戦時中もおしゃれにこだわり(わたしの戦争体験記 71)

最近このあたり、新町〜堀江に高級マンションや高層マンションがたくさん建って子供人口も増えている。わたしが近くの医院、整体院、郵便局なんかに行くとき、学校帰りの子供たち、母と子の二人連れや乳母車や自転車の三人連れとよく出会う。この辺の子たちは垢抜けした服装で持ち物もかっこよくつい見惚れてしまう。

子供達を見ていると、あっそうやあたしもこのへんの道を歩いて通学してたんやなあと懐かしくなる。わたしの行った西六(さいろく)小学校は戦災で焼けて無くなってしまったが、堀江小学校と明治小学校は残っていて発展し生徒数も増えている。いまの子らが歩いている道を戦争前から戦争中のわたしは歩いていたのだ。

いまの子もおしゃれだが、私の時代の子らもおしゃれだった。歯医者さんのお嬢さんを中心に裕福な子のグループがあって、わたしはあまり近づけなかった。着ているものが違う。身体検査のときレースの下着とかちらっと見えて。いまだに覚えている執念深いわたし(笑)。

なぜか5月になったら半袖のセーターを着ると思い込んでいて、ちょっと寒くても半袖にこだわって母親に出してもらった。布でなくて毛糸または糸を編んだものというこだわり(笑)。