テレンス・スタンプとヴァネッサ・レッドグレーヴの『アンコール!!』

ツイッターでタイトルを見かけてメモっておいて、あとで検索したらテレンス・スタンプ主演だって。もういっこ驚いたのはヴァネッサ・レッドグレーヴも出ているって。お二人とも長いことご無沙汰していたが大好きな俳優である。テレンス・スタンプは『コレクター』、ヴァネッサ・レッドグレーヴは『ジュリア』を封切で見ている。二人ともブルーの瞳がきれい。監督ポール・アンドリュー・ウィリアムズは若い人で俳優や脚本もこなしているそうだ。

そんなことより、映画がはじまってすぐ、アーサー(テレンス・スタンプ)が車椅子に妻マリオン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)を乗せて歩いているシーンがあり、うちらは「あれ、あれ」と呆気にとられて叫んだ。アーサーが押している車椅子がうちのと同じなのだ。小さな車輪がついていて一人が座れて一人が押す簡単なやつ。解説を読んだ相方が「アーサーは俺と同じ年や。車椅子も同じやんか」と叫んだ。映画が始まっているから二人で大笑いしたまま画面にもどった。うちの車椅子は背もたれと座席がきれいな紫色の布で覆われている。ちょこんと小さなわたしが座って膝掛けをかける。マリオンは大きいから上着や膝掛けが車椅子からはみ出している。それが可愛いヴァネッサ・レッドグレーヴ、たいした女優さんだ。

毎日アーサーはマリオンを車椅子に乗せて買い物に行き、コーラスの練習場まで送るが自分は中に入らず、外でタバコをすって待っている。
コーラスの先生や仲間に無愛想なアーサーにマリオンは慣れていて受け入れている。ひとり息子がひとり娘を連れてやってくるが、アーサーは来るなという。子供の時から気が合わない親子なのである。

マリオンは癌で化学療法かアイスクリームとポテトを食べて2ヶ月の命かと病院でいわれて、好きなものを食べる選択をする。
アーサーが優しく看取り、マリオンは楽しい夜を過ごした後で亡くなった。

独り者になったアーサーをコーラス団「年金ズ」が受け入れる。それがなかなかストレートにいかなくて笑わせる。実はアーサーは歌が上手いのだ。

最後はおきまりのハッピーエンドだが、笑わせてもらったし、イギリスの年金生活者の暮らしぶりを知ったし、わたしはよしとする。うらやましいよ英国の年金生活者。マリオンとアーサーの住む家は簡素で家賃安そう。

春が来たんやなあ

わたしは年中いつもどこかが痒くて掻いている。特にいまの季節はひどい。下着や靴下など冬と同じだといまの季節になるとそのぶん温もりで痒い。しょっちゅう肩から背中に手を入れて掻いている。人がいると緊張するから痒くならないが、その相手と別れたあとに痒くなる。困ったもんだがそれが死の病ではなさそうだから、そっとバリバリ掻くだけですませている。

いまは花粉症でくしゃみとはなみずに悩まされているが、薬の世話になりたくないから、盛大にくしゃみをし、鼻をかんでいる。これも死の病ではなさそうだ。何十年も前から痒くて掻いているんだから。

という具合で痒くてくしゃみとはなみずが出始めると、春が来たんやなあと思うことにしている。

戦地との交流(わたしの戦争体験記 47)

戦争中の学校にはいろんな戦争協力の行事があった。朝登校すると、校庭の(あれなんていったろう)天皇の写真が祀ってある小さな祠に頭を下げる。前を通るときはいつでも頭を下げるようにいわれていた。たいてい忘れてたけど。「君が代」を歌うときは祠に向かって歌う。それから「教育勅語」と「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」を叫ぶときも。

国民学校2年くらいのとき、戦地へ手紙を出そうという授業があった。兵隊さんに手紙を書けといわれて、あたまをしぼって書いた。知らない人に手紙を書くなんてとぶつくさいう子がいたが、兵隊さんはわたしたちのために戦っているんだからと先生がいって全員が書いた。みんな「兵隊さん、お元気ですか」と書いて書き止まってしまう。次に「わたしも元気で学校に通っています」である。なんとか書き上げて先生にわたすとまとめて戦地へ送ってくれた。

1ヶ月くらいで返事が届いた。全員が書いて出したのだが、返事は何通だったのだろう。なかにわたし宛があってびっくりした。手製の絵葉書になっていて、宛名は名前だけ書いてあった。戦地で敵に見られたら大変だから、まとめて機密書類にして返送してきたのだとのこと。

全体が黄色っぽい色調で、子供の髪を散髪している兵隊さんが描かれていた。さっさと描いたスケッチだがユーモアがあり、添えられた言葉もやさしくてうれしかった。
鼻高々で家に持って帰ったら、両親は一応喜んでくれたが、姉兄たちは「ふん、下手な絵やな」「お前に返事がくるなんてな」という感じで話にしたがらず。

戦地が移動するから宛先が決まらず、こちらから返事は出せないとのことで、交流はそれで終わった。戦地で子供に散髪してあげていた兵隊さん、それからどんな人生を送られただろうか。

洗濯は趣味

昨夜遅く古い友人とツイッターでどーでもいい話して盛り上がっていた。
わたしが家事が面倒だとぐちり、彼女は面倒なことはしないで済ませる方針というようなことをいって、最後に「洗濯は趣味だから除外」と付け加えた。なるほど、洗濯は趣味か〜そういわれるとわたしもその口かも。汚れた衣類を置いておくのが嫌いでどんどん洗ってしまう。洗い物が少ないときは着ているものを脱がして洗うもんなあ。いつも清潔なハンカチ、下着、靴下とうるさいバーサンである。これからは洗濯が趣味といおう。

でも、大物は洗うのは洗濯機だからよいが、干すときに広げるのがおっくう。取り入れてたたむのもおっくう。
こんなことでモンクいってどうする。わたしがこどものときには母親はタライで手洗いしてたんやで。わたしもハタチくらいまでは手洗いしていたような記憶あり。いまは洗濯は趣味。乾燥機欲しい。いやいや、乾燥機よりお陽さんに当てるほうが気持ち良いよね。

面倒くさい家事

家事は面倒くさいが毎日なんとかやり続けている。いちばん肝心な食事の支度は相方に買い物からやってもらっているので、わたしのいまはほんまにラクチンだ。後片付けはわたしがするけど。
掃除をしなくて済んでいるのは新しく買った掃除機が使いにくかろうという配慮。わたしは機械に弱いので最初から問題にされていない。そんなことだと一人暮らしになったときはどないするかということになるが、そのときはそのときのこととして対処するつもり。掃除しないとか(爆)。

台所は冷蔵庫とガスコンロがあるから料理できる。電子レンジなし、食洗機なし。ステンレス鍋がたくさんあるので、弱火で長時間とかなんでも火を通してつくる。食器は流水(湯)で洗って白いタオルふきんで拭く。洗い仕事がすんだらタオルを洗ってベランダの朝になったら陽の当たるところに干しておく。

いま掛け布団カバーを換えたところだが、ほんまに面倒くさい仕事だ。不器用だから布団をまっすぐに入れるのが苦手である。でも今夜寝るときの快適さを思って手間暇かけた。

産めよ増やせよ(わたしの戦争体験記 46)

わたしが子供だったころ、うちは「貧乏人の子沢山」といつも両親が自嘲気味にいってたけど、ラジオや新聞や町内会から「産めよ増やせよ」と聞こえてくる声に「うちは子沢山でよかった」と最初のうちは思ってたみたい。うちの子供は、女、女、男、男、女(わたし)、男、女である。下から二番目の男がジフテリアで亡くなり、産んだのは8人だが育ったのは7人だ。
「子供は7人おりますねん」と子沢山を自慢しているうちはよかったが、すぐに戦争に行く男がいないことで批判されるようになった。姉2人がちょうど戦争に行く年齢なのを女だからと免れ、男2人は兵役年齢よりちょっと若くて学徒動員で工場で働かされた。父親は少し高齢なのでちょうど戦争にとられずにすんだ。戦争がもうちょっと長引けばとられるところだった。

母は町内会で掃除とか集会とかがあると必ず参加するようにしていた。陰口が聞こえてきたが、正面からも嫌味をいわれるようになりくさっていた。でも、それでも戦争にとられずに生きているだけでもええわと小さな声でいってた。

わたしが子供を持ちたくないと思ったのは戦時体験が基本にあるからだ。小学校の1年生で大東亜戦争(太平洋戦争)がはじまって、4年生夏に疎開、4年生の終わりに大阪大空襲で家が焼失、5年の夏に敗戦、6年生で大阪にもどったがきょうだいはあちこちに分散。長い貧乏生活にこんなこともういやだと思った。さいわいに父母きょうだいに可愛がられもせず、自分が稼いだ乏しいお金で自由に生きてきた。

おうちのぜんざいがうまい

毎週近郊からやってくる八百屋さんの野菜がうまい。ぜんぜん知らない菜っ葉などがあって教えてもらうのが楽しみ。最近はやりの青汁用のケールがいつもあるのもありがたい。ケールはうちではヨーグルトやバナナなどとスムージーにして飲んでいるが、うまいし体に良さそうだしすごく気に入っている。

そしてときどきパンやお餅がある。今日は草餅があったので、小鍋で草餅入りぜんざいをさっさとつくってデザートに食べた。
お餅が大好きなので、鍋物に入れ、雑炊に入れ、ぜんざいに入れて食べている。おかげでこの冬は体重増え気味です。

くしゃみ、はなみず、花粉症

おとといの月曜日は車椅子を押してもらって銀行や郵便局の用事を片付けに出かけた。帰りにスーパーへ寄っただけで、ランチもお茶もなし。帰ってから相方のつくったチーズとマーマレードのサンドイッチとコーヒーで和んだ。高齢者カップルの穏やかな暮らし、まんぞく、まんぞく(笑)。

お日さんがぽかぽかしていてマフラーを外したくらいだけど、足元を過ぎる風はこわいのでひざ掛けはぴしっと巻いていた。道中ご機嫌よくしゃべっていたが、なぜかクシャミとハナミズがじゃまする。出かけるときにバッグに突っ込んだハンカチを出してハナをかんだ。何度もハナをかんだのでハンカチはお払い箱にしたが、よそ行きのハンカチがちょっともったいなかったわ。

それにしてもクシャミがすごい。ハナミズもずるずる出てくる。もしかして花粉症か。だけどニュースで「花粉症」と全然目にしなかったように思うが・・・最近は白血病、癌、はしか、インフルエンザばかり話題になってる。

以上のように思っていたら、ラジオのニュースで花粉症に気をつけるようにといっていた。ツイッターでフォロワーさんが通勤途中の花粉がかなわんと書いていた。春だ、花粉だ。

ピンクの鼻緒(わたしの戦争体験記 45)

今日の大阪はとても暖かい。山梨県はまだ雪解けの季節になってないだろうけど、雪解けっぽい暖かさの大阪で回想する。

わたしの覚えている山梨県(約70年前)は、雪は降るがそんなに積もらなかった。積もっても30〜50センチくらいで、それでも田んぼとか道路とか一面の雪景色になる。はじめて雪が降って庭も道路も真っ白な朝は感動した。学校に着くまで雪をかき分けるようにして歩いた。下駄に雪が溜まるので、落とし落とし歩いた。すぐに止まっては下駄どうしの底をばたばたとはたいて雪落としした。雨と違って降りたての雪はぐじゃぐじゃにならないからよかった。

その最初の雪の日からときどき雪が降るようになった。普通の下駄ではラチがあかないので、とっておきの高下駄を出した。母が持たせてくれたピンクの鼻緒がついているおしゃれな下駄でまだ履いたことがなかった。学校ではみんなに取り囲まれて鼻が高かったが、すぐに雪まみれ泥まみれになった。あるとき下駄箱からなくなったので先生に届けたらすぐに見つかって、先生は「どんな高価な下駄かと思ったらこれかあ」とあきれ顔。盗む気がおこらんって(笑)。

雪解けが始まると道路はどろどろで下駄も足袋もどろどろになった。叔母さんの機嫌が悪いので自分で洗ったが、絞るのに力が足りなくて水がだらだら。仕方ないから素足で学校へ行っていた。
ピンクの鼻緒の高下駄は履かないで見ているとすごく可愛かったが、結局は履きつぶしてしまった。

3本の映画を見て思ったこと 『コンスタンティン』『ヒアアフター』『さざなみ』

最近は映画にご無沙汰していたが、ツイッターでキアヌ・リーブスファンが『コンスタンティン』を話題にしていたので見たくなりすぐに見た。どっちかというと好きな映画だが、ちょっとしんどかったかな。キアヌ・リーブスは美しいしティルダ・スウィントンは他に類のない女優だし、文句のつけようがないが、しいていえば重かった。

実は『コンスタンティン』を見る前に『さざなみ』を見ようとしていて、『ヒアアフター』に遭遇してしまい、こっちのほうがよさそうと思った。ややこしい笑。誰が監督かも気にしてなくて、見終わったらクリント・イーストウッドだった笑。二度見たけど全然飽きなかった。

後半で出会うことになる主人公たち、霊能者ジョージ(マット・デイモン)、臨死体験を本にしたジャーナリストのマリー、一卵性双生児だが一人が死んでしまった孤独な少年の3人がロンドンで出会う。出会いの場がディケンズ博物館というのもうれしい。
少年を預かった里親が細かい配慮をしているところにも感心した。

ジョージとマリーが抱き合って映画は終わるけど、このさきの心配はしません。二人はうまくというか、愛し合い話し合って進んでいくと思うから。
いい気持ちで映画が終わってよかった。

それに対して期待を持って見た『さざなみ』だったが、もひとつピリッとしなかった。なんか生活が裕福すぎる。そういう生活を肯定的に見せているところが気になる。裕福でも貧乏でも前向きな暮らしってあるはず。