行定勲監督『リバーズ・エッジ』

岡崎京子の漫画を読んだのは1990年代のことで、すごく気に入ったというより、すごく気になった作品だった。行定勲監督により今年封切りの映画になったわけだが、岡崎京子原作の映画化というにはセックスシーンは多いけれども幼い感じがした。

女子高生たちが二階堂ふみを入れてももひとつぱっとしなかった。ぱっとしていたらもう少し楽しかったかも。ゲイの少年を演じた吉沢亮がよかったです。
それとリバースエッジの風景がよかった。

ふくらはぎ用サポーター

猛暑につき「ためらわずにクーラーをつけましょう」というラジオの声に励まされて笑、夜寝るときも数日クーラーをつけていた。快眠はできるがどうやら冷えたらしい。それにクーラーを1日中つけていると部屋の下のほうが冷える。ずっとパソコンに向かって座っていると足の裏から足首くらいが冷たいのでソックスをはいている。これは夏冬変わらず。今年の夏はソックスを履いた足首の上、ふくらはぎが冷たく感じる。

これはなんとかせねばと思っているときに、ツイッターでふくらはぎの保護をしている人の写真を見た。ゲートル風に布を巻いていて調子が良さそう。真似をしようと思ったが、兄が戦争中に中学へ通うのに毎朝ゲートルを巻くのに苦労していたのを思い出して断念。わっこ状になったのがあるかもとネットを探した。
ありました〜 レミントン製のふくらはぎ用サポーターワンダーパワーGというのがありました。ちょっと高いけど、目をつぶって買った。ネット注文してすぐに到着。

さっそく履いてみたら快適で、月曜日からずっと履いている。寝る前に歯を磨いたあとさっと洗って干しておいたら明日の朝には乾いている。もう一足欲しいところだがちょっと高いもんね。当分は毎日洗濯でいく。

わたしの手足はブヨのご馳走

わたしが咬まれまくり掻きまくってデキモノになったブヨは「関東ではブヨ、関西ではブトとも呼ばれる」とウィキペディアに出ていた。小さな黒い虫で気がついたときはしっかり咬まれている。腕と脚は掻いて血だらけ。大阪から持って行ったメンソレをつけたって効くはずなし。富山の薬屋さんの薬を叔母さんが塗ってくれた。血を拭って包帯を巻いたがその上から痒い。現地の子は慣れてるとみえて掻いている子は全然いなかった。それからのまる2年、体操の時間は見るだけであった。おかげで元々あかんかった鉄棒や跳び箱は見学だけ。6年生になっても試験のときなど特別に跳び箱3段(笑)。

持って行った夏物ワンピースを最初のうちは着ていたが、やがて学校からモンペをはくように命令がきた。ピンクに白い花模様のと、グリーンに白い子犬もようの服がお気に入りだったが、絣のモンペに着替えた。それでも母が縫ってくれたピンクを織り込んだ絣だったのが救い。モンペの上からもブヨの噛み跡を掻いていたっけ。

田舎の生活はいやでしようがなかったが、救いは桑の実とあちこちから湧き出す泉だった。ちょっとした石が積まれた奥に冷たい水が湧いていた。村の名は当時「御屋敷村字清水」だったが、地名にまで「清水」と入っているくらい水がきれいなところだった。ブヨに噛まれた足に泉の水は冷たくて気持ちよかった。

ブヨは噛まれたときはもう遅い。腕にたかっているのを見たらすぐに叩くのだが、いつも遅れる。小さいくせに強烈な毒針を持っていた。夕方が特に好みの時間帯みたいだ。
とにかく腕と脚の表面がずるずるで包帯だらけ。傷には包帯しないほうがいいといわれても、汚い腕や脚を出すのもいやだった。

マーティン・マクドナー監督・脚本、フランシス・マクドーマンド主演『スリー・ビルボード』

見たかった映画をようやく見た。主演のフランシス・マクドーマンドはずいぶん前に『ファーゴ』(1996年コーエン兄弟制作)を見たっきり、というか他の作品を覚えていなくて、『ファーゴ』の印象ばかり強く覚えている。妊娠中の警察署長役でアカデミー主演女優賞を得た。最後のシーンで夫の絵が3セント切手の絵柄に採用されたと喜ぶシーンがよかった。それから21年経ってのアカデミー賞だからすごい。

アメリカ、ミズーリ州の片田舎の町で、娘をレイプされ殺された母親のミルドレッドは通りかかった町外れの道にそってでっかい広告看板を設置しようと考えた。広告会社にお金を払って建てさせたのは、「レイプされて、殺された」と娘の死を知らせ、「逮捕はまだ?」と問い、「どうして? ウィロビー署長」と警察署長にたたみかける3枚の文字広告看板。
ウィロビー署長は人格者で町の人たちから信頼されているが、末期がんで死を前にしている。署長の忠実な部下ディクソンは差別主義者でどうしようもないやつ。
ミルドレッドの生活ぶりが描かれる。だれにも妥協せず、自分の思いを通したいだけで突っ走る。

看板が焼かれ、署長は拳銃自殺し、広告会社のレッドは窓から投げられて大怪我し、警察署は火炎瓶を投げ込まれ、どんどん広がっていく被害のなかでミルドレッドは生きていく。

暑いけど、そこそこ元気

昨日の体調不良から元気回復した月曜日。晩ご飯をしっかり食べたのがよかったようだ。
今日は久しぶりに映画を見ようかと、ながらく見たいと思っていたフランシス・マクドーマンド主演『スリー・ビルボード』をさっきまで見ていた。映画のことは明日書くつもり。

暑さが厳しくなってから動作緩慢のためか昼間の用事がずるずる遅くなり、従って晩ご飯が遅くなり、しゃべりが長いから映画を見ようといっても見はじめの時間が遅くなる。それで見終わると12時過ぎているという具合だ。
明日用事をしながら映画の感想を考えて夜に感想を書くとしよう。

熱中症に気をつけよう

うちはラジオでニュースを聞いているが、毎度毎度ニュースの度に「熱中症に気をつけましょう」の声が聞こえて、「気をつけなあかんな」とか「またいうてる」とか、こころの中でつぶやいている。自分では熱中症になるとは思わないが、だれもなると思ってなるわけやないのになるのやもんね。気をつけなくっちゃ。といってなにをどう気をつけるんかしらね。「ためらわずにクーラーをつけましょう」には「はいはい」と声を出して答える。どっちかというとためらうほうである。電気代がいちばん、次が自分の健康、冷やしたらあかん。そやけど健康を気にしてクーラーを消して熱中症になったらアホやな。やっぱりためらわずにクーラー使うか、足に夏布団かけて。

今日はお昼頃までぐっすり寝て起きたがどうも体調が悪い。朝昼ご飯が個食予定だったからシリアルと豆乳とバナナですませた。そのあと水を飲みたくてどんどん飲んだ。朝方汗をかいていてタオルケットが汗びっしょりだった。そのせいで水分不足なんやと合点。
晩ご飯まで本を読んでいたが、いま熱中しているのは折口信夫関係の本である。すごく引き込まれて目を皿のようにして読むから芯まで疲れる。こんな暑いときに読む本と違うと思いながら、折口の愛弟子への愛に引き込まれて離せない。
相方がコーヒーを淹れてくれるそうなので、飲みながらもうちょっと読書を続けて今日はおしまい。

熱中症に用心、冷えにも注意

わたしはあんまり冷房が好きでない。扇風機の風でもいやなくらいだ。薄着でうちわをばたばたと使う。でも、いざというときに困るのはいやだからクーラーはある。例年クーラーをつけるときは「つけよか」と一声かけるとか相談していた。今年はそんな逡巡はひとかけらもない。家にいるときはクーラーが入っている。

いままでとんでもなかった寝るときのクーラー、今年はつけてる日あり、風の吹き具合でつけない日ありである。
つけないときはタオルケットをかけ、つけてるときは夏布団をかけて眠る。どちらにせよ寝つきはよくないが、寝付けば熟睡している。

いまクーラーを消したので暑いが風さえあればオーケー。ベランダに出れば限られた宇宙だが星と月が見える。
8時過ぎに轟音を雷と間違えて洗濯物を取り入れた。すませてからわかった。今夜は淀川花火の日だ。毎年ある花火だが音はすれども姿は見えず。
さあ、そろそろクーラーのスイッチを切って風を通そうかな。
実はクーラーのおかげで部屋全体の足元に冷たい空気がよどんでいる、と思う。おかげで足首が冷えて、ふくらはぎも冷たい。これはうっかりだったということで、ふくらはぎ健康に役立つ脚絆のようなものを注文した。年には勝てんが対策は考えなくちゃね。

疎開少女の友『小公女』と『イエロー・エンペラー』

『小公女』は姉から譲られた本で小学校へ行く前から読んでいた。いまも大好きでときどき読む。逆境から抜け出して幸せになるところがいまだに好き。夜中に物音で目を覚ましたらベッドには暖かい毛布がかかっており、暖炉が燃え、食事の支度ができている。夢かと触ってみるとみんな本物だった。戦争中のこどもにはありえないことだが、夢を見るのは自由だ。

『イエロー・エンペラー』は、戦後になって出た村岡花子訳の文庫本『リンバロストの乙女』上下を大切に持っている。『イエロー・エンペラー』にわたしがあんまりこだわるので読書会に来ていた図書館員が調べてくれたら千里の児童図書館にあるのが判明。わたしは千里まで行って懐かしの本に再会できた。コピーをとってもらって(コピー代6000円払った)大事に保存してある。3年生の誕生日に父から贈られた本で、いま読むと翻訳が下手くそでしかも抄訳だが、空想でふくらませて主人公エルノラに憧れていた。みじめな疎開少女のわたしはこの本で自立することを学んだ。無神経な田舎の大人や子供の言葉がつきささったが、黙って耐えることも覚えた。孤独に桑の実を食べながら。

疎開するにあたって父からたくさんの本を田舎へ送ってもらったが、ほんとうにわたしは本で命をつないだといっていい。これも大事な人形とともに物語を紡ぎながらカイコのガサガサ桑の葉を食べる音を聞きながら眠った。

今年いちばん暑かった

今年は暑さが厳しいが、今日はいままででいちばん暑かった。気温がどうということでなく体感温度だけど。
2週間ぶりに相方と姉の家行き。家を出るなり「あつう〜」。なにわ筋のイチョウの並木からセミの大合唱が聞こえるとよけいに暑さを感じる。スーパーでいっぱい買い物し、タクシーをひろって出発。運転手さんが冷房はこれが最高になってますと恐縮していたが、窓からも天井からも熱気〜。

姉の家につくと木造の平家だから屋根からの熱気がきつい。クーラーはもちろんつけていて、わたしの座る座椅子は風の通り道にある。クーラーから流れる風は冷たいが頭の上は暑〜い。
それでも食欲は3人とも衰えず、お弁当を食べ、ぶどうを食べ、お茶とお菓子を食べた。テレビの左画面には「熱中症注意」と大きな文字が常に出ている。
頼まれていた仏壇の扉の修繕をしたのが今日の仕事。

庭に面したガラス障子を開けると熱気がむうっと入ってくる。外に出ると蚊が押し寄せる。
植木の世話などとんでもない。水だけたっぷりやって今日は終わり。そうそうにタクシー拾って帰った。
晩ご飯は朝寄ったスーパーにまた行ってご苦労さんのご馳走は日本酒とハモちりとカツオのたたき。

桑の枝の皮をむいて供出

山梨県へ着いたのは夏休みがはじまって間もなくだった。母と学校へ行って先生に挨拶したらすぐにお国へ協力するようにいわれた。桑の枝をむいて乾かし束にしたものを二学期の最初の日に持ってくるように。集まった皮は繊維にする。そして軍服になるのだとのこと。
叔父が桑の枝を切ってきて、母と姉とわたしで皮をむいた。わたしにはそんなことするのは無理だったなあ、これも叔父さんが助けてくれた。

母と姉と弟2人が大阪にもどったあとの二学期の最初の日、むいた皮を干して束ねてリヤカーに積んで学校へ持って行ったら4貫目あった。他の生徒はもっといっぱい持ってきていた。10貫目の子もいた。(※1、1貫目は3.75kg     ※2、この行為を「供出」といった)

この皮の繊維で作った軍服が実用になったかは知らない。学校で先生がこれがあんたたちの桑の繊維で作った服と見せたことはあった。ごわごわして気持ち悪かった。

昭和19年夏、国民学校4年生の二学期はこうしてはじまった。