ともだちが減っていく(わたしの戦争体験記 17)

いままで気にしていなかったけど、わたしが4年生の1学期を終えて母の実家の山梨県に疎開する前に学校から去っていった子が多かったようだ。殺伐とした学期末だったと思うが、少しも覚えていない。ただ壽(ひさ)さんとさかえちゃんとの別れがショックだった。『小公女』のセーラのように孤独な境遇になると思うと怖かった。
その頃よく見た夢だが、わたしは座敷に幽閉されていて、ふすまを開けるとまた次のふすまがあり、警護の侍がいて開けたふすまは何度でも閉められる。まさに出口なしの夢だった。トイレの戸を閉めるのが怖くていつも開けたままにしていた。

なんで仲良くなったのか忘れたが堀江の芸者屋の娘の壽さんとしょっちゅう家を行き来する仲になっていたが、一家で引っ越すからと突然来なくなった。向かえに住んでいた1年上のさかえちゃんは、わたしが新町にきたときから引っ張りまわして遊んでくれたが、一家で南海沿線の粉浜に引っ越していった。粉浜では戦災にあわずに済んだそうで、戦後に探して会いにきてくれた。
その他、電気科学館の屋上で遊んだ子、体操の時間をいっしょにサボっておしゃべりしていた子はその後どうなったかしらと70年経ったいま思うのである。

姉(いつもこの日記にでてくる人)がピンク地に白い花が浮かんでいる布でワンピースを縫ってくれた。この服を気に入って夏中着ていたが涼しくなるころにはモンペに変わり、それ以来何年かモンペで暮らした。