外がやかましい

お昼前に起きたときは天気だったが午後から曇ってきてついに雨になった。春の寒雨かと思ったが、けっこうぬくかったので助かった。

晩ご飯後、外がやかましい。窓を開けたら消防車と救急車が北から南から足音高く走り抜けていった。そこへピカッと光って雷の音が響いた。さいわいにたいしたことなく静まったが一時はどうなることかと思った(オーバー)。

今日は午後からずっとヴィク・ファン・クラブの会報作りをしていた。まだ3月号をやっている。これから「あとがき」を書かなあかんけど明日中には片付くだろう。ぐだらぐだらやっていたらページどりを間違えて、2ページ分やり直した。プリントしたのを無駄にしないで直せてよかった。紙代とプリンタインキ代とが頭をよぎったが、できあがったところをうまく利用できてよかった。こういうところはなにもかも自分ひとりでやってるから腹が立たない。
今月も自己満足して来月へまわす。

よう冷えまする

遅い朝昼兼用ご飯を食べているときは窓から入る日差しが暖かく心地よかった。コップに挿した菜花が半分くらい咲いている。3日に一度くらいはテーブルの上の花を替えているが、いつも菜花の種類の野菜の花である。今年はあまりにも可愛いので写真に残すようにしている。
毎日花を愛でながら、菜花とあさり炒め、菜花としらす、菜花の炒めたの、菜花のスパゲッテイなどを食べる。

今日の昼はこのまま昼寝したいと思うほどに窓から入る日差しが暖かく気持ちよかった。そのあとは洗濯物を取り入れて、次のを洗濯機から出して干してとベランダの用事を片付け、続いて台所の洗い物を片付けた。
その後におやつ、番茶を淹れて昨日八百屋さんにもらったあん入りのお餅を半分ずつ食べた。

ラジオのニュースでいってたが、来週そうそうぐらいからぐっと冷え込むらしい。今日明日はまだ暖かいそうだ。
でも、そんなことはないような気がする。いまは昼と比べるとぐっと寒くなっている。早く片付けて早くお風呂に入って早く寝るべし。

電池の見分け方

先日、姉のいる施設に行ったとき、整理箪笥の上にちょこんと座っているぬいぐるみの猫が少しも鳴かないのに気がついた。猫ちゃん静かやなあといったら姉が多分電池切れやと寂しげ。相方が「ぼくが電池を買いに行きますわ」とすぐに近くにあるスーパーへ走った。
もどってきて電池を3個交換したらすぐにニャーと鳴いたからホッとした。

姉も喜んだのでよかったが、買った電池は4個だったから1個は持って帰った。その1個を相方が机の上に置いたのを、わたしは使い古しの電池と勘違いしていつも使用済みを入れている容器に放り込んだ。

さて、今日になって「机の上の電池はどうした?」と聞かれて、そこの箱の中と返事したら「あれはサラやで、使用済みと勘違いしたな」と箱を見たらパナソニックのアルカリ乾電池が合計2個あった。「どっちや」「知らんがな」とやりとりしてから、もしかして調べ方があるかもしれないと「電池の見分け方」で検索した。

ありましたよ。説明がていねいでやさしく、動画がわかりやすくてその通りにしたらすぐにできた。乾電池1個のイノチが助かった。

月曜日は歯医者、水曜日は整体院

月曜日は3ヶ月に一度の歯科検診に行った。ぐらつく歯があるのだが、自然にまかせようとのこと。いよいよとなったら抜くしかないが、それまで自然に使っていく。なんかあったらすぐに来なさいとのことで安心して帰ってきた。

あんまり強くない歯をよくここまできれいに使ってきたと褒められたけど、年齢には勝てないのでいままでどおりに歯磨きをちゃんとして、少しでも長く使うように気をつける。さいわいに歯が痛いということがないので現状維持を少しでも長くできるよう頑張る。

今日は整体院に行ってきた。背中や肩のこり、目の疲れをマッサージでほぐしてもらっていい気分。週に一度整体院で手入れ(文字通り手を入れてもらって)しているから、この体調を維持できているのだと思う。しんどくて寝込むとかないもんね。通っているうちにいくらかでも体力が回復したらいいな。

さっき姪に電話して姉のことをあれこれしゃべった。一人暮らししていたときよりも健康になった。一人暮らしの時は出来合いやカップ麺やお菓子で栄養失調やったんちゃうか。そうやな顔色がようなったな、長生きしそうやな。生活の違いを受け入れる適応力があるんやな。などと話はつきなかった。

姉に面会してきた

今年になって姉の面会に一度も行ってなかった。家に行ってたときは行ったらなんなりと用事があったし、買い物を山ほどして行ったから達成感があった。ただしおかげさまで体が疲れた。
去年の秋からどことなくしんどくて動くのがおっくう。姉の世話は姪二人がしっかりやっているので、なにもかもおまかせである。

午後からタクシーで施設まで。すぐに到着したけどお金がずいぶんかかる。家に行ってたときはタクシー代と買い物品代が出てたからいいけど、自前ではしんどい。地下鉄だと回数券を持っているが、街歩きはいまのわたしには無理だからしょうがない。
ということでタクシーでびゅっと着いて、姉の部屋に行くと機嫌よく高校野球を見ていた。施設内に美容室があるから髪はきれいにセットされているし、毎日着替えている清潔な普段着で横たわっていて、わたしらの顔を見ると介護者に起こしてもらって「久しぶりやね」とご機嫌さん。部屋は暖かく居心地よくしつらえてある。家から運び込まれた本や小物が置いてあり、ぬいぐるみの猫ちゃんも座っている。

2時間ほど雑談していると、猫がちっとも鳴かないのに気がついた。どうやら電池切れらしい。相方が近所のスーパーへ電池を買いに走り、はめ込んでやると猫はニャーと鳴いた。今夜もしっかり鳴いておくれ。姉はここの生活にすっかり慣れたみたいなので一安心した。

施設では5時から晩ご飯ということで、食堂へ行く姉と別れて広い道路に出てタクシーに乗った。
早く帰れたので晩ご飯は家で日本酒とお刺身。

手本は二宮金次郎(わたしの戦争体験記 51)

戦争中はどこの学校にも二宮金次郎の銅像があったらしいが、わたしが通った西六国民学校にあったかどうかは記憶が定かでない。天皇の写真が納めてある奉安殿はあったが、金次郎さんはあったかな。疎開した山梨県の後屋敷国民学校にあったかどうかも覚えていない。立っていたといえるかどうかわからないけど、学校にはあるものだという思い込みはあった。たいていの学校にはあったらしいから。

絵本にはちゃんと本人と住んでいた村のことが出ていて、金次郎が大人の人格者に成長し出世した話が書かれていた。二宮金次郎は実在の人物だったようだ。

銅像はどこも同じで、大きな薪の束をかついだ金次郎が本を読みながら歩いている姿だ。
歌の歌詞を思い出すと
「柴刈り、縄ない、草鞋をつくり、親の手を助け、弟を世話し、きょうだい仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」
というんだった。

わたしは4年生のとき「わたしも二宮金次郎みたいに歩きながら勉強しよう」と思い、ランドセルを背負って本を読みながら歩くことにした。結果はつまずいてこけ、手のひらと足のすねを擦りむいた。田舎道だから、街っ子には無理だった。

あさりの味噌汁

昨夜の予想では今夜のおかずは、菜花とあさりを炒めたのにするはずだったが、予定変更して味噌汁になった。汁のほうが栄養分を全部食べられるからとのこと。

まず赤ワインでイワシのグラナダ風はスパニッシュな味でおしゃれ。そのあとはご飯であさりの味噌汁と鯖をしっかり煮付けたのが出ておなかいっぱい。あさりの味噌汁がうまかった。ほんまに栄養分をのがさずに摂った。
いま番茶とかりんとうで簡素なデザートの最中である。映画を見るつもりになったので、こうして片付けて次は食器洗いをする段取り。その後に映画。楽しみだ〜

あさりと菜花で浅い春

春はあさりのシーズンということで、今夜はあさりと菜花を炒めたのとイカの煮付けをおかずに日本酒を飲んだ。わたしはさかずきに1杯だけだが4合瓶が空いた。
今日の夕方にまたあさりを買ってきたので、明日のお昼はあさりのパスタ、夜ご飯はまた菜花とあさりを炒めるそうだ。

今夜はすごく寒い。朝起きたときはそうでもなかったが、午後からやけに冷える。夜になったら一段と冷えてきた。晩ご飯を食べたら11時近いんだからしょうがないけど。
片付けたらお風呂で温もって早寝しよう。その前にストレッチしなくては。今日は会報づくりで肩を凝らしたからお風呂でも体操、出てからも体操、そして肩に湿布貼って安眠する。

夜霧よ今夜は・・

昨日の真夜中のこと、いまツイッターを確かめた。こう書いている。
「夜中の1時ごろ、布巾を干しにベランダへ出た。なんとなく空気がよどんでいる。外を見たら南北とも夜霧で景色が見えなくて驚いた。風がないから淀んでいるのかな。この家にいてこんなすごい霧を見たのは初めてだ。

わたしは寝る前の片付けをしたら最後にまとめておいてある布巾を洗って干す。明日の朝のお日さんが当たるように。
そのときに空を仰いでお月さんが出てたら大儲けの気分になる。だいたい西の方向しか見えないから見たときにお月さんがあると断言できないが、見えたらラッキー。

昨日は月どころではない。南の方が霧で覆われている。北の方をみたら、こっちも霧の中。「夜霧よ、今夜はありがとう」。すごかった。霧が立ち込めて街灯などがぼんやりと見える。明日は金曜で仕事だからたいていの窓は暗い。
それからお風呂に入ったりして約1時間後に窓を開けた。ちょっと薄くなったようだけどまだまだ濃い霧に覆われている。でも、今度は月が見えた。頭上に小さな丸い赤い月が見えて、これまたラッキー。

森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。