「撃ちてし止まむ」てなに?

わたしは昭和16年に国民学校(小学校がこの年から国民学校になった)に入学した。6年生が終わったときに国民学校が廃止されて小学校と呼ばれるようになった。だからわたしは小学校の生徒になったことがない。
国民学校1〜2年生のときは軍国主義教育の始まりの時期だったが、新町の子だし、どっちかというと都会の子供という感じでのんびりしていた。3年生になってから急速にすべてが戦時下的になっていった気がする。

夏休みが終わって宿題の習字や図画を提出すると、全員の作品が壁に張り出される。
習字では、ほとんどが1枚の半紙に「撃ちてし」「止まむ」と2行に書いてあった。意味がわからないわたしは頭をひねったが、先生がこの言葉を教えていたときはぼっーとしていて聞いていなかったのだろう。先生の言葉から推し量って「にくい」と「米英」と2行で書いた。もちろんボツ。でも意味のわからん言葉は書きたくなかった。執念深く70年以上経っても覚えている(笑)。

「撃ちてし止まむ」を検索したら、【出展は古事記の神武東征の中に出てくる歌謡、「みつみつし 久米の子が 頭椎 石椎もち 撃ちてし止まむ 」に起源をもつが、これが大々的にPRされたのが、1943(昭和18)年第38回陸軍記念日である。】とあった。
そうなんだ。だから昭和18年の夏休みに習字の宿題に出たんだ。無視したわたしはよく叱られなかったなあ。

いろいろ体操再開

暑いのを口実にサボっていたが、膝の回復は遅いし腰はだるいし歩くと疲れるしで、なにかしないとあかんと身にしみて感じている今日この頃。

テニスボールストレッチは長続きしている。まだはっきり効果はあらわれてないけど、体調はよくなっている。続ければそのうち治るだろう。
1個100円のテニスボールを8個もつぶしてしまった。今日アマゾンで「ツインボール ストレッチボール ピーナッツ型 テニスボールサイズ ソフト ミディアム ハード」というのを注文した。これからは気持ちよく長持ちするだろう。

ずっと昔に知り合いに教えてもらった腕振り体操はいいのはわかってるが、単調だからすぐに面倒臭くなって長続きしたことがない。今回は絶対やるつもり。ほんまやって(笑)。
そして青竹踏みもぼちぼちがんばる。

次はだいぶ前につるかめさんに教えてもらったのにいつのまにかやめていたのを思い出して再開する。こういうときこそとお気に入りの赤いチェックの大判ハンカチを二つに切った。椅子に座って一枚ずつを左右の足の親指とあと4本指の間に挟んで行う。

秋の気配と冷え

お盆過ぎたら朝晩涼しくなるというけれど、今年の猛暑のあとだから、この涼しさには呆気にとられてしまう。昨夜の寝しなの涼しかったことったら! タオルケットの上に夏布団をのせて寝たらちょうどよかった。暑さ満開のときはパジャマに汗びっしょりかいてタオルケットも汗に濡れていた。

その対策にクーラーつけたのがあかんかった。つけたときは気持ちよかったが、気がつかないうちに部屋が冷え、膝から下のほうに冷たい風が這うよに流れていた。
慌てていつも履いている5本指ソックスの上に普通のソックスを重ねばきしたけど、もう遅かった。それにソックスより上のふくらはぎが冷たい。慌ててネット広告で見たふくらはぎサポーターを購入。これは優れもの。
一足だけ買ったので、毎日寝る前に洗濯しているが、いまみたいにさっさと乾かない季節になったらどないしょと、今日あと二足サービス価格とあったので注文した。わたしの衣服費としては大きいが冷え対策なら仕方ない。

スティーブン・ソダーバーグ監督『オーシャンズ12』もおもしろかった

先日見た『オーシャンズ11』(2001)がおもしろかったから『オーシャンズ12』(2004)も見ようぜということでいま見た。わけがわからんところがたくさんあったけれど、最初から最後までわかるところはおもしろいから安心して見ていられた。いろんな人たちが見て、いろんな見方があるだろうけど、ストーリーに猛スピードで引っ張られ終わったら満足すると思う。

泥棒仲間たちのそれぞれの家族や友人たちの関係は親密でアメリカの家族関係について考えさせられた。
今回はエリオット・グールドとアンディ・ガルシアがきちんとわかった。ブルース・ウィリスが本人役で出ておりこれはばっちりわかった。
続けて『13』も見るぞ。

今年のお盆

お盆休み前の酷暑に比べて終わりの今日はいくらか涼しい。午後遅く出かけ買い物しタクシーで姉の家に到着。
ずっと長い間盆と正月は姪の一家と姉の家で合流していたが、去年なにかの都合で流れ、今年はお正月にわたしが倒れたので流れた。今回は別々にやろう、そのほうが姉はお客を迎える回数が増えて喜ぶだろうということで、姪一家は14日に、わたしらは今日16日となった。
晩ご飯をいっしょにと、夕方近くにご馳走を持って行き、少しだけ家事の手伝いをしてから食事。仏壇には義兄のために灯を灯し日本酒と枝豆とお刺身を供えた。

日本酒とお刺身がよくあってうまいと相方はご機嫌。久しぶりにシマアジを食べたがうまかった。プラスお弁当も食べておなかいっぱい。その上に氷菓を食べてご機嫌さん。まだまだあった、羽曳野産のイチジク。残ったのををもらってきたので明日も楽しめる。

失われた2年間を振り返る

今日は8月15日で敗戦の日。ウキペディアには1945年(昭和20年)8月15日に玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日」とある。73年前の今日、わたしは玉音放送を叔父と叔母の家の葡萄棚の下で聞いていた。部屋のラジオからかすかに天皇の声が聞こえていた。集まって来た近所の人たちや大人はみんな「戦争に負けた」「終わった」「よかった」「息子が帰ってくる」と口々にいっている。庭の隅には掘ったばかりの防空壕があって(山梨弁が出てこないので大阪弁)「もうこれはいらんようになったな」「一度も使わんかったな」と叔父さんたちがつぶやいていた。
この防空壕ができたのは最近で、わたしは前日壕の中に入れてもらった。3段くらいの階段を降りると6畳くらいの部屋が作ってある。物を置く場所もあって、お米などの備蓄食料やら衣類の箱やらが積んであった。
いま考えると大人たちは真剣に防空壕に入るとは思っていなかったような気がする。上からの命令だから作ったのだろう。

大阪では3月に大空襲があって、わたしら一家の住まいはB29の爆撃にやられてなにも残っていない。井戸におろしておいた荷物は翌日明け方にとりにいったらすでに盗まれていたそうだ。
わたしは1943年の8月に国民学校4年で大阪から疎開したのだが、翌年3月の大阪大空襲で焼け出された家族はばらばらになった。次兄は甲府の叔父の家で7月6−7日に再び米軍の空襲に遭って火の中を自転車で後屋敷村まで逃げてきた。その後兄は再び甲府に住まいを見つけた叔父の世話になって帰阪が遅れた。

母とわたしと弟と妹は叔母の家の近くの農家の納屋を借りて住むことになった。台所も押入れもない一部屋で隅にふとんを積んで、もう一方の角には勉強机、真ん中に食卓という時代劇に出てくるような貧乏暮らし。土間だけやたらと広かった。近所に住む母の従兄弟が野菜などを土間に放り込んでくれた。ちょっとした植え込みや林では落ち葉などを拾いかまどでご飯を炊いた。チョー貧乏暮らしだったが、気持ちは落ちぶれた姫のつもり(笑)。
ここで1年過ごして、1947年夏に大阪へ帰った。両親と子供7人そろって住むことになったのは狭い文化住宅だった。

※疎開暮らしのあれこれを思いつくままにぼちぼち書いていきます。
疎開から帰ってからは、疎開のこと、山梨県のことを考えないようにして生きてきた。叔母さんに便りもせず、従兄弟たちともつきあわず。いま73年ぶりに記憶を蘇らす。

スティーブン・ソダーバーグ監督『オーシャンズ11』が楽しかった

世の中は『オーシャンズ8』で賑わっているが、わたしはもともとの『オーシャンズ』のシリースを見たことがなかった。『11』は2001年の作品だから随分と前、どうりで昔見たことのある俳優が出てるし、スティーブン・ソダーバーグは『エリン・ブロコビッチ』の監督だったし。
『ロング・グッドバイ』でネコ好きな探偵マーロウをやったエリオット・グールド、『ロルカ、暗殺の丘』で詩人ロルカを美しく情熱的に演じたアンディ・ガルシアも加わってる。うわっ、ありがたや〜
あとで知ったので特定できなかったけど、ボクシングの観客でアンジー・ディキンソンが出てるのを見極めたくもう一度見たい。

『オーシャンズ11』はプロの犯罪者の集まりで、彼らのそれぞれが持つ技を生かして動き、大金を手にするまでの物語である。リーダーのジョージ・クルーニーはいまの時代を生き抜くプロの犯罪者なところがよく似合っていて、よくやっている。その他の俳優たちも自分のやることをよく心得ている人たちで犯罪というよりプロ仕事集団という感じが快い。
続けてあと何作か見る気である。

日が短くなった、秋近し

午後から夕方にかけて部屋でなにかしていて、ふと外を見たら窓の向こうが暗くなっているのに気がついた。日が短くなったんやね。秋近し。
空を見てすぐそこに火星が赤く光っているのを見ると幸せな気分になる。月を探すが見えなくてさびしい。ここは西側しか見えないので仕方ないが。そのうち夜中になってから見えたりするので、気をつけておかなきゃ。ここで流星群見ようなんて無理、無理。

まだまだ暑いが一時の強烈な暑さの日々よりまし。お盆が過ぎたら涼しくなるだろう。もうちょっとだ。

扱いにくい子

叔母夫婦の家(母の実家)へ着いて3日後に噂を聞いて近所に住んでいるK子さんが遊びに来た。ここの国民学校は1学年に1組だから同じクラスになる。母と叔母が仲良くしてねと頼んでくれた。姉にもらった着物を着た人形と着替えの着物を見せると、すぐに着替えさせて遊び出した。「良い着物はどれ?」はすぐに返事ができたが、「いな着物はどれ?」がわからない。「いな」が「否」とわかるまでだいぶかかった。
K子の家はいちばん近くだが道路と畑を隔てたかなり向こうだった。それから2年は否応なく彼女と連れになって過ごすことになった。

わたしは東京で生まれて5歳で大阪に転居したので言葉で苦労した。ようやく関西弁に慣れたのに、今度は関東系の言葉である。もともと無口だったのがよけいに口をきかないようになった。いまそういうと嘘やと笑われそうだが、ほんとに10代のはじめまで無口でとおした。
山梨弁は関東弁をもひとつ田舎弁にした「そうけ」とか「そうずらよ」とか、いまになれば深沢七郎の小説でなじみだけれども、だんだん慣れてきて日常的に使うようになった。
それにしても、山梨県では大阪は異界だった。「この子は扱いにくい」という祖母の口調が思い出される。

むしむし蒸し暑い

最近の我が家は寝る前にクーラーを切って窓から入る自然の風で安眠できている。風のない夜もあるが、寝入ってしまえばこちらのもの。我ながらよく眠れている。

今夜はご飯のときから涼しかったのでクーラーを切ってそーめんを食べた。そーめんプラス野菜と魚の天ぷらで酒なし。
たしか昨日のニュースで大阪市内は今夜半突然雨になると聞いたのを思い出した。ヤフー天気予報でたしかめたら真夜中に雨が降るようだ。午後洗濯して明日の昼に乾くつもりで干してあるのを取り込んで久しぶりの室内干しとした。これで雨が降っても安心。でも、西からの風雨が強いと開けている窓から雨が振り込むのが心配やなあ。安全のためにバスタオルを丸めて窓の前に置いておこう。
ご飯のあと片付けをすませて本を読んでいるが、すっごくむしむし蒸し暑い。