食べ過ぎに気をつけろ

このトシになって、食べ過ぎてお腹がいっぱいと書くなんて無神経な。いやー、ここ数日のコロナ騒動で気持ちが荒くなり、お腹が減ってしょうがない。そして食べて食べて、そして結果は太る心配笑。お腹にお肉がついてきた。どないしょう。

家にこもっておいしいものを食べ、どっさりと脇に本を積んでいる。村上春樹の読んでない本がまだまだある。いま読んでいるのは『アンダーグラウンド』で、まだ半分くらい残っている。分厚い本で1ヶ月以上かかってここまできた。すごくいい本だ。
おととしくらいまで読まず嫌いで「春樹って大嫌い」だったのに去年から変身した。人間は変わる笑。いまは「春樹さん素敵大好き」である。

なにかあってこもる必要があるときでも、春樹さんの未読の文庫本が10冊以上ある。再読したいのもたくさんある。ただ本を読みながらの食べ過ぎには気をつけろ。

灯火管制(わたしの戦争体験記 83)

21日に書いた「記憶の夜店」から記憶をたぐっていって「ラヂオ焼」にいたった。記憶の中の夜店は「戸屋町の夜店」だった。阿波座から四ツ橋へんまで連なる長い夜店だったという。父親と兄たちといっしょに夜店をぶらつき「ラヂオ焼」はテントを見るだけで食べさせてもらえなかった。四ツ橋から住まいに帰る道はびっしり民家が建っているが、みんな灯火管制によって灯りは少しももれてなかった。薄暗い街並みを黙々と歩く一家。話す声も抑えたヒソヒソ声でたよりない。それでも兄たちは落語の物真似をして笑わすのだった。

家に帰っても電灯は笠にかけた黒い布におおわれているから、立って本を電灯の下に広げて読むのだった。兄が場所をとってしまうので、わたしは引き下がっていた。「あんたはおてんとさんが出ているときに読みや」と母がいうし。

夏は戸を開け放してすだれやのれんを下げているが、灯りは防げても声がもれるのが難点だった。とにかく子沢山なので、灯りも声も押し殺さねばならない。どちらも漏れると隣組の会長さんから苦情が来る。ひっそりと、ひっそりと暮らしていた。それにうちは子供が7人もいるのにひとりも戦争に行ってないので肩身が狭い。姉たちは女だから免れ、兄たちは2年ほど年齢が低いので免れていた。

今夜もうちで夜更かし

昨夜は夜の9時から Contact Tokyo がストリーム配信した “Live from STUDIO X” を視聴していた。コロナのおかげで外出を控えている夫が聞きながら踊るんじゃないかと思っていたが、前半は食事の支度、後半はじっと座って見聞きしていた。こういう音楽を聞くのにはこういうスタイルなんだって。わたしは画面とテーブルをはさんで真正面の特別席に座って上半身を揺らして楽しんだ。

わたしはここ数年間クラブに行ってない。週に二度か三度は夜遅くというより翌朝帰ってくる夫といれ代わりに起きて一人ご飯を食べていた。音楽を聞くのも夫の買ってくるのを聞かせて頂いている 笑 。
昨夜は久しぶりに現場の音とDJたちの身振りにふれて楽しかった。画面を見ているとからだが自然に動く。わたしはハタチ過ぎてから60年代70年代とジャズを聞いて生き、40歳代の80年代にはパンク少女だったが、いまここにきて、DJがつむぎ出すクラブ音楽を聞いている。
コロナに好かれるらしい70歳代を過ぎて80歳代になって足がよろよろ、よろぼし(弱法師)状態であるが、上半身をゆすって上機嫌なんである。

今日もコロナのニュースばかり

朝から雨が降っていて憂鬱な一日。
午後からマッサージ機を借りて1時間モミモミしてもらってきた。機械だけど、気が効いていて凝っているところをほぐしてくれる。雨が降るとひざが痛み出すのが当たり前になっていてどうにもしょうがない。
コロナが気になってニュースを追いかけているが、どうなるのだろう。東京のスーパーの様子など知ると、次は大阪もなるだろうと気分が暗くなる。

夜の9時から晩ご飯のかたわらパソコンに向かってクラブパーティの配信を見ていた。「Contact Tokyo でパーティの配信があるそうで早速会員登録した」夫のおかげで最新のクラブミュージックを聞いている。

コロナと戦争 どっちが怖い?

昨夜は姪と電話でいろいろ話して気分がすっと明るくなった。姪のほうも明るくなってればいいな。話の内容は明るいものではないが、言葉を交わして笑いあって気分が晴れた。

コロナ怖いの話の中に「おばちゃんの長い人生で怖かったのは戦争?それともコロナ?」というのがあった。「ちょっと比べられへんけど、そりゃ太平洋戦争は大変やったで。家は丸ごとアメリカの爆撃で焼けたし、知り合いは死ぬし、食べるものはないし・・・」「ふん、おかあちゃんからよう買い出しの話を聞いたわ」
彼女の母、つまりわたしの姉は母といっしょによくサツマイモの買い出しに出かけていた。少し年下のわたしは買い出しに行くのは免れて食べるほうだった。
疎開から帰って住んだところはちょっと田舎だったので、イモを背負ってくる代わりに、散歩しながら道端の草を抜いて帰ったりした。わたしはタンポポやセリなど見つけるのが早いので「歩く植物図鑑」といわれたものだ。

コロナと戦争どっちが怖いか。コロナは進行中である。比べるのは終わってからだ。

暗い春

昼過ぎに出かけるとき、うちから二番目に近い公園に寄った。桜が咲きかけ、乙女椿が何本か花をつけている。わたしは椿が好きで、なかでも乙女椿がいちばん好き。でも今日はあまり浮き立たなかったなあ。
歩道では辛夷が地味に満開だ。足元の雑草が黄色い小さな花を咲かせている。ウキウキするはずの春先の風に吹かれているのに気持ちは暗い。そう、コロナのせいだ。

夕食後に姪に電話してお互いの身の回りの話をして盛り上がった。コロナのせいでジムに行っても隣の人と距離を置いて練習しているそうだ。
先日横浜の妹から電話があって、デイケアが早くから閉めてしまって訓練できないとグチっていた。イノチ優先だからしゃあないね。

わたしはデイケアの見学に行っただけでまだ入会を申し込んでない。こんな感じなら、コロナ騒ぎが落ち着くまで待ったほうがいいかな。

おうちで体操

外を歩き回れればいいがどうも足の具合がぱっとせず、それに新型コロナウィルスがこわくて家に引きこもり気味だ。家にいるならせめて体操しようと理学療法士のKさんに教えてもらった体操や健康雑誌で知ったストレッチをしている。それにプラスしてアロママッサージがわたしの健康維持方法である。一応内臓は丈夫だと思っている。

今日は手縫いのマットを敷いてごろんと寝て足腰の運動をして、テニスボールストレッチをして、本を見ながらジャンケン体操などした。業者さんがもうそろそろ来てくれるはずなのだが、玄関から部屋にかけて手すりをつけてもらう。そしたら手すりをにぎって体操しようと楽しみにしている。
ベッドに取り付けてもらった補助具はほんまに役に立つ。2本の横棒のどちらかを握ってヨイショと起き上がる。夜中のトイレと朝目が覚めたときと握って起き上がっている。なんか自分が年寄りになった気がするが、年寄りなんだから仕方ない(笑)。

健康診断書を書いてもらった

デイケアのお世話になろうと決めたのだが、明日からというわけにはいかない。必要書類がいると係りの人に用紙を手渡された。自分で書くものの他に健康診断書がいる。渡された用紙を持っていつもお世話になっている整形外科のF先生にお願いした。健康保険が効かないから現金払いだよといわれたが、滅多にないことだししゃあないなあ。

わたしは健康診断って長いこと受けたことがない。会社勤めのころは年に一度か二度受けていた。レントゲン写真を撮り、医師の診断を受け、目の検査をして、それからなにをしたのかな。半日仕事だった。全部が終わるとほっとしたものだった。20年も働くとサボることを覚えてその日は休むことにしたが、数日後に医院から電話があって追加で診てもらうことになったりして。

今日はちゃんと予約をして行った。待ち構えていたベテラン看護師さんにつかまってさっさとはじまったのは、心電図、レントゲン、血液検査、血圧、尿検査、身長、体重、咽喉検査、これだけだったかな。
料金を払って帰ったがなんだか疲れた。結果は1週間後に知らせてくれるそうだが、なにもひっかからないといいけど。
83歳までは健康優良児だったんだけどね。1年くらい前に血液検査だけしたときは先生が驚くほどいい結果だったんだが、いまはあのときの自信がない。結果が出るのを待つとしよう。

おうちでかけ蕎麦

おやつというか、昼ご飯と晩ご飯の間にちょいと食べるのはサンドイッチが多かった。最近少し変化して、昨日は焼きそば、今日はかけ蕎麦だった。焼きそばは豚肉とキャベツが入っていてソースの濃い味がうまかった。今日は刻みネギたっぷりのかけ蕎麦で、これもうまかった。食べて片付けたら相方がすぐに晩ご飯の用意にかかって、野菜中心の酒のサカナで焼酎ソーダ割を軽く一杯。

一日中なにかしながらだったり、なにか食べながらだったりしながら新型コロナのニュースを聞き、ネットで話す人の意見を聞いている。じっとしているとアタマの中がパニックになりそうだが「冷静、冷静」とつぶやいておとなしくしている。テレビではどんな話をしているのだろうか。NHKラジオニュースだけではわからんことがあるんとちゃうかな、なんて思ったり。

まあ、年寄りらしくおとなしく静かに冷静に過ごそう。もしかしたら、すごいことになりそうな気がする。大波がきたらどないしょう。