たらの芽の天ぷら

午後遅くから近所を相方と散歩。銀行や郵便局の用事をすませ、無農薬野菜の出店で基本の野菜の他に勧められるままにタケノコを買い、タラの芽を1パックもらった。
行きしはとろとろ歩きたくないと車椅子に乗せられてたったと。いろいろ買い物してからは荷物を車椅子にのせてわたしはその後ろを歩いたが、まだたったと歩けなくてのろのろ。
でも街歩きは楽しい。ライオンキッチンでひと休みしてバナナケーキとコーヒーで和んだ。この店に入ったのは初めてだったが、女子向きの可愛いおしゃれな店で、ケーキの盛りかたもおしゃれ。
ここは去年の終わり頃まで田舎から野菜を持ってきて店の前で売っていたが、いまは休止中で5月末から再開とのこと。いろんな採れたて野菜を町に住みながら食べられるのがありがたい。

眩しい西陽を受けながらまっすぐに歩いた。何十年も前のことだけど東から西へ得意先からの帰りしの西日のすごさを思い出して、「あれはすごかったなあ、でもいまも日差しはいっしょや」「月日はたてどもおひいさんはいっしょやな」。

途中の花屋bunbunFlowersの店先で見かけたドライフラワーが可愛いから買った。包んでもらっているとき目についたのがライラック。きれいな紫色に惹かれてひと枝買った。ガラス瓶に挿すとテーブルが華やいで、たらの芽の天ぷらがもう一味うまくなったよ。
たらの芽の天ぷらは、堀江Baseのあるじ琴美さんのお世話で手に入れた米の油と米の粉があったので使った。すごく洗練された味でうまかった。

デヴィッド・リーチ監督、シャーリーズ・セロン『アトミック・ブロンド』

シャーリーズ・セロンの名前はずっと前から知ってたが歌手だと思っていたほど無知だった。昨日はアメリカのロビイストをジェシカ・チャステインがやっているのを見たから、今日は理屈抜きでばったばったと投げ倒すような、撃ち殺すような映画が見たくて『アトミック・ブロンド』を選んだらアタリだった。

東西冷戦が終結してベルリンの壁が崩壊した時代の凄腕女性諜報員の話で、スパイ、二重スパイ、女性スパイ同士の同性愛もあって盛りだくさん。殴り合いがいっぱい、撃ち合いもいっぱい、刃物で殺し合い、階段を転げ落ち、カーチェイスあり、暴力につぐ暴力でお腹いっぱいになった。

女性と男性が殴りあい、撃ち合うシーンも多く、男性に負けない暴力をふるう主人公に肩入れして気分良く見ていた。
音楽も良くクラブシーンも楽しめた。

二度見て納得『女神の見えざる手』

ありがたいことにユーネクストでもう一回『女神の見えざる手』を無料で見られるということで、夕方早い時間から2回目を見た。2回見てようやくストーリーと物語の世界の全貌が理解できてよかった。
まず新聞の外国記事でしか知らなかったロビイストという職業のあらましがわかったことが大きい。新聞等でわかったつもりでもわからなかったロビイストという人間の仕事ぶりや私生活が出てきて納得がいく。
主人公のスローン(ジェシカ・チャステイン)が「肉を切らせて骨を切る」みたいな戦術さえ使って世の中を仕切っていくところがすごい。

最後は自分から仕掛けて逮捕され刑務所に入るのだが、数ヶ月後に弁護士が面会にきて、あと何ヶ月かで出られると教えてくれる。その間に常習していた薬から抜け出せたようでよかった。いくら美貌で頭が良くても薬で体をもたせ続けるのは無理だ。
しかし、ぴったりフィットした服と細いヒールの靴で闊歩していたけど疲れるだろうな。

ヴィク・ファン・クラブ会報作りで夜なべ中

月に一度はこのブログにヴィク・ファン・クラブの会報作りのことを書いている。
26年にわたって毎月発行しているのをなんとかやめずにもう少し続けていきたい。
家でiMacにむかって作業しているが、今月も大幅に遅れるが出せそうだ。まだ1/10くらいしかできてないが、全体の量を把握しているので大丈夫。晩ご飯の片付けを中途でほったらかしてやっている。
届いた原稿は連載の「モンゴル通信」と「コージー・コーナー」。そして自分の病気のこと、親の介護のこと、映画の感想などを綴ったメールがいろいろ。メールに添付されている花の写真をレイアウトに使わせてもらう。

会をやり始めた最初のころから会報を出そうと決めてやりはじめた。A4ファイルが棚にびっしりと並んでいる。戦後女性史の資料になりそうだけど、極私的なものだから趣味で読む以外の用途はなさそう。
ただV・I・ウォーショースキー(ヴィク)が好きな人の声がいっぱいつまっていて、好きな人にはおもしろいのはたしかである。

ジョン・マッデン監督『女神の見えざる手』

2016年にイギリス、アメリカで製作された2時間12分の映画。おもしろくて長時間を画面の前に座ったまま見続けた。タイトルからは連想できない内容に引きづられて最後までいった。

エリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)は大手のロビー会社で辣腕をふるう花形ロビイストで、男たちの間をさっそうと仕掛け人として働いている。新しい仕事は銃所持の規制を支持するほうの立場で、彼女はさまざまな銃規制派の人たちを支持する活動に積極的に取り組んでいく。

スローンの部下の女性エスメは、学校で銃を持った人間から逃れるためにロッカーに隠れたという過去があって、隠していたのだが、スローンに生放送のときに暴露され、それからは注目されるようになる。

華やかに活動するスローンだが、眠らないよう薬を飲んで毎日を過ごし、夜はホストクラブの男をベッドの相手に派遣させている。

いろいろと複雑な内容で、一回見ただけでは書ききれない。
聴聞会があり、自分の意思で有罪となり、刑務所に送られる。
最後のところをもう一度見ないと上院議員の犯罪がはっきりわからない。
今日はこれで寝る。すごい映画だった。

今夜から明日寒冷前線が通過する

【日本気象協会 近畿の予報】から
ー今夜からあす朝方にかけて雷が鳴り、雨が激しく降る所があるでしょう。明け方にかけて南よりの風が非常に強く吹く見込みです。予想される最大瞬間風速は北部と南部で25メートル、中部で30メートル。強い風に注意を。ー

わあっ、ちょうど寝る時間くらいかな。あるいは寝付いた頃に大荒れになりそうだ。このまま起きていて風がおさまるまでじっとしていたほうがいいかもしれない。寝付けないだろうし。読む本はたくさんあるし、コーヒーとチョコがあるし、パンとアボカドがある。

いまベランダの点検してきた。狭いし飛んでいきそうなものはなにもないけど、あいたハンガーがかかってたのを撤去(大げさ笑)した。こういう見逃しがあるから点検て必要だ。

つい半月くらい前に大風が吹いたことがあった。朝になってからのほうが強かった。たしか水曜日で午後出かけるのにどうしようと思っていたら、わたしが出かける3時ごろにはおさまってやれやれだった。
最近、地震が多い。どう気をつけたらええんやろ。

UKIUKI CHOCOLATE

美味しいチョコレート、原産国はグアテマラ共和国。原材料はカカオ豆と砂糖だけだって。
知り合いの無農薬野菜の店で出会った人から買ったチョコレートで、1袋に50グラムのCACAOが入っているそうだ。チョコは一枚ものとか丸いとかではなく、ごつごつした切れ端のようなものがアルミのような袋に入っていて1200円だった。かじってみると格別にうまい。粉が落ちないように気をつけて袋から出し、お皿の上で割って食べ、こぼれた粉はもったいないから指で拾って食べた。わたし専用チョコにしてときどき食べている。ほら、お酒を飲まない分をチョコでカバーするわけ(笑)。
販売者の名前や住所のカードが貼ってあるので、食べてしまったら注文できるけど、そこまでするかはわかりません。

昨日は整体院で今日は歯科医院

長い年月を医者に関係なく過ごした。ただし整骨院と鍼灸院にはけっこうお世話になっている。その流れで近所のつるかめ整体院にもう2年くらい通っている。体の手入れって大切だと思う。毎週水曜日と決めているので、予定が立てやすい。予定っていうほどのものはないけど(笑)。
それから今月になってから近所の整形外科医院へ週に一度で3回行った。親切で明るい先生で楽しく治療してもらっている。最初が火曜日だったので、それからは毎週火曜日と決めて行っている。わたしって生真面目くんだ。

歯科医だけは10数年前からきちんと行くようにしているが、いま通っているプラザ歯科に決めてからは3ヶ月検診に真面目に行っている。今日は2週間前の検診で見つかった虫歯の治療をした。ちょっと痛かったがガマン。痛かったでしょうといわれたが、わたしはガマンの子なので「このくらいまでは大丈夫です」と答えた(笑)。
今回はこれですんだので、次回は3ヶ月後の検診である。ホッとして帰った。

晩ご飯は、赤ワイン、イカのトマト煮、温野菜と生野菜のサラダ、アジのオリーブオイル焼き、パン、紅茶。

雨の日の洗濯

今日は午後から雨になるというので午前中の洗濯は休んで雨があがるはずの夕方にしようと決めた。結局は午後の雨は降りそうで降らなかった。お気に入りのチューリップ柄の傘を持って出たのにさせず、巻いて杖の代わりに働かせた。杖があるとラクというよりひと荷物増えた感じ。

天気予報は夜遅くから晴れるとなっていたので夕方に洗濯してさっき干した。明日あさっては晴れの予報である。白いタオルの布巾も2日分洗って干した。明日の日射しで気持ちよく乾くだろう。これで洗濯婆さんの仕事は終わり。

昼間のヒマな時間は本を読んだりパソコン相手になにかするので、家事や雑用は晩ご飯後にまわってしまう。晩ご飯の後って時間がありそうでない。映画を見たいと思うがついツイッターを見てしまう。
もう11時を過ぎた。遅寝遅起きだから仕方ないが、日付が変わる前に寝たいものだ。そのためには早く起きなくってはと矛盾抱えて今夜も夜なべしながらコーヒーを飲む。

二度目の大病は脊柱管狭窄症

昨日は東京の思い出はジフテリアに罹ったことのみというようなことを書いた。これからいろいろと思い出して入院のことなど書こうと思っている。

その前に年末からの病気からようやく抜け出したと思うのでまとめを書きます。

何度も書いたけど、自己判断で病名は脊柱管狭窄症である。それに30年来の膝痛が重なって、この冬の寒さの中でひどい風邪を引いて三重苦であった。

始まりは秋頃だった。姉の夫が亡くなってから8年、最初は月に一度か二度姉の一人暮らしの家に行っていたが、だんだん要求が増えて毎週行くようになった。初めの頃は地下鉄を二度乗り換えて、駅から15分歩いていたが、しんどいので駅からタクシーで行くようになった。タクシー代をもらえるとなると、梅田で買い物をしていくようになり、だんだん品目が増えていった。
次は梅田で買い物をしてタクシーに乗るようになり、この2年くらいは家から梅田までもタクシーとなった。それだけ身体がもたなくなったんだけど、自分は丈夫にできているという過信があった。

おととしの夏くらいから帰りは姉の家から新大阪までタクシーに乗ることにして、新大阪から家までは地下鉄にした。新大阪にショッピング街ができたので、本屋や洋品店に寄る楽しみができたが、去年の秋ごろから、買い物をすませて地下鉄に乗ろうと歩いていると腰がしんどい。腰を伸ばして歩こうとしても足がいうことを聞かない。地下鉄のホームに上がってベンチに座るとほっとして腰が治る。電車で座ると元気なものである。心斎橋で降りて乗り換えるのに歩いていると、いつも同じところで腰がだるくなる。丸い椅子が並んでいるところで座って息を整えて電車に乗った。

こんなんが続いていても疲れてるんやと思って、できるだけ体を休めるようにしていた。そのうち梅田へ出ても帰りは疲れてタクシーに乗るようになった。高齢者乗車券があるのに地下鉄に乗るために歩く元気がない。
そのうちに堀江に出るのにタクシー、帰りもタクシーで家計があっぷあっぷ。それでもまだ疲れだと思い込んでいた。

12月に入っても同じように姉の家には週一で出かけていた。買い物が重くて百貨店から外に出てタクシーに乗るまでがしんどい。
そして去年最後の週に倒れた。正月休みは食べて寝て過ごした。

いちばんひどいときは歩けないし立てないので、夫がネットで車椅子を注文した。でも、わたしは楽観的でこの状況を病気とは思えなかった。

年末と正月を寝て過ごして、義弟からの年賀状をゆっくりと眺めていて、これだ!と思った。症状がいっしょなのだ。
そして、教えてもらった本を買ってテニスボールストレッチに励み、いまも毎日3回やっている。効果あり。
膝痛のほうは整形外科に行って水を抜いてもらった。毎週ヒアルロン酸を注入してもらっている。この歳になったらどうのこうのいわずに、いまある方法をやってもらったらいいだろう。30年間は何人かの整骨院の先生にお世話になったが、この膝がいままで持ちこたえてきたのは整骨院の先生たちのおかげである。

以上さらっと今回の病気のおさらいを書いた。
わたしとしては4歳のときかかったジフテリア以来の大病である。
3ヶ月外を歩いてなかったので、歩くところからはじめているが、先が見えてきたので気分がよい。もっと回復して夜遊びしたい。目的があると回復が早いんじゃないかしら。でも歳だからぼちぼちですね。