森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。