思い出いろいろ 第3回

 

東京の思い出 その4 土手と富士山と

五反田の家のそばに土手があったと覚えているのだが、どこへつながっているとか、そこだけ高くなっていたのかとか全然覚えていない。ただ坂をあがれば高いところにいけて、そこから富士山が見えたのだけ覚えている。夕日と富士山という陳腐な風景があたまに残っていて、もしかしたら漫画の一コマではないかと思ったりするけど、確かに見えてたように思う。それといっぱい生えてた猫じゃらし。

散歩の好きな一家で両親と姉二人と兄二人がぞろぞろ連れ立って歩いていた。その次にわたしと弟がついていた。もう一人弟がいたのだが、ジフテリアに感染して次兄とわたしが入院して助かったときに入院しないうちに亡くなった。いつもきょうだい7人といっているが、実は幼くして亡くなった弟がいてきょうだい8人だった。末の弟は赤ん坊がいたっけというくらいの記憶しかない。末っ子の妹は大阪に引っ越してから生まれた。
東京の家のことはほとんど覚えていない。ジフテリア菌が記憶をとばしてしまったのかも。入院のことはよく覚えていて、東京の記憶はジフテリアの入院にまつわることばかりだ。

手を大事に

今日友人から届いたメールを紹介します。
【杉谷さんも手足を大切に、そして足の代わりはいろいろありますが、手の代わりはないです。私はすでに両肩の関節を傷めておりますので言えるのですが、大事に扱ってあげてくださいね。ロボットアームなども開発されていますが、まだまだです。】
とあって、改めて彼女が家事するのが大変だといってたことを思い出した。
また別の話で、知り合いのお母さんが転んで、支えた両腕の骨を折ったと聞いたところだったので、よけいにおそろしくなった。

わたしは年末に寒さからきたひどい風邪引きと脊柱管狭窄症からきただるさとに同時にやられて、初体験の歩行困難になった。慌て者だから慌ててネットで車椅子を購入して、押す人がいるから足はなんとかカバーできた。遠距離のところはタクシーに車椅子も乗せて行った。いまは歩ける区間を伸ばそうと歩きの訓練中である。
これで慌てて歩いてこけたらどないしょう。膝の水を抜いてヒアルロン酸を注入中でまだ膝は治りきっていない。この上に腕の骨を折ったらどないなる。もの思いが絶えない春である。

寒いからお茶とお菓子で平野啓一郎のショパンの本

昨夜も寒かったが、今日は冷たい北風が吹いて昼間も寒かった。ベランダに出ると干してある洗濯物が風にあおられて飛んでいきそう。全部洗濯バサミでしっかり止めてあるから大丈夫だけど。
布巾として使っている白いタオルが風にゆれてきれいだ。使うたびに洗って干しているが、眺めているとやってるぜって気持ちになる。すぐに洗って干すのは面倒だが清潔で気持ちいい。
先週あんなに暑いほど暖かだったのに今日の寒さはなんじゃらほい。それでも我が家にはいまから寒い中を負けずに出て行く人がおる(笑)。
留守番のわたしは頂き物のお菓子があるから熱いお茶を淹れて和むことにする。そのあとはお風呂でゆっくりぬくもって、メールの返信して、読みかけの本のどれを読もうか。最近買った平野啓一郎『葬送 第一部上』『葬送 第二部下』は音楽家ショパンの物語である。19世紀のパリのショパン、あまりにも知識がなさすぎるので、少しずつ読んで理解が深まるようがんばる。

見てかわゆく食べておいしい野菜の花

うちの近所は無農薬の野菜を売る店が何店かあって、相方は毎日そのどこかへ行くことにしている。その他にも近郊から採れたての野菜を売りにくる人がいて週に一度決まったところに買いに行く。
暖かくなって花のついた野菜が増えたが、菜の花は寒いうちからあった。先っちょに小さなツボミをつけているので、冬の間は短く切ってサカヅキや小さなグラスに挿していた。固いツボミから黄色い花びらが現れて咲く。残ったツボミを炒めたり茹でたりして食べるのだが、ちょっと苦味があってうまい。

ケールを食べだしたのは去年だった。ケールは「青汁」の素にするらしいが、うちではポテトサラダに入れたり、キャベツのように刻んで食べる。

昨日買ってきたのはナバナのような黄色い花がついていたので見間違ったが白菜の花だそうな。花と茎だけ見れば菜花としか見えない。
それと小さい白い花が咲いているわさび、葉は上の方は小さく丸く、根元のほうは大きく丸い。茎ごと煮て食べたらちょっと辛くて味わいがあった。
テーブルの2つの瓶に白菜とわさびを別々にどばっと挿して並べたら、太陽の光を浴びてうれしそう。人間も。

からだの管理

今週と来週はからだの管理につとめることにした。2週とも火曜日=整形外科、水曜日=整体院、木曜日=歯科とカレンダーに記入した。まるで高齢者みたいと思ったが、自分も高齢者なんであることを実感した次第である。健康保険証を使うことがほとんどなかったが、今回はいろいろとお世話になる。

今週の分は3箇所とも終わったのでほっとしているところ。この調子で来週が終わると、歯科は終了。整形外科は慣れてきたので笑って乗り切れそう。1回目なんかどきどしちゃって血圧が上昇したのでまごまごした。2回目もまだ慣れてなかった。次は3回目だから平静に対処できるはず。

考えたら長いことお医者さんにかかっていなかった。内科はインフルエンザで20年間に2回行っただけだ。整骨院にはあちこち行ってお世話になってきたが整骨院は卒業。いまはつるかめ整体院に決めて、からだ全体の管理をしてもらっている。

ストレッチのことを書き忘れてた。毎日20分×3回のテニスボールストレッチを欠かさないでやっている。プラス体操を20分。

膝の痛みは悲しみが溜まった痛み 群ようこ『かるい生活』から

群ようこの3冊の本(『ぬるい生活』『かるい生活』と『ゆるい生活』)を買った。ときどき出してよさげなところを読んでいる。ぬるくないし、かるくないし、ゆるくない生活をされていると思う。まとめて「たのしい生活」3部作といったらいいかな。

今日読んだ『かるい生活』に膝の痛みのことがあった。
群さんがお世話になっている漢方薬局の先生の言葉で
ーここから引用ー
「膝の痛みはね、悲しみが溜まった痛みだっていわれているわよ」
といわれた。それはいったい何かとたずねたら、その人が生まれてから今まで、表に出せずにぐっと堪え続けていた強い悲しみがあると、それが後年、膝の痛みになって出てくると教えられたというのだ。
ー中略ー
試しに膝の直接的な痛みとは関係がない、精神的な悲しみに効果がある調剤をして服用してもらったら、足の不具合が嘘のように治ってしまったのだといっていた。
ー引用終わりー
悲しみが溜まった痛み、わたしの膝の痛みはなんの悲しみが溜まったのだろう。耐え続けてきた強い悲しみがあるんだろうかと考える。
わたしは長い年月膝の痛みに耐えてきた。先日生まれてはじめて膝の水を抜いてもらったが、あのきれいな水はわたしのどんな悲しみを秘めていたのだろう。

近所の桜

桜を見にちょっと足を伸ばして靱公園や土佐稲荷神社に出かけたらいいのにと思っていたが、実現できなかった。寒い頃には車椅子で公園まで運んでやるから公園の中を歩いたらどうやといわれていたが、なかなかこれから靱公園まで行くというのが実現できなかった。
木津川の遊歩道に行って、対岸の市民プール前の桜を見たけど、他には最近植えたような小さい木しかなかった。特に桜を見たいわけでなしと川のほとりの散歩で満足して戻ったきたのだが。

医院のそばに立売堀公園がある。長年近所に住んでいるのに今日はじめて名前を知った。公園の入り口に書いてあるのを初めて見て覚えて帰った。
毎年立売堀公園で美しい桜を見せてもらっている。大きくて見事な枝ぶり、風が吹いて散る様子も美しく見飽きない。今日も医院往復の合間に桜吹雪の下にいた。目下のところ、わたしが歩いて行ける唯一の桜の名所である。

エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事 5』

いただいた分厚い本のページを繰ると文字が小さくてぎっしりと詰まっている。いつになったら読み終わるのかしらと気になったが、心温まる物語ばかりで読みやすくすいすい進んでいった。ブログにどんな感想を書こうかと戸惑ってしまって日にちが経った。「怪盗」ぶってないほんとうの「怪盗」の物語である。
最初の物語「クリスマス・ストッキングを盗め」はニューヨークのクリスマス物語である。ニックと彼のガールフレンドのグロリアにはクリスマスストーリーがよく似合う。この物語ではグロリアは活躍しないが、ニックが帰宅すると待っていて一緒にクリスマスを祝い、プレゼントの交換をする。グラスを傾けながらニックがさっきまで関わっていた事件の話をするだろう。グロリアにはプレゼントの品物にニックの暖かさが重なって素敵な夜になったろう。

怪盗ニックの仕事の最初はでっかい仕事や不可能をやってみせることが多かったように思う。それはそれで面白かったが、今回は心温まる結果になる仕事が多くなったように思う。
グロリアが関わると事件がもひとつ人間臭く感じられる。
ニックとグロリアは長い年月をいっしょに暮らしてきた。結婚はしてなくて内縁関係であるが、長年連れ添ってきた年月の重みがある落ち着いたカップルだ。
この物語が続いているのは、そしてニックの泥棒仕事が続いているのは落ち着いたグロリアがいるからだ。いるだけではなく、ニックの仕事を助け機敏に働く能力がある。家でひとりでパソコンを使ってなにかやる能力ももっている。

引用、314ページ。
彼女がジェット機からおりてくるのを見て、ニックは結婚証明書がなくても、長いあいだグロリアと一緒に暮らしている理由を改めて知らされた。頭には白髪が増え始めてきたのに、染色を拒んでいる。しかし、彼女にはまだ皮肉で陽気なユーモアのセンスがある。彼女は人生全体を娯楽、とくに彼女のために設計された娯楽だと見なしていて、ニックはその中でも最高の娯楽なのだ。おそらく、ニックが一緒にいて満足できる唯一の女性だろう。
(木村二郎訳 創元推理文庫 1300円+税)

思い出いろいろ 第2回

東京の思い出 その3 雑草の名前はヤブガラシ

住んでいた五反田の家の近くの空き地に生えていた雑草がずっとアタマから消えなかった。その花か実を忘れられないで何十年も生きてきた。なんという名の草なのかずっと疑問に思っていた。よく見る草だとはわかっていたが、調べ方がわからなかった。
それが数年前にうちの近くの長堀通りで見つかった。長堀通りの中央に遊びのある草地ができた。最初はきれいに整地してあったがいつのまにか雑草の王国となって、わたしを含めて近くの雑草好き(わたしが知っていたのは1人)が喜んだ。野バラ、レンゲ、スミレ、カラスノエンドウ、ハコベ、ホトケノザ、オニタビラコ、ヒメジョオン、などが咲き、ヘビイチゴが実った。ツクシもたくさん伸びていた。季節が移ると赤まんま、月見草がいっぱい。どこからかタネが飛んできたのかハーブも生えていた。

初夏になると先に書いた雑草とともにヤブガラシがあった。これは折って帰り図鑑で確かめた。そうか、これはヤブガラシというのかと感無量。でも喜んだのは束の間で、夏になると繁る繁る。おっそろしいほど繁殖した。これが子供の時に見たあの寂しげな草の正体かとびっくりした。繁る前のまだ暑くなる前に見たんだね。
大阪のど真ん中の道路だからきれいに整地され植木が植えられ、いまは雑草が生える隙間がない。もうヤブガラシとも会えないかもね。