千人針(せんにんばり)(わたしの戦争体験記 62)

千人針(せんにんばり)。思い出すのもいやな言葉である。いやなのは前回書いた「パーマネントはやめましょう」も同じで、忘れていたいいやな記憶である。戦争中のことでいい思い出はないから、書こうと思いついたときからわかっていたが。

大阪西区の西六(さいろく)小学校に通っていたとき、たまに映画や紙芝居や講演があった。映画は新しい建物の講堂で生徒全員、紙芝居や講演は木造の各教室で行われた。紙芝居は銃後の民(前線に行かずに後方にいる女子や子供のこと)のわたしたちを啓蒙するためのものだった。
ストーリーがあって、銃後の妻が鎌で手を切ったりしてあっとのけぞると、その同じ時間に戦地で夫が戦死したのが後でわかる。
映画では飛行隊ものが多かったような気がする。勇ましくかっこよく出撃するシーンを主題歌とともによく覚えている。
ようするに、わたしら銃後の民は兵隊さんの苦労をありがたく思い、支えていかなければならないということだった。千人針もその一環だった。

千人針というのは1メートルくらいの長さに折った晒し木綿に赤い糸で結び目をつけたもの。何センチおきかというと・・・左右2センチくらいかな。とにかく1000人から針目を作ってもらうわけだ。市電の停車場とか盛り場の曲がり角とかで女性が2、3人立って、通る人に頭を下げていた。
何度か「千人針」をやってきたと姉たちが仕事から帰ってきて報告してた。会社の人から預かって家族全員が刺したこともあった。「これで弾がそれるのかねえ」というようなことは誰もいわなかった。