長い一日の前半は家族と

横浜に住む妹の夫が亡くなったとき、体調の良くない兄姉を心配して大阪から葬儀に来なくてもいいと妹が主張し、関東在住の次兄夫婦が通夜と葬儀に参列した。早くから家族葬と言っていたのでそのまま受け取っていたが、そうもいかなかったようで自由葬にしたそうだ。趣味の多かった義弟にあったいいお葬式だったようだ。

今回は妹が納骨のため大阪に来るので夫を偲ぶ会をしたいということで、大阪にいる家族ら合計14名が大阪駅のホテルに集合した。
在りし日の義弟の写真がたくさんと春の花に飾られた祭壇の前での食事は、ひな祭りをテーマにした料理で春らしい陽気にぴったりのご飯だった。賑やかに和やかに21階からの眺めも堪能した午後だった。
いろんな組み合わせの写真をいっぱい撮られたがどんな具合に写っているやら。

アキラのズンドコ節が好きで

いま「ズンドコ節」で検索したら海軍小唄として歌われていたとある。戦地に赴く男たちの本音を歌った流行歌のようなもので、作詞者及び作曲者は不詳。それからいろんな歌手が歌っているが、1960年に小林旭がカバー。流れものシリーズのテーマ曲として歌った。

わたしの家族はみんな洋画派でわたしも洋画で育った。ところが友だちのお父さんが日活の株を持っていて梅田日活の招待券をくれる。はじめは仕方なしにいっしょに行ったのだが、「銀座旋風児」を見てからわたしのほうがはまってしまった。
当時は石原裕次郎のほうが人気があったから、タダ券で「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」とかもっといろいろ見たけど、わたしはアキラひとすじ。そうそう共演の宍戸錠も好きだった。そういうところから東映ヤクザ映画にも惹かれていったんだと思う。ゴダールもトリュフォーも好きだけどさ。

そんなもんで「アキラのズンドコ節」が好き。昨日若い友人が「きよしのズンドコ節」を歌いながら歩いたとツイッターに書いていたので「わたしはアキラの」と返信したら、アキラを知らなかったようなので動画ズンドコ節を歌っている「海を渡る波止場の風」(昭和35年)のURLを教えてあげた。気に入ったみたい。
今夜はアキラと健さんの動画を探して聞きまくっている。「唐獅子牡丹」もあった!

ジョセフ・メン『ナップスター狂騒曲』を途中まで読んだ

まだ半分に達してないがだいたい雰囲気がわかったのでこれで読むのをやめる。なにしろ500ページある分厚い本なのです。
映画「ソーシャル・ネットワーク」を見てからナップスターのショーン・パーカーが気になっていた。それまではナップスターという言葉と音楽関係のネット関連企業くらいのことしか知らなかったし、知る気だってなかった。それがえらく気になってしまって。

「ソーシャル・ネットワーク」のショーン・パーカーは「フェイスブック」の創業者マーク・ザッカーバーグに大きな影響を与えたが、結局は自分のまいた種というようなことでフェイスブックを去るはめになった。映画での印象では〈好いたらしいおとこ〉だけど、もうちょっとビジネスライクにやればいいのにと親身に思った(笑)。本書を読むとそここそがあの時代のドットコム業界の人間だったのだとわかる。
本文を半分読んだいま「プロローグ——レイヴパーティー」を読むと、最初はわからなかったナップスターとその時期のドットコム業界の姿がよく見えてきた。

ショーン・ファニングはマサチューセッツの高校に通っているときにコンピュータのプログラミングを学んで、ネット上にあるデジタル音楽ファイルを高速検索するプログラムを作りはじめた。やがてショーン・ファニングと友人のショーン・パーカーはカリフォルニアに引っ越す。ふたりは高校生のときに野心的なハッカーたちが集まるチャット・チャンネルで知り合った。この時代の天才少年たちのプログラミングへののめり込みはすさまじい。
ショーン・ファニングは貧しい少年時代におじのジョン・ファニングに世話になったからと、会社をいいようにされても縁を切ることはしない。おかげで起業して以来ナップスター社は問題をいっぱい抱えることになる。

もうひとり印象に残ったのは女性のナップスターCEOアイリーン・リチャードソンだ。クラブディーヴァーのような雰囲気を漂わせ大音量の音楽が大好きでレイヴに積極的だった。彼女の経歴もすごい。転職を重ねていく過程を読むだけでも圧倒される。
(合原弘子+ガリレオ翻訳チーム訳 ソフトバンクパブリッシング 1900円+税)

『吉田健一』(道の手帖)を買った

昨日ジュンク堂でぶらぶらしていたら「吉田健一」という文字が目についてすぐに買った。2012年2月28日 河出書房新社発行〈KAWADE 道の手帖 生誕100年 最後の文士〉。このシリーズの本を買ったのははじめてだ。
60年代には吉田健一の本をかなり持っていたが、震災のときに処分したからいま持っているのは「金沢」と「東京の昔」で、この2冊は絶対手放せない。ときどき出しては気に入ったところを読んでいる。
翻訳書はシャーロット・ブロンテ「ジェイン・エア」(集英社文庫)が手元にある。「ジェイン・エア」を最初に読んだのは中学1年で姉の友人に借りた阿部知二訳だったが、そのときはひたすら物語に圧倒されていた。その後に自分で買った集英社文庫の吉田健一訳でその文体に惹かれた。ジェインとロチェスターさんとの話しぶりがイギリス人の会話だなーみたいに思えたりして。だからこれから「ジェイン・エア」を読むという人には集英社文庫の吉田健一訳を買えとうるさくいう(笑)。
検索したら吉田健一訳の本はたくさんあって、ミステリもいろいろ訳されているのがわかった。わたしはそれらの本を読んできた。

昨日はシャーロック・ホームズで2時間も本を読む時間があったので、ひたすら吉田健一を味わっていた。本を読むときはいつも夢中だが、昨日は格別に夢中になっていろんな人が書いている吉田健一の思い出にひたっていた。

ミクシィ日記を書くのをやめた

2005年の7月にミクシィに登録してからずっと書いていた日記を数えたら2676日分あった。最初の月をのぞいて一日も休まずに書いている。最盛期はコメントも多くて賑やかなことだった。上から目線のコメントを書かれることが再々あって、たしなめたりケンカしたこともあった。ミクシィがなければ夜も日も明けぬ日々だった。
いまも楽しい日記を書いているマイミクさんが10人くらいいて、これからも読みにいくしコメントを書くつもりだ。

ミクシィコミュニティというのもうまくできていた。あらゆる分野のことについて話し合える場としてほんとによく機能していたと思う。
わたしはコミュニティに入るのは100までと決めていて、そのうち3つをつくり管理人をしている。サラ・パレツキーのコミュに入ったひとがマイミクになり、それから自然にヴィク・ファン・クラブにご入会というのがパターンになっていた。ミクシィがなければヴィク・ファン・クラブは先細りだったろう。ほんまにありがたい。親友というべきひともいる。

最近は日記に書くテーマがなくて食べ物の話に逃げることが多かった。ブログからそのまま転載することもあった。しおどきかなと思う気持ちと、少数でも楽しんで読んでくれる人がいるので続けようという気持ちがあった。
でも、積極的に活動したり書いていた人がフェイスブックにいってしまい、おとなしいひとはネットから引き上げていくように思えて、宙ぶらりんやなと思うようになった。
しかも、先日はミクシィ日記を書くのを忘れていて、横になっていたのに起きて書いた。別に明日でもいいのにね。そんなことでミクシィ日記はここでひとまずやめることにした。

キャロル・オコンネル『愛おしい骨』

キャロル・オコンネルの作品をはじめて読んだのは10年くらい前で、友だちが送ってくれたキャシー・マロリー刑事のシリーズだった。最初の1冊でお腹いっぱいになって、次へ送った記憶がある。それ以来いくら評判が良くても「クリスマスに少女は還る」さえ読む気にならずだった。
いま検索して「このミステリーはすごい」のサイトを見たら本書は2010年の海外編1位だった。なんだかネットで見た気がして検索してみたのだが、わたしは「わたしが好きなものは好き」というタイプなので「このミス」に興味がない。うーん、本書も好きでたまらん作家なら客観的評価は見ないで「ここが好き」とどんどん書いているはず。

カリフォルニア州の北西部と書いてあったのでアメリカ地図を見た。東はネバダ州、北はオレゴン州に接している。本書を読んでいると町の感じがわたしの感覚では南部っぽい。レベッカ・ウェルズ「ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密」を思い出したが、こちらはルイジアナ。ひとびとの雰囲気が似ているような気がする。

その町へ20年ぶりにオーレンがもどってきた。17歳で町を出て陸軍の犯罪捜査部下級准将という地位まで勤め上げたが退職して故郷へもどったのだ。父親のホップス元判事と家政婦のハンナが住んでいる家に着いたオーレンに、ハンナは最近になって弟のジョシュの骨がひとつずつ家にもどってきているという。家政婦ハンナがとても魅力があってしかも謎。
オーレンとジョシュは幼いときに母を亡くしハンナに育てられた。20年前、オーレンとジョシュは森へ行き、帰ったのはオーレンだけで弟は死体で発見された。ジョシュは写真を撮るのが趣味で人を追い回して盗み撮りしたりしていた。

骨の状態を見て埋められていたものと判断したオーレンは保安官事務所に行く。バビット保安官は非公式に捜査に協力するようにいう。いろんな凝った登場人物たちと美女が出てきて飽きない。この町にいるときにオーレンとうまく知り合えなかった鳥類学者のイザベルは幼いときから寄宿学校に入れられ孤独に育った。母のセアラはアルコール中毒である。そのセアラを愛し見守る男。セアラの夫は大舞踏会を開く。そこでタンゴを踊るオーレンとイザベル。
女たちが強い。弱いけど強い。ミステリというよりも土着的な小説と感じた。
(務台夏子訳 創元推理文庫 1200円+税)

レジナルド・ヒルの短編『ダルジールの幽霊』

4つの短編小説が集められた「ダルジール警視と四つの謎」を「ダルジールの幽霊」から読んだ。ヨークシャーは11月ですごく寒そう。いまの大阪の寒さを経験しながら読んでいると現実感があってすこぶる楽しい。猫が出てくるし。

ダルジールとパスコーは友人エリオットとジゼル夫妻に頼まれて、彼らが改修した農場の母屋に一夜を過ごすことになった。ジゼルが幽霊がいると怖がっているからだ。ふたりは用意されたサンドイッチとお酒で暖炉の前に座り、ダルジールははじめて警官になったころの事件について語っている。

ひっかくような音を聞いたパスコーが怪しいと言いだす。そこへ電話があってパスコーは署へもどらないといけなくなる。ようやく車を出すと目の前に光るものが・・・それは猫の目だった。ひっかくような音は猫がひっかいていたのだ。母屋を改修するときに猫が住んでいた納屋が取り払われた。猫は果樹園にいたがこう寒くなると外にはいられない。しかも子猫が何匹かいる。パスコーは車を降りて親猫と子猫を抱いて母屋にもどりミルクをやる。
家に入るとダルジールは書斎で金庫から書類を出して調べている。パスコーがなじると、これには理由があり金庫の開け方と道具を用意してきていたが、パスコーがいないときにやろうと署の警官に呼び出し電話を頼んだという。

ダルジールが台所で四つん這いになって猫に子牛のタンのハムを食べさせていたり、パスコーが真夜中に親子の猫を抱いて家に運ぶなどユーモアたっぷりのシーンがあってうれしい短編。(嵯峨静江訳 ハヤカワ文庫 820円+税)

17日は坂口安吾の命日

ツイッターは便利というかなんというか、有名人の誕生日と命日は絶対というくらいにだれかのツイートがある。今日も17日は坂口安吾の命日だとわかった。
若いときは坂口安吾がめちゃくちゃ好きで全集を2回買っている。最初のは同人誌の仲間に持って行かれていくら言ってももう少しということで結局帰ってこなかった。わたしは懲りずにいまだに本を貸しているが、本って返さない人が多いようだ。

そんなに経たないうちに2回目を買った。また買うくらいに好きだったのね、「吹雪物語」が。この全集はかなり読んでいる。年を取るにつれだんだん深刻なものよりも「不連続殺人事件」や「安吾捕物帳」が好きになった。

6畳の和室の壁に沿って天井までの本棚を作り、その下で寝ていたのだが、阪神大震災のときに本棚の上段からばんばん本が飛び出した。安吾全集、泉鏡花全集、南方熊楠全集がふとんの上に散乱していた。頭にでも当ったら大変なことになったろう。すぐにその本棚を取り払って、もう読むことはないと思う本を捨てた。だから安吾全集も数冊しか残っていない。まあそれでいいのだと思う。わたしの遊びは本と雑貨を買うくらいで弊衣破帽生活であるから、読みたくなったらまた買う。

寝台特急日本海に一度乗った

さっきミクシィのニュースを見ていたらこんな記事があった。
【「日本海」(A寝台28席、B寝台282席)は青森発の列車が発売後10秒で、大阪発の列車が発売後15秒で完売。】

わたしが日本海に乗ったのは70年か71年か、季節は10月の終わりごろで、相方の実家の小樽へ行った。すでに2年くらいは同棲(当時の言葉ですね。「同棲時代」というマンガがあった。)していたから、ここで顔見せくらいしておこうと初対面の挨拶をしにいったわけ。

大阪駅を8時頃に出る列車に友だち夫婦が花束をもって送ってくれた。寝台車は新幹線ができる前の東海道線にわりと乗っていたが、こんなに長時間乗るのははじめてだった。朝起きてからが長かった。お金がないのに食堂車へ何度も行った。言葉通り日本海が見えて東映映画のタイトルみたいな波の海が見えた。
北海道って遠いなと思った。
青森あたりからみぞれになって青函連絡船に乗るまでの寒かったことをよく覚えている。

帰りは夜小樽を出て函館から青函連絡船で明け方に青森に到着。船が揺れて少し酔ったが、乗客みんなが走るのでいっしょに走って「白鳥」に乗った。長い時間乗って夜の8時ごろに大阪へ着いたときはほっとした。昔の北海道旅行はしんどかった。

レジナルド・ヒル『骨と沈黙』(2)

ダルジールは自分が目にしたのは自殺ではなく殺人だったという確信をもって聞き込みや捜査を続けている。続けて事故死とされる死があり行方不明者もいることがわかる。

パスコーは建設業者スウェインの事務所へ聞き込みに行く。事務机の前に若い女性が座っていた。机の上には読みかけの本、表紙は〈活劇調ロマンス小説〉風だがタイトルは「ジェーン・エア」が置いてあった。角張った顔立ちで太っていて化粧気がなくハスキーな声にはヨークシャー訛がある。シャーリーはスウェインの共同経営者の娘でまだ19歳だが子どもがいる。いろいろと話しを聞いたあとにパスコーは、
【「・・・純愛の力をもし信じないんなら、あなたは本の選択を誤ったんじゃないかな」彼女は読みさしの『ジェーン・エア』を手にとった。「つまり、ハッピー・エンドで終わるってこと?」彼女はいった。失望したような声だった。「残念ながらね。不幸な結末がいいんなら、男性作家の本を読まなきゃ」パスコーはちょっとからかうようにいった。】

パスコーはダルジールの捜査に加わりつつも、謎の女〈黒婦人〉からダルジール宛に届いた手紙が気になってファイルを調べる。この件で相談した精神科医のポットルは、前作で大けがの経験したパスコーの心理を大切にするようにいう。
【「・・・それに人を助ける上でも役に立つ。たとえば、この黒婦人を、きみは自分で思っている以上に、彼女の抱えているような暗黒を知っているかもしれない」】という。

最後の最後まで必死に〈黒婦人〉を探すパスコー。思い当たる女性を追って無作法をかえりみず走る。シャーリーもその一人として追うのだが、逆境を生きる強さを見せられる。
【彼女は急いで立ち去った。それは、愛し、耐える能力のある、そして、無惨きわまる絶望を越えてなおも生きつづけようとする意思のある、生命力あふれる、強い、若い女性の姿だった。】

そして、最後に見つけ出した〈黒婦人〉は、思いもよらぬ女性だった。
シャーリーが愛おしい。太めと化粧気がないところがわたしと似ているからだけでなく(笑)。今回はエリーよりもシャーリー。
(秋津知子訳 ハヤカワ文庫 1000円+税)