本を読む、本を捨てる、本を買う

毎日本を捨てている。自分が持てる大きさと決めた小さい箱だけど、全部で18個あるのを毎日1箱は点検して仕分けしている。全部は無理だけど半分以上は捨てられるだろう。古い本って愛着があるだろうと思っていたが、全然そんなことはなくて、すいすい「捨てる本の箱」に移動している。内容を忘れているのはもう一度読もうと思うかなと考えたが、そんなことはなかった。サラ・パレツキー、ドロシー・L・セイヤーズさえ全部揃っていればいいじゃん、なのである。10数冊あるクレイグ・ライスはどないしょ。イアン・ランキンたくさんあるなあ。1冊ずつが厚すぎる。ポケミスのみ残そうか。こんな感じ。

おおかたの本を開いて飛ばし読みとかして思ったことは、ミステリーは旬の食べ物みたいということ。旬のとき読めばピンとくるし楽しいが、鮮度が落ちると楽しくなくなる。
いまは北欧ものがおもしろくて仕方がない。いま読んでいるアイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンの『湖の男』(東京創元社)はいま現在面白い本である。さっき捨てた本だって買ったときは新鮮で面白かった。だから冷凍保存のように箱に入れて押入れに積んだのだ。
あっ、それは本の内容のせいだといってなくて、自分の感じ方のせいなんだけど。まあそのときはお金を払って買ったものだから、そのときの頭の栄養になり体が鼓舞されて元気になったんだわね。ということで後腐れなく捨てられる。そして新刊をまた買って楽しむ。でも、押入れには本は入れない。
今日も1冊アマゾンで買った。鹿島茂『オール・アバウト・セックス』(文春文庫)