった。昨日のもだが、こういう映画を見ることができた幸運に感謝。

小説と映画は違うと検索したブログで読んだが、小説を読んだのは昔のことなので、いつか読み返してみたいということで映画のことを書く。

イギリスのお屋敷ダーリントン・パレス、その建物にいたる緑の中をくねくねと続く道をぴかぴかの自動車が走ってくる。運転手がさっとドアを開け、屋敷の前には執事が迎えに立っている。

持ち主のダーリントンが死んで譲られた跡継ぎは屋敷を維持できず競売にかける。屋敷はアメリカ人ルイスの手に渡り、執事のスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)もいっしょに引き取られる。
昔ここで働いていた女中頭のサリー(エマ・トンプソン)からの、また働きたいという手紙を読んだスティーブンスは、新しい主人のためにサリーを推薦する。主人はサリーに会いに行くというと自動車を貸してくれる。

スティーブンスは出発する。そこから回想がはじまる。
1930年代、ナチスが台頭してきたころ、英、独、仏、米の代表がダーリントン・パレスに集まって国際会議を開く。
完璧な執事の彼は主人の命を受けて主人のために働いてきた。副執事の父親が倒れても仕事のほうが大事だった。
ダーリントンはイギリス人として誤った方向へ進んでいたが、スティーブンスは会議の内容など気にするゆとりも頭脳もなく仕事に没頭する。楽しみは安っぽい恋愛小説を読むことだった。

ガソリンがなくなって世話になった酒場での会話で、村人たちに政界の要人と面識があったなどと話してしまう。ガソリンを譲ってくれた医師は彼が雇われる側の人間だと理解した。翌朝ふたりでいるときに、スティーブンスはダーリントン卿のもとで働いていたことを話す。医師に「君自身の気持ちは?」と訊ねられ「わたしも過ちを犯した、それをただすための旅をしている」と答える。サリーをほんとは愛していたのにどうしていいかわからなかったのが彼の過ちだったのだ。

サリーとレストランで20年ぶりに会って屋敷にもどってくるように頼む。サリーは娘にこどもが生まれたと聞いたばかりで、こちらにいたいと思い返したという。
「もう会うことはないでしょう」とバスに乗るサリーを見送って、スティーブンスはダーリントンに帰る。
ダーリントンでは主人の家族がアメリカから来るので従業員一同大忙しである。女中頭も新しく採用し、村の娘たちを女中として雇うことが決まった。