テレビのない生活は快適

去年の7月24日でアナログ放送が終わるということで、これを機会にテレビをやめようと決めた。なんやかやの電話の末にNHKから「放送受信契約終了のご案内」が届いた。
7月24日のお昼の12時だったかな、これで放送が終わって砂嵐場面になるんやで、そこを見ておこうと待っていたら、なんと放送が続いている。しかも、でっかい文字の「あと○○日で放送終了」の文字もない。2カ月くらいその文字で字幕が隠れていたのだ。でっかいテレビをお持ちの人にはわからんことだが(笑)。

なんとなくあればニュースを見る。そして12月になってNHKの人がきた。テレビのキカイがあればお金を払わんとあかんらしい。で、あっさり撤去することにした。大阪府の「家電リサイクル大阪方式」に電話したら2日後に来て3000円で引き取ってくれた。

新聞とテレビのない生活は気分よい。なんでNHKニュースと「クローズアップ現代」を見てたんかしらと思う。テレビの場所が空いたのも精神によい。楽しいもの置き場になっていて、わたしはそこを「我が家のタムタムカフェ」といっている(笑)。

テレビを見始めたころ「ロスアンゼルスは晴れていた。わたしは殺人課に勤務していた」ではじまる「ドラグネット」が大好きだった。「パパはなんでも知っている」「鬼警部アイアンサイド」「弁護士ペリー・メイスン」「ララミー牧場」も大好きだった。

マリオン・ブラウンの訃報をいまごろ知った

天王寺にあったジャズ喫茶マントヒヒの回想サイトに、客としての「マントヒヒの思い出」をと言われて書き出したところだ。最初に行ったときにかかっていたレコード「AFTERNOON OF A GEORGIA FAUN」を確認しようとして検索したら、「横井一江のブログ 【音楽のながいしっぽ】」の「訃報:マリオン・ブラウン」があった。この記事はなんと一昨年2010年の10月のものだ。亡くなられたことを全然知らなかった。(マリオン・ブラウン 1931-2009)

当日記に「突然マリオン・ブラウンを思い出して」を書いたのが2006年1月。マントヒヒのことを思い出したらすごくききたくなってアマゾンでCDを買ったのだ。それでいまうちにはこのCDがあるわけだ。いろんなことを忘れてるなぁ。明日探してきこう。

そのレコードがかかっていたマントヒヒでマスターをしていた、クマこと関西大学教授の木村洋二(当時は京大の大学院生)さんも亡くなられた。マントヒヒとほとんど同時に谷町9丁目でSUBを開店した西山満さんも去年亡くなられた。

紙の会報とSNSと

ヴィク・ファン・クラブの紙の会報を毎月出している。1週間で終わらせるつもりが今月は2週間近くかかってしまった。あいだに遊んだり本を読んだりしてなにもしない日があるからだが、ツイッターにはまっていることも多い。あんまりつぶやいてはいないが読むほうに熱心である。新聞とテレビの代わりにニュースを得ることもやってるけど、それよりもおもしろいつぶやきがあってまだ飽きてない。
今日はできあがった会報を郵送した。もらいものや年賀状用に買ったのに出さなかったのでメール便より高いけど。切手を貼った封筒っていいものだ。それもピーター・ラビットや花柄の。新年らしい。
ほっとしたが、こんなに遅くなると、次の会報の時期がすぐにくる(笑)。

雪が降るのかと思ったがこのへんは晴れている。ほんまに雪の降らないところだ。関東の友のツイートによると今夜は雷⇨地震⇨雪だとか。こういう他の土地のひとのことも即刻知ることができるのもSNSのおかげだ。
いままで紙の会報にこだわってきたので、もうちょいこだわっていくか、考えどころ。これをやっているとフェイスブックに手が出せない。まあ、フェイスブックよりはツイッターのほうがわたしには向いているように思う。(フェイスブックをやってないのでわからんのに。)

シリーズを続けて読むと レジナルド・ヒル『ダルジールの死』

ダルジール警視のシリーズ、最初は図書館のを数冊続けて読んだが、シリーズの途中から読んだのでもうひとつ理解が足りなかった。ここ数年は発行されるとすぐに読んで流れをつかみはじめた。新作を追って読むのはすごく楽しいし、最後まで素晴らしい作品を残してくれたものだ。
いま作者のレジナルド・ヒルが亡くなったので追悼読書をしているのだけれど、すごい体験をしている。なにも大きな声でいうようなことではないが、初期の作品でダルジールとパスコーが出会うところ、パスコーとエリーの出会い、そうだったなぁと微笑ましい。そしてゲイのウィールド部長刑事はパスコーより年上だし仕事ができるが、昇進することを断っている。警察署での軋轢を避けるためと、いっしょに暮らす書店主ディッグウィートとの暮らしを充実させたいから。彼らの出会いをおととい読んだところだ。いま読んでいる「ダルジールの死」では「完璧な絵画」で出会ったエンスクームの村の家でふたりが幸せに暮らしているのがわかる。ウィールドとパスコーとエリーの仲のよさは格別。ダルジールが本の最初で死にかけるが、最後でもどってくる。読んでいて幸せになる。なんか支離滅裂なラブレターのようなものね、これ。

レジナルド・ヒル追悼読書『薔薇は死を夢見る』

レジナルド・ヒルがお亡くなりになって今日は葬儀だったそうだ。なんかしんとした気持ちになり追悼読書をした。選んだ本は5作目の「薔薇は死を夢見る」(1983)。ふっと手にしたときうろ覚えだったのでちょっと読んでみたらおもしろくて全部読んでしまった。おかげで他の用事がないがしろになってしまった。

全作品のタイトルを見ていたらダルジール警視シリーズは20冊全部読んでいる。好きなのはどれかと聞かれたら「武器と女たち」と答える。この本は図書館で3回借りている。「骨と沈黙」は最初に読んだのだがだれかに借りたような気がする。他にも数冊は持っていないのがあるので調べて買っておかねば。シリーズ外で「異人館」を図書館で借りた。これも持っていたい好きな作品だ。

静かな男パトリックに関連ある人間たちが、パトリックの利益になるようなかたちで死んでいる。彼は薔薇を愛し薔薇園と広い庭のある古い屋敷を愛している。雇い主の疑惑の訴えで調査をはじめたパスコーだが、妻のエリーとパトリックの妻ダフネはつい最近から仲良くなっている。
エリーはローズが生まれてから、大学講師を休んで家で採点の仕事をしている。そして私立校の前でこどもを背負い〈私立学校は社会の悪だ〉なんて書いたプラカードを持って立っている活動家だ。雨が降ってきたので、娘を私立学校に送ってきたダフネを車に乗せたことからつきあいがはじまる。

会議の出張先からダルジールがパスコーに電話で吠える。【いいか、よく聞け、こっちにはひとり大馬鹿もんのウェールズ人がいてな。そいつはテレビでやたらペラペラと偉そうにしゃべってるんだ。そいつがやりたがっているのは、つるし首と鞭打ちの刑と機関銃をぶっ放すことの他に、警官に令状もなしに昼でも夜でもどこにでも立ち入る権利を与えて、全部の所帯の家のスペアキーを管轄の警察署に預けさせようということなんだぞ! そいつにいわせりゃ、おれは感傷的なアカなんだと。だからおまえさんなんぞは、幸せな星のもとに生まれたことを感謝しろ】

ダルジール、パスコー、ウィールド、ええわ〜 エリー、ダフネもええわ〜
(嵯峨静江訳 ハヤカワポケットミステリ 1500円+税)

イアン・サンソム『蔵書まるごと消失事件』

「移動図書館貸出記録 I」というサブタイトルがついている。図書館司書としてロンドンから北アイルランド アントリム県タムドラムに着任したイスラエル・アームストロングが目にしたのは、図書館閉鎖のはり紙だった。家から遠く離れて見知らぬ国で失業そして今夜をどう過ごせばいいのか。

イスラエルの父方の一族は何世代にもわたってアイルランドからイングランドへ移転し、母方の一族は飢饉やユダヤ人大虐殺や迫害を逃れてロシアやポーランドからロンドン東部のユダヤ人街から最終的にはロンドン郊外やエセックスにおちついた。そして今回のイスラエルの船旅は自分としては文学者たちのさまざまな旅と比べられるものだ(スケールが違うが)。イスラエルは図書館で育ったようなもので、いつも本を手放さずに生きてきた。

彼はスーツケースを持ったまま町役場に行くと、係のリンダがポテトチップでべたべたした手を差し出した。リンダがいうには、イスラエルが司書に決まったあとに図書館は一時的に閉鎖されたという。そして移動図書館で働くようにいい、拒否するイスラエルをなだめる。
なんやかんやで留まることになるが、下宿として世話されたのは鶏小屋だし、田舎道やら田んぼで滑ったり転んだり。そして移動図書館のバスには蔵書が1冊もない!
まずは本を探すのが仕事になったイスラエル、あちこちで失敗を重ねながら村の人々とわかり合って行く。

だーっと読んだので読み落しがあるかもしれないけど、アイルランド紛争にふれた箇所があった。図書館の謎を探ろうとイスラエルに近寄ってきた女性記者の話で彼がここで知り合った男の両親が〈おもちゃ屋爆弾〉で亡くなったと知る。
【「1986年に、かれらはメイン・ストリートのおもちゃ屋のまえにあるくずかごに爆弾を仕掛けたの」「かれら? アイルランド共和軍(IRA)のことかい?」「・・・とにかく彼は生きのびたわ。乳母車ごと爆風で通路の反対側にふき飛ばされたの。ご両親はどちらも即死だった」】
北アイルランドを舞台にしたミステリははじめてなので興味深く読めた。
(玉木亨訳 創元推理文庫 1200円+税)

ジョン・ミリアスの映画を見たい

先週の水曜日にバーでライブをやっている反対側の壁に写っている「ビッグ・ウェンズデー」 (1978 監督/脚本)を見てから、ジョン・ミリアスの映画を見たくなった。
ずっと昔に道頓堀の浪花座で深夜にサーファーたちに囲まれて「ビッグ・ウェンズデー」を見てからレーザーディスクを買って何度も見たが、LDを見なくなって間もなくもういいかなと処分してしまった。いま思えばもったいないけど、あのときはネット時代に入っていて、もう何度も見た映画はええわと思ったんだんだわ。いろんなシーンを覚えている。あのお母さんはテレビドラマの「ペリー・メイスン」の秘書役だったバーバラ・ヘイルがやっていて、息子のウィリアム・カットが息子役だった。

それよりずっと前にテレビで見てすごく惹かれたのがデリンジャー (1973 監督/脚本)で、ウォーレン・オーツのかっこよさに夢中になった。1933年、大恐慌の時代に銀行強盗を繰り返すデリンジャー、いま解説を読んでいたらミリアスのデビュー作だ。鮮烈なデビューって言葉がぴったり。これは後にレンタルビデオで見ている。
いま知ったところでは「ダーティハリー」1と2の脚本を書いている。そうだったんだ、「ダーティハリー」は1と2がよかったのがうなづける。
「風とライオン 」(1975 監督/脚本)はテレビで見ただけでちゃんと見ていない。ああ、時間があればジョン・ミリアスの映画を見たい。

レジナルド・ヒル『幸運を招く男』

今日の午後にレジナルド・ヒルさんが亡くなられたことを知った。昨夜も寝る前に「完璧な絵画」を読んで気持ちよく眠った。彼の本を読み始めたのは遅かったけどいま最高に好きな作家だ。
本書はSさんがわたしがダルジール警視シリーズだけを読んでいるので、これもおもしろいと貸してくださったもの。〈私立探偵ジョー・シックススミス〉のシリーズで翻訳は3册出ている。「幸運を招く男」(1993)、「誰の罪でもなく」(1995)、「探偵稼業は運しだい」(2008)、1冊目がおもしろかったからあと2册もぼちぼち読むつもり(貸してもらえたらええんやけど-笑)。

ジョー・シックススミスはイギリスのベッドフォードシャーの工場町ルートンに住む私立探偵。40歳に近いが不況で工場をクビになり探偵をやってみることにする。背が低くて黒人で禿げかけた失業中の旋盤工だから、これくらいはとクライアントの期待にこたえる気持ちで私立探偵らしくデスクに足を乗せている。アメリカの冴えない私立探偵ストーリーをまるごと移したような出だし。机の引き出しには相棒の猫のホワイティがいる。

伯母さんのミラベルはいつもジョーにお節介をやいて女性を紹介する。今回は看護婦のベリルで仕事中のシックススミスと出会ったりするが、だんだんお互いに好意を持つ。ふたりはベリルの息子と猫と4人(?)でクルマで遊びに行く途中に事件で知り合った人を訪ね、そこからひと騒動のあとに事件は解決する。

ベリルは言う「あなたは他人に対する思いやりがあるわ。それに、あなたにはある能力がある。たとえ最初は間違っていても、正しい方向に進んでいく能力が。・・・」
またミラベル伯母について「彼女は公平な人だから、あたしが無能で収入のない私立探偵と結婚することに責任を感じたくないのよ」と言ってシックススミスに衝撃を与える。
(羽田詩津子訳 ハヤカワポケットミステリ 1100円+税)

キャロル・リーア・ベンジャミン『バセンジーは哀しみの犬』

レイチェル・アレグザンダーはニューヨークの女性探偵で愛犬ダシール(アメリカン・スタッフォードシャー・テリア)と暮らしと仕事をともにしている。ユダヤ系で離婚歴あり。結婚した相手の姓であるアレグザンダーをそのままにしている。性格の違う姉は結婚して夫とこどもたちと楽しい家庭を持っている。

仕事がなくてどうしようと思っているときに児童本作家のデニスから電話があった。友人の画家クリフォードが殺されて愛犬のマグリット(バセンジー)が行方不明だという。クリフォードはゲイの画家で警察は同性愛者への虐待事件として調べている。クリフォードには恋人のルイスがいるから夜中に街をうろつくはずはない。

マグリットはドッグショーで優勝したことのある名犬なので、その方面も調べたほうがよいと元ドッグトレーナーのレイチェルは考える。犬好きのひとならアメリカのドッグショーのことがよくわかって楽しいに違いない。わたしはアメリカン・スタッフォードシャー・テリアとバセンジーという犬の種類があるのをはじめて知った。バセンジーは吠えない犬だって。そしてマグリットは素晴らしく美しい。

ギャラリーのオーナーはクリフォードの死を利用して高値をつけて個展を開こうとしている。
レイチェルは電話と足で調査を続ける。
(阿部里美訳 創元推理文庫 980円+税)

今夜はビッグ・ウェンズデー

九条のクジラウオさんに食事に行きたいが、寒いしちょっと遠いしなぁとなかなか行けない。そのクジラウオさんが今日はうちの近所のバーでフード担当と知って、晩ご飯を食べに行ったら今日はビッグ・ウェンズデーというパーティがある日だった。もうちょっとしたらライブがあるという。
餃子の入ったスープと豆腐とおからのお焼きを食べてしゃべっていたら、ライブがはじまった。太鼓やジャンベや打楽器が多くてにぎやか。リズムが気持ちよく、わっ、もうかったって感じで楽しんできた。

音楽をやっている反対側に映画が映し出されている。見たことがあるぞと思って眺めていたら「ビッグ・ウェンズデー」(ジョン・ミリアス監督 1978)だ。そうか〜今夜のパーティ名にひっかけてるのか。この映画、むちゃくちゃ好きだったが最近は見ていなかった。片側はライブ、片側は映画とぜいたく極まりない。最後のシーンはいま見ても泣ける。サーファー3人がサーフボードを抱えて高波に向かうところは「昭和残侠伝」で高倉健と池部良がどすを片手に斬り込みに行くところとそっくり。

休憩中に雑貨を置いている好青年(DJもやってた)とおしゃべり。だいたい今夜の客は男女ともに愛想が良くて、話しかけてくる子もいるし、にっこりの子もいて満足だった。雑貨のところで毛糸の帽子を見ていたら、何人もあれがいいこれがいいと大騒ぎ。みんなが買えという赤やピンクは避けて渋い色を何色も使ったのにした。ダウンのコートをもらってから合う帽子を探していたので、いいのがあってよかった。