ポークランチョンミート クラシックでゴーヤチャンプルー

ひと月くらい前までゴーヤチャンプルーは普通の豚肉でつくっていた。わたしの得意料理で作る人が変わっても疑問を持たずに食べていた。
何年も前に沖縄ファンの友人が大正へ沖縄料理を食べに行こうと誘ってくれたが、ふむふむとなまぬるい返事をしていた。そのとき行って本場のを食べていたらなあといま思うのである(笑)。まあ、いまからでも遅くない。まだ何度か夏を迎えられるだろう。今年だってゴーヤをあと何回か買えるだろう。

今年になって相方が輸入食品店で買ってきた「スパム ポークランチョンミート クラシック」でつくったのがうまかったので、「うまい、うまい、またやって」とリクエストしていたら、今日また買ってきてつくってくれた。
「これが本場のゴーヤチャンプルーやな。沖縄のソールフードや」と喜んで食べた。豚肉がさっぱりとしてうまい。アメリカとオランダの缶詰があるそうで、今日はアメリカだった。

今年もきた! じんましん

昨日の夕方は上島珈琲店で涼しいところに長いこと座っていて、帰りは風が通り過ぎる道を車椅子に乗せてもらって、帰ってからは座って本(村上春樹『羊をめぐる冒険』)を読んでいた。寒いとか冷えるとか思うときがなかった(思って対策を講じるべきだった)。

膝から下が冷えたのを実感したのは真夜中過ぎて暖かいベッドに横になってから。冷えたとか寒いとか温まったとかでなく、ひたすら痒い! 左を掻いていると、右が痒くなる。足を掻いていると肩が痒くなる。全身あちこちが勝手に痒くなる。掻くと気持ち良い。あっちからこっちと眠くなる暇がなくて掻きまくり。

ああしもたと思ったときはもう遅い。痒みがひととおり通り抜けないと終わらないのである。
まあ、掻くと気持ち良いからいいとしようと頭の中の意識が言い、手は上にいったり下にいったり、足の裏にいったり、耳にいったり。

かなり掻いてから知らぬ間に眠り込んでいたようで、目が覚めたら朝で、痒みはどこへいったやら。爽やかな目覚めだった。

近場ぶらぶら

もうすぐお彼岸だ。ここ数年ずっとお彼岸に彼岸花を見るのが楽しみ。うちの近所の、つるかめさんに行く途中に毎年彼岸花が咲く場所がある。歩道から1メートルほど車道に突き出た当初は街路樹が植えてあったところ。いつのまにか木が枯れて片付けられ、代わりの木は植えられず、雑草園になっていた。数年前にそこに1本彼岸花がすらりと伸びて咲いた。それから毎年花の数が増えている。ふだんは見向きもしないところだが、秋のお彼岸近くなるとがぜん気になる。先週つるかめさんに「来週は咲くで」といった。今日つるかめさんに行くのに相方とそこを通ったら1本咲いて蕾をつけた茎が10本以上伸びていた。

近くの食堂で働いている女性が「お花きれいですね」と声をかけてきた。「毎年楽しみにしてますねん」「だれか世話をしているのかしら」「勝手に生えて咲いているんですよ」とやりとり。
帰りにまた寄ってみたら、彼岸花以外の雑草が抜いて横においてあった。さっきの女性がやったのかな。来週通るのが楽しみ〜。

つるかめさんが済んでから迎えに来た相方がお茶しようと1丁目方面へ。オリックス劇場前の公園横のライオンキッチンで野菜を買った。ここは「道の駅」みたいにブリキ缶にお金を入れて野菜を勝手に持っていく。公園横の道は東西に風が通っておそろしいほど。帽子が飛ばされないようにおさえていた。

お茶は最近お気に入りの上島珈琲店へ行くことに。1本南の道へ出る前に相方が「ここや」というので見たら雑貨店のドアに人形劇団クラルテの『女殺油地獄』(おんなころし あぶらのじごく)のポスターが貼ってあった。この前見てすごいというてたやつがこれや。
すさまじい河内屋与兵衛の上半身の絵姿にくらくら。お店の人が出てきはって、近松門左衛門、文楽、歌舞伎、クラルテの話を熱を込めてしてくれた。「クラルテ」懐かしいなあ、いまもやってはるんや。

『女殺油地獄』の絵と説明してくださった老婦人とに丁寧にお別れして上島珈琲店へ。コーヒーとケーキを頼んで大きなソファに席を取った。
ここは外にいるとジャズが大きな音で聞こえるんやけど、中に入ると音無しなのがよい。
トイレがビルのトイレを使うようになっていて、知らずに直接トイレに行くとドアが開かない。カウンターで一声かけると遠隔操作で開けてくれる仕掛けになっている。わたしは知らずにそろっとトイレに行ったところ閉まっていて混乱した。すぐ後に来た女性が戻って聞いたら開けてくれてやれやれ。

とてもおもろい週の半ばの寄り道だった。
帰りは半袖では寒いくらいだった。
彼岸花は咲いてるし、秋やなあ。

待ち時間

午後4時に近所の整形外科に行った。待合室は超満員。3連休のあとだから混んでいて当然だが、この前までは混んでるやろなといいながら行ったのに、まるで混んでなかった。今日看護師さんに聞いたところでは、暑いときは午前中に集中してたらしい。わたしが行った午後の待合室はぱらぱらといるだけだから、ついこの医院大丈夫?と思ってしまった(笑)。そうなんだー、ごめんなさい。

今日はせっかく来たんだから待つことにして、終わったらメッセージして迎えに来てもらうことに。たまにはテレビを見るのもええやん。うちにはテレビがない。姉の家では見ながらご飯を食べたりお茶していたが、姉の家がなくなってからはまったく見てない。見たいとも思わないからいいんだけど、たまには社会勉強に見ておかないと。

ということで、待ち時間2時間半、民間テレビをずっと見ていた。テニスの大坂なおみさんのインタビューが楽しかった。あとはニュースで千葉県の大変な様子を知ったこと。
今度からは待ち時間の過ごし方を考えなければ。本を持っていくかな。まあ2週間に一度テレビの日もいいか。

兄たちのゲートル(わたしの戦争体験記 68)

去年の初秋に買ったふくらはぎサポーターの具合がよくて、真夏を過ぎたころからつけている。クーラーの効いた部屋にいるときに最適だ。贅沢をいえばもう少し長くて膝もカバーできたらいいと思うが、膝のサポーターは別の製品になるのだろう。膝のほうはけっこう前から何足か持っていて真冬にはタイツと二枚重ねにしたりする。

わたしが国民学校3・4年生のとき、上の兄は中学生、下の兄は国民学校5年か6年だった。二人とも学校へ行く朝は玄関でゲートルを巻く。
学生服なのか国民服の学生版なのか、二人とも国防色の制服を着て足にはゲートルを巻いていた。ゲートルを巻くのが毎朝の行事で、上の兄は何日か何週間かしたら上手に巻けるようになった。7センチくらいの幅の帯のようなもので、足首から膝下まできっちりと巻く。足首は細くふくらはぎは太いから普通に巻くわけにはいかない。途中でひっくり返してうまく婉曲している部分にそわすのだ。

できたできたと上の兄は得意そうに出かけてしまい、下の兄は悔しくてゲートルを投げたり、ぐしゃぐしゃ巻きして出かけたりした。「足を出しなさい」と母がいって巻いてやることもあったが、しっくりしなくて学校の先生に叱られたり殴られたりしたこともよくあったようだ。
そのころからふくらはぎってナンギやなあと思っていたが、いま使っているのはふくらばぎにぴったりと張りついて快適である。

母親は兄たちのゲートルの布地を「スフ」といっていたが、毛織物、綿織物の代用品として用いられた布だ。ステープルファイバー (短繊維) の略なんだって。桑の木の皮が原料の布に触った感じに似ていた。
スフの服にスフのゲートル、母は可哀想だがそれでも着るものがあるだけましといっていた。

涼風で快眠

今年はいつまでも暑い。でも暑いながらも夜になると涼しい風が通り過ぎる夜があって、朝起きたときに「よう寝たなあ」とありがたく思う。今朝、ではなくて今日の昼も、たっぷり眠って満足して起きた。10時間以上ぐっすり寝てたんじゃないかな。明け方や午前中にトイレには起きたんだけど、すぐにまた睡魔のとりこになっていた。

今年はお盆過ぎても暑かった。やっぱりあの連日の猛暑の疲れが残っていてからだが疲労している。からだのためにクーラーつけろというけれど、わたしの場合はクーラーつけて寝たら冷え過ぎるのでご用心なのである。かねあいが難しい。

今夜は夕飯後にクーラーの出番がなくなって、熱い番茶がおいしい。窓からの風が部屋を具合よく冷やしてくれている。
今夜はきっと気持ちよく快眠できるはず。長袖パジャマを忘れずに。

奈良でお月見したい

こよみによれば、昨日13日は中秋の名月で今日14日は満月とややこしい。まあどちらにしても美しい月さえ見られれば満足だ。うちのベランダからはまだ月は見えない。昨夜は何度も見たけど雲がかかっていた。今夜の夜中はどうだろうか。

子供のときからお月さんを見るのが好きだった。「わたしがあるく、おつきさんがあるく」と活字が入ったお月さんと女の子の絵がある絵本を父が買ってくれたのがお気に入りだった。
山梨県から大阪方面を眺めたくてもどっち方面かわからんかった。眺めて郷愁にひたりたかったけど4・5年生では無理だった。四方が山だらけの盆地で「大阪はどっち?」とよう聞かなんだ。

元々奈良が好きで家族や友人とよく出かけていたが、たいてい早く出かけて帰りも早かった。夫と暮らすようになってから夕方の奈良を楽しんで夜遅く帰る楽しみを知った。
ある年の9月、今夜は月見をしようと勤務先を出る前にお酒を温めて魔法瓶に入れ、電車に乗る前にデパートで弁当を買い奈良行きの電車に乗った。

飛火野までいくと、かなりの月見客がいたが7時ごろには帰っていき、わずかな人たちが月見の支度をしている。ススキを立てて、その下でお茶をたててる人もいた。月が出てきて浅茅ヶ原方面が怖いくらいの光と陰。鹿が静かに寝転んでいた。
老夫婦が茶をたてていて風流だった。でもわりとみんな早く帰ったので、鹿といっしょに残っているのが怖くなってわたしらも帰った。

数年後に姉夫婦と4人でおとづれたときは早い時間に行ったので、小道で葛の花を見ることができうれしかった。原っぱにいるのはいやだと義兄がいいお店に入ってうなぎをご馳走になり早く帰った。

いつかまた、奈良でお月見したい。

いつまでも暑いなあ

昨日はヴィク・ファン・クラブの会報を送る封筒にゴム印を捺し宛先ラベルを貼って、出来上がった会報を三つ折りして封筒に入れ、切手を92円分貼って封をした。カンパの切手がたくさんあるので、金額を確かめつつ貼っていく。古い切手はわたしの切手帳に残っていたもの。金額が細かく半端なので計算しながら貼っている。まだ残っているのでもうしばらくはやらなきゃ。たまにびっくりするほどオシャレな切手があり使うのがもったいなくなる。いまごろは滅多に手紙を書かないし、置いとくよりも使うように心がけている。絵葉書がすごくたくさんあるのもなんとかせねば。便箋セットなんかもおいてあるけど使わんとあかんね。

昨日の夜はオムライスを作ってもらって和んだ。作ってもらうとうまい(笑)。
作るのを見ていて日記に書いたら独断と偏見に満ちていたようで訂正を求められた。どうやら自分で作ったときと混同していたみたいで、申し訳なく今日訂正した。

暑さと湿度が体にも頭にも影響しているみたいだ。暑さもだけど、わたしのからだには湿度のほうが影響力がある。
今日は晴れていたけど膝の痛みがきついから湿度が高かったのでしょう。
毎月の会報作りが今月も大幅に遅れたけどできたからええとせんかい。

オムライス

昨夜のこと、明日はオムライスやろうと思うといわれて「えへっ」となった。オムライスなんて長いこと食べてない。最後に食べたのはいつどこでだろう。こどものときのデパートの大食堂を思い出したが、あれはお子様ランチだった。おとなになってからは会社の用事で出かけた帰りに喫茶店に入って食べたっけ。いつのことやらかなり昔の話。

自分ではつくったことないし、つくってもらったこともないし。いやいやつくったことはあるが失敗だった。焼いた卵がうまくご飯にかぶさらないのだ。ご飯の量が多すぎるという簡単な事情だが、残りご飯の整理を兼ねているから(笑)。

今夜はつくるのを見ていた。(1)オリーブオイルでニンニクを炒め、玉ねぎを炒め、鶏肉を炒め、ご飯を炒め、ケチャップを混ぜたのをボウルに入れておく。(2)以上に使ったフライパンで溶いた卵を広げて焼く。(3)卵にボウルのご飯をがばっとのせて皿にとる。
おおっ、うまくいった! 続けてもう一皿! 並べてケチャップをかけてテーブルへ。先につくってあったサラダとかぼちゃの煮物をそれぞれ皿に。お酒はなし。

(※昨日は見ていたのと自分の作った記憶がごっちゃになってへんな作り方になってました。作り方を改めて書き直しました。)

濡れずにすんでラッキーな日

午後につるかめ整体院へ治療に行ったんだけど、外に出たら北の空一面がどす黒い。「こりゃあかんで、つるかめさんに行ったらおれは出直すわ」と相方がいう。わたしを置いて出直して淀屋橋の野菜市へ行って、あとはなんとか雨次第だと。
雨は大降りだったけどうまく買い物してもどれたそうだ。わたしのほうは治療中は大雨で、終わったときには降り止んでいた。先日のカレーの日と同じくうまく土砂降りを避けられた。ラッキーラッキー、相方がつるかめさんに迎えにきてくれたときはやんでいたからほんまにラッキー。こんなことでもついてるのはうれしい。相方が洗濯物を入れて出かけたのでこちらもラッキー。

おととい買ったスイカと今日買ってきた草餅とおやつがぎょうさんあってうれしい。いつも買う草餅はほんまに手作りの味で、どっしりとしたお餅とずっしりと入っているアンコがめちゃうまい。ほうじ番茶がまたまたうまいので自然に顔がほころびる。
スイカは晩ご飯後のデザートになった。あと1回食べられるが、これで今年は終わりかな。