地震のおかげで落ち着かない日々

昨日の午後は整形外科に行った。なによりも歩くのが一番と先生は「万歩計を買いなさい、励みになるよ」とのこと。わたしには万歩計を買わなくても iPhoneがある。さっそく活用といいたいが、目下の足状態では距離を伸ばすのはなかなかで画面を眺めてため息。おもちゃを持ったこどもです(笑)。

今日の午後は整体院に行ってきた。はは、ほんまに高齢者ですやん。ここの週に一度の治療でわたしの体力はもっているのである。おかげでようやく一人前に生きていると自覚しております。

明日は姉のところに行く。さっき電話で背中がしんどいといってたからちょっと揉みほぐしてやろう。姉は週に一度マッサージに通っているのだが、あんたのほうが効くといっている。やりすぎないようにがんばろう。

一週間くらいのうちに余震があるかもしれないと思うとどうも落ち着かない。
おとといは洗濯日和だったのに、地震のせいで洗濯を休んでしまった。おかげでどっさりと残っているのを昨日は室内干しした。明日は天気が回復するようだからさっき洗って干した。姉のところに行ってる間に乾いてくれるだろう。

昨日の朝と夜の地震

昨日は朝の地震に驚かされた。地震って突然に起こって、いつまで続くかわからんので困る。昨日はけっこう長い揺れの中で、前の地震のときよりマシやと思った。静まってからそおっと起きてトイレに行った。おお、おお、本棚から本が溢れている。この棚は組み立て式になっていてドイツ製のしっかりしたもの。揺れでずれたのか一段が外れ、飛び出している本がある。後で棚はどうやら直りそうだとなって、本をみんな出さないと作業ができないというので、本を全部テーブルの上に積んだ。よかった!と思ったのは忘れていた本が出てきたこと。みんな点検して不要と判断したのは捨て、置いとく本は並べた。

そうこうしているうちに、義弟と昔お世話になったYさんから電話が入った。二人とも何度もかけてようやく繋がったそうだ。ふだん付き合いのない人たちと話せてよかった。夜になって、今度は昔お世話をした彼女から連絡があっておしゃべり。地震のおかげで付き合い復活(笑)。メールの返信がまだ滞っているのをなんとかせにゃ。メールを書き出すとあれこれ書くことが出てくるので時間がかかる。返信しないのは怪我でもしたのかと気にしてくれる人もいて。いえいえただわたしの事務能力が減退しているからです。

片付けがすんで晩ご飯を食べ、お風呂に入ってからしゃべったり、パソコンでニュースを読んだりしていたら、12時半くらいに長い揺れがあった。これは朝と関連した地震やなと冷静に座っていたが長かった。ラジオをかけたら震度4といっている。体感では3という感じだが、揺れが長いのが気持ち悪い。
起きて地震、寝ようとして地震。

大阪府北部地震 震度6弱、震源の深さ:13km、地震の規模:M6.1

昨夜は機嫌よくベッドに入ったがなぜか寝つきが悪かった。ぐずぐずしていて4時過ぎてからトイレにいき目がぱっちりと覚めてしまったので、白湯を飲んで釈迢空歌集を拾い読みした。このとき地震があれば本棚から飛び出した分厚い本がぶつかってどこか怪我したかもしれない。そのときはなにごともなく本棚に本を戻して横になった。ようやくぐっすりと熟睡。

大阪北部地震はそれから4時間くらいして起きた。
6月18日午前7時58分頃、突然の揺れで起こされた。大きな揺れが続きなかなかおさまらない。寝ぼけたまま「どないしょ」とか「すごい揺れやな」といっていた。幸いにもベッドの横の本棚は静かだった。
揺れが静まってからトイレに行こうとして気がついた。隣室の本が散乱している。本棚の棚板が外れている。背中の板も動いている。
また横になったが今度は目が覚めてしまった。もう少し寝たかったなあと言いながら起き出し、なにがあるかわからんので、バナナと豆乳、トーストにはチーズとジャムをつけて食べた。朝昼兼用ご飯である。ガスは使わないで昨夜の白湯で間に合わせた。余震に備えてお風呂に水を張った。

台所の片付けをすませて食器棚を点検したら、おお、よかった! 食器類は無傷で揃っている。ニュースで知ってメールをくれた友だちに返信打ってたらけっこうお見舞いメールが入っている。夜になったら地震の詳細がわかるだろうし、ブログを書こう。
それよりも、本の整理じゃと椅子に座ったまま本を引きずり出して区分けした。とりあえずはこの分類でいって読みながら点検しながら整理しよう。晩ご飯の前に片がついてよかったが、晩ご飯を食べるのがしんどうて・・・

ハンバーガーの食べ方がわかった

遅い朝昼ご飯がすんで片付けがすみ、今日はうつぼ公園に行こうと決めて魔法瓶に熱い紅茶をいれた。途中でパンを買うことにして出発したがもう3時過ぎている。歩き兼車椅子プラス地下鉄で四つ橋線本町へ到着、また歩いてうつぼ公園へ。園内は人でいっぱい。広場にはテントを広げている家族が多い。子供たちは水遊びが楽しそう。水着の子も下着の子もおおいに濡れて遊んでいる。おしゃれな親がついていて20年くらい前にわたしらがよく来ていたころと大違いの風景だ。大阪西区がいまトレンディな場所になっていると聞くが、ほんまにこういう親子を見るとうなづける。

シートを草地に敷いてダンナは寝っ転がり、わたしは車椅子に座っておやつ。夕方近く空の一部に虹が見えたのは寝っ転がっている人が気づいた。
歩行訓練といいながらバラ園を一回りしただけで疲れちゃったよ。

帰りにカフェに寄りたいねといってたら、相方が以前DJパーティに来たことがあるとなにわ筋に面した明るいガラスドアの店を思い出した。そのお店がアタリで、うまいハンバーガーとビールとコーヒーにありつけた。
実はメニューのハンバーガーの絵を見てどうして食べるのかとびびったわたし。いままでハンバーガーを食べたことがマクドで3回くらいしかない。いちばん小さなやつだからかぶりついて食べた。この高いのはどないしたらええんやろ。
運ばれてきたのは10数センチはあるでっかいやつ。「この紙袋ではさんでおあがりください」とのこと。ほっ!! そうか〜
肉系統と野菜がたっぷりはさんであってソースがうまい。ビールに合う。途中でコーヒーをもらったらコーヒーにも合う。お店のお兄さんに「またくるね」といって帰ってきた。ときどき晩ご飯にハンバーガーを食べにこよう。

帰り道は日暮れどきを過ぎ西の空に月が現れた。わたしは昨日の夜に月と金星が近寄っているのを見損なって、遅くなってから金星のみ見たのだが、相方は心斎橋のビルの屋上で見ていたそうだ怒。今夜は「ほらほら、月が見えたよ!」とお愛想しながら車椅子を押していた。

すこーし寒い

もう初夏だしとTシャツを着ていたら上腕の後ろ側(贅肉がついているところ)が冷たい。寒さがこたえるのはトシのせいでもあるかな。それで鼻水が出るんやなと気がついて下着を着て、上に長袖カーディガンを羽織った。これじゃばーさんだ。まあばーさんやからしゃーないがな。
ここ数日こんな日が多い。気が早いから冬物と夏物を入れ替えるのが早くて、こういうときにナンギするのである。
さすがにカーディガンを着ると暖かいを通り越して暑い。もっといまの季節にあう服を買っておかねば。

そういえば最近は服屋さんに行ってない。1月からずっと百貨店にも衣料スーパーにも行ってない。梅田や心斎橋を通ればちょこっとお店に寄るのにね。そしてその楽しみが好きなのに。目下は目的のところに行って帰ってくるだけである。着るもののネット買いを検討しなくちゃ。

夕方から相方が出かけたのでさっきスーパーに行ったんだけど、自分の晩ご飯とチーズだけ買って帰ってきた。遊びがないなあ。

片付けてコーヒー飲んでお風呂に入ろう。
今夜のお楽しみは、アマゾンに昨日夜中に頼んで今日届いた『釈迢空歌集 富岡多恵子編 岩波文庫』

カレーのはずが味噌煮に

今夜は鯖のカレーにすると相方が鯖を半身買ってきて、これから三枚におろすと出刃包丁を出した。大きな鯖でカレー用に小口に切ったのだが、切ったのを見るとたくさんある。カレー2回分のつもりだったけど、大鍋で味噌煮にすると計画変更。

今日の晩ご飯は酒解禁でまず赤ワイン。ワインのあてにレバーと野菜の炒めたの、紫キャベツと玉ねぎを刻んだのに大豆とえごま油などと混ぜたの、それにご飯のおかずに鯖の味噌煮と豆腐とねぎの味噌汁だった。

半分以上も鯖が残ったので、あとはタッパーに入れて保存。あと2回は食べられる。それにしても鯖の味噌煮のうまさかな。
あとの焙じ番茶とカリントウもうまかったよ。

ご近所

午後遅くにシュリットへ行って髪を染めてカットしてもらった。夕方遅く帰ってもご飯ができててええなあ、年下で男前でご飯を作るご主人でええなあと冷やかされた笑。まあ内情はなかなかしんどいものがありまするが笑。
ご近所情報をいろいろしゃべって、名犬シェル君と遊んでゆったりとした時間を過ごせた。コーヒーとお菓子が出て、置いてある『婦人画報』をあちこち読んだ。最近は老眼鏡を揃えてあって、「いちばんきついの」と貸してくれる。

「昨日はつるかめさんに行ってなあ」「あ、長いこといってないわ、元気やった?」「ふん『剣客商売』で盛り上がっててん」「えっ、あの子、本を読むのん?」てな具合で、大の男子だって男の子扱いのあたしら笑。
お医者さんの評判も食べ物屋さんの評価も褒め言葉ばかりで、このあたりは住みやすいのかしらね。
髪を濃いブラウンに染めてもらっておかっぱにカットしてもらってご機嫌よく帰宅。我が家は和食の用意ができていた。

アロマで防虫 菊香せんこう

今年もまた蚊のシーズンがやってきた。6月になると今年最初の蚊が毎年同じ夜10時ごろにパソコンのまわりをブーンと飛ぶ。蚊が出たのを忘れて横になると寝付いた頃合いに腕や足が痒くなって目がさめる。毎年同じことなのに蚊取り線香をつけ忘れている。慌てて起きて痒いところを掻きながら蚊取り線香に火をつける。

今年はちゃんと覚えていて寝る前に線香の箱とマッチと容器を出しておいた。この容器というのがジマンのもので、元々はホーローの鍋なのだ。近所の雑貨屋さんがオランダの雑貨市で仕入れて来たもので、全体がグレイで白のオランダぽい連続模様が入っている。料理によく使ったのだが、底に傷がついたので水分が漏れるのを危惧しで鍋として使うのは諦めた。こうして線香立てに転身したが、深鍋だから線香が倒れても大丈夫。

線香は去年の夏に買ったのがまだ残っていたからさっそく火をつけた。煙が立ちのぼると蚊はいなくなって安眠できる。まだ一晩中でなく30分くらいついていて十分である。
うちは蚊遣りは菊花線香一筋で、そういう人がいるから東急ハンズでも置いてあるのだろう。

森田童子さん

森田童子さんが4月に亡くなったと昼頃のネットニュースで知った。
わたしは70年代中頃に森田さんのコンサートに二度行っている。仕事場の隣室が音楽事務所でときどき小さなコンサートの余り券をくれる。そのときもタダ券をもらって森田童子って名前は聞いたことあるわと厚生年金会館中ホールへ行った。その前に音楽事務所の社長がこの人の歌はちょっと変わってるから参考にとレコードをくれた。歌も良かったけど、つぶやくような語り声がよかった。何度も聞いてからコンサートに出かけたのだが、歌声だけでなく雰囲気にも魅せられた。

そのころまでわたしたちはジャズばかり聞いていて、70年代になってからは特にフリージャズに打ち込んでいた。70年代後半になるとフリージャズに疲れてきたところへ、森田童子の静かな歌声が心に沁みたのだ。

隣室の音楽事務所へ行ってよかったと何度もお礼をいったからか、もう一枚レコードをくれた。その中の一曲、桜の花びらが散るという詩がよくて、覚えて得意になって歌ったものだ。
それから半年くらいして今度は御堂会館(と記憶している)でやると知って、友だちの分まで3枚入場券を買って行った。舞台に出てくるときの内気そうなところがかっこよかった。

その夜で堪能してしまったみたいで、森田童子熱が冷めていったところへ、ジャーン! パンクロックが来た! 同じ御堂会館でエルビス・コステロは78年だったかな。すごかった。それから一直線でパンク一筋になった。8年くらいパンク・ニューウェーブに浸かってた。

でも、森田童子さんの歌は大切に心にしまってあった。今日は午後からずっと聞いているが、懐かしく麗しい声は変わらず。
ご冥福をお祈りします。

番茶と駄菓子

晩ご飯が和食だと最後は焙じ番茶で〆ることにしているが、最近はそのとき駄菓子を一口、二口、いや五口くらい食べるくせがついた。近所の高級スーパーで売っている袋に入ったお菓子で昔ながらの色とかたちである。かりんとう、生姜せんべい、野菜カステラ、ミレーのビスケットなど袋入りを買ってきたのをそれぞれ缶に入れてある。こういうときは名前のとおった店のケーキやチョコではあかん。一袋いくらの駄菓子がいい。
ちゃんとしたお饅頭があれば煎茶を淹れるが、駄菓子だと番茶が似合うしうまい。

今日も番茶を淹れてかりんとうを食べた。おやつにはコーヒーを淹れてビスケットを食べた。