いつまで続くぬかるみぞ

タイトルは戦争中に口ずさんだ軍歌の一節だ。行軍の苦労を嘆く歌詞に惹かれてよく歌った。いまは普通の日常生活を送っていて戦地でもないしぬかるみもない。だけどコロナウイルスのせいでこの日常がいつ崩れるかわからない不安の中にいる。
できるだけ明るく楽しく暮らそうと思っているが、どこでひっくり返るかわからない。

姪の一人に戦争とコロナとどっちが怖いか聞かれたが、どっちも怖いよ。
コロナの先が見えないところが怖い。
さっきちらっとネットで聞いたが、戦争中の食糧買い出しの話をしていた。着物と食料品との交換の話だった。うちの母と姉の着物はみんな米や芋に変わった。ああいう時代になるという話だった。
わたしがいくら食べられる野草に詳しいからといって、ここらでは猫じゃらしくらいしか雑草は生えてないしなあ。

お昼からご馳走

今日も朝から良い天気で暖かい。ようやくゴールデンウィークらしくなりましたなあ。お天気だけは。
おとといベースから電話があり29日はお弁当を作るとのこと。出来立てを渡すから時間を指定してとのことで、相方が1時半にもらいにいくことにした。チキンの弁当ふたつと大きなヴィーガンケーキふたつ。

おいしいお弁当を時間をかけて食べた。弁当箱はボール紙をうまく切ってたたんであって無駄がない。たたんで捨てられるから合理的。
チキンはおいしいし、コロッケもサラダも申し分なかった。ケーキは大きいので半分ずつ2回食べることにした。熱い濃い紅茶でうまかった。あと1個は明日の楽しみ。

こんなときにこんなに贅沢していいのかな。まあ、我が家の贅沢というのはこんなもんですけど。

仮病(わたしの戦争体験記 88)

田舎は朝が早い。わたしが目を覚ますときはみんな起きていて、叔父叔母は蚕の餌にする桑の葉をもぎに畑に出ている。山盛りの籠を背負って戻ると蚕の待っている2階へ上がり一仕事。
それから叔母は朝ごはんの支度、叔父は畑仕事の準備で忙しい。ご飯のときに叔母はわたしを起こしに来る。たいていは起きていて顔を洗い膳についているが時々仮病で寝ている。「お腹が痛い」「頭が痛い」の二つを交互に使う。適当に「寝てなさい」が返事だが仮病を見抜いている。

母が幼い子を2人連れて大阪からきたので、座敷は母と子供3人の寝場所になっていた。その日もわたしはどちらかが痛いといって寝ていたのだが、叔母が仮病だといって母を責めている。仕方なしに起きて「今日は耳が痛い」といった。母はご飯が済んだら医者へ行こうといい支度をはじめた。1時間半くらい歩くと町で、耳の医者があるという。仕方なくついていったら医院の前で止まって「ほら医者へ来た」といい引き返した。お腹は減るし足は疲れるし。
負けず嫌いの母は、娘が嘘をついているのを知っていてうまく収めたのだとわたしは思い知った。

その後は近所の農家の納屋を借りて母とこども3人は独立した。こうなると仮病は使えない。母の手先となって家事の手伝い、母が近所の農家で仕事の手伝いをするとその手伝いといままでよりも忙しくなった。
堤防に生えている大きな雑草が枯れる秋には切り取ってきて焚きつけ用に積み上げた。春は食べられる野草を摘んで食べた。
「変な子だ」といわれたが、吉屋信子と中原淳一にならって可愛い野の花を摘むのを忘れなかった。
仮病はそれ以来使わなくなった。母がうるさくて仮病になっている暇もなかった。本は大阪から父が送ってくれたからたくさん読んでいた。

薪でご飯を炊いていた(わたしの戦争体験記 87)

いまや笑い話であるけれど、戦後から何年かわが家は薪でご飯を炊いていた。もちろん近所中がそうだった。煙突のついたかまどがあって、新聞紙を丸めて火をつけ細く割った薪を燃やす。そのあとは太い薪をずんずん燃やしてご飯を炊く。
かまどの他に鉄のガスコンロが一つ、七輪が一つあって、それで9人の3食をまかなう。味噌汁やカレーが大鍋で出てきてた。
親が留守の時はお腹が空いたらフライパンを七輪にのせて「おやき」を焼いた。小麦粉を水でとき砂糖があれば上等だった。

まあ、いまも同じようなものか。ガスレンジとオーブントースターがあるから一応文化的笑。電子レンジは使いません。食器洗い機がなくてお湯を流して洗っている。

台所の水道がうまく床上までこなかったので入り口横のかめに溜まるようにし、ひしゃくで汲み出していた。父がお風呂が好きで大きなタライを手に入れてきたので、場所を作ってタライで湯あみした。工夫したらなんでもできると自慢していた父と行水の後始末に追われる母。

イタチが走る昔も今も(わたしの戦争体験記 86)

「ネコがネズミとってイタチが笑う、ぱちぱち」子供たちがはやしている。なんか引き込まれる声にこっちもそっと真似してはやしていた。戦争中に夜の新町を兄たちと歩いていると、イタチがすごい勢いで前を横切っていった。「イタチを捕まえたらいかんぞ、屁が臭いぞ、最後っぺが」と父にいわれていた。いわれなくても、あんなスピードで走っているのをどうしようもない。

「うちの台所にも住んでるよ」と母がいう。古い木造の二階建ての家で北側に台所があり、水捌けが悪かった。アメリカ軍の空襲でやられて「あの台所から解放されたのはよかった」と母がいっていた。昔は田舎から女中として新町に住み込みで働きにきた女性たちがいて、古いつくりの台所で働いた。北向きの寒い台所を使うことになった母親は辛かったろうが、あの台所には新町の女中さんの気持ちが残っていたんやな。母は足元をイタチが走るので高下駄を履いて仕事していた。

いまも元新町演舞場の横の溝からイタチが飛び出し道を横切って全速力で走っていく。近所の地主さんにイタチを見たといったら「イタチようけおりますで。よう走っとる」とのことだった。戦争中に見た子らの子孫かな。

コロナの日々

今日も朝起きるなりネットでコロナニュースを読んだ。全国と大阪府を読んでからユーチューブでいろんなひとたちの意見を聞く。聞いているうちに落ち着いてきて安心する。その合間に、お風呂に入ってマッサージをして、洗濯機を動かして今日の第一食目のご飯になる。

今日はコロナさえなければゴールデンウィークの最初の日である。暖かく柔らかい日差しが瑞々しい。そんなことをふと思ったが、ふと思っただけでコロナの日々は変わりようがない。毎日、感染者や死者の数が加わっていくニュースを聞いて過ごす。
いつ自分の番になるか、やっぱり戦々恐々という気持ち。毎日お日さん浴びて三密に気をつけよう。

いつかコロナの日々が終わって、思い出話になることだろう。いま太平洋戦争の思い出を書いているように、コロナの思い出を書く時代がくるだろう。そう思いつつ工夫してコロナを避けよう。

晩ご飯はお弁当

午後の日当たりがよかったのでいい気分になりベランダに出て日光浴しようと思ったら冷たい風が吹いてきた。せっかくの日光浴気分がおじゃんになった。しゃあないね、ちょっと片付けでもしようと冬の間巻いていたマフラーとスカーフを洗って干した。干す場所があるときはちゃんと使う几帳面なわたし(笑)。

昨日も今日も一日家にいて、家事と体操以外は岩田健太郎『新型コロナウイルスの真実』を読んでいた。とても興味深い本でさっさと読み進めたい。でも老眼鏡が合わなくなってきて目が疲れてかなわん。目から肩こり頭痛と発展しそうで今日は途中でやめだ。昨日は一日中読んでいたんやけどね。目の使い過ぎ。

今日の晩ご飯はアブサンのお弁当だった。ご飯とチキンカツと野菜いろいろ入り。その前にオードブル風にチーズとサラダに赤ワイン。なかなかおいしいご飯になった。料理をたまに手抜きしたらと思って提案するのだが、弁当だと片付けも手抜きできる。そこが肝心なところ(笑)。

毎日 ライブストリーミング

なんと贅沢な! 18日の土曜日は深夜まで DMITRI ABSINTHE、DJ ageishi、DJ AOKI takamasaの3人が奏でる音に酔った。3人とも老練で新鮮で音を出す歓びが我が家の狭い部屋に充満した。灯りをみんな消して音だけを味わった。

19日日曜日の夜はしんどくて寝てしまい聞けなかったが、翌日の月曜日は12:00-16:20 DJ NAGA のライブストリーミングを聞いた。うちらは寝てしまったがNAGAさんは夜中から朝まで続けたはず。ゆっくり寝たわたしらは12:00-16:20を休みなく、でも用事を片付けつつ聞いていた。最後のほうは疲れがNAGAさんの全身に襲いかかってきて、つい「しっかりしいや」と叫んでしまった。NAGAさんの伝えたいことは聞いたよと生意気ながら思った。

火曜日の夜はDJ SPOT を視聴した。20時から22時まで穏やかな春の海みたいな繰り返しがおしゃれ。10年くらい前に新町1丁目のBAR Panoramaに行ったのが、わたしのクラブ体験の最初だった。Panoramaはとても楽しい場で、年齢不詳のわたしを暖かく迎えてくれたひとりがDJ SPOT だった。そのときも春の海みたいな人だった。

今週の週末もいろいろあるといいな、ライブストリーミング。

4月というのに寒い

さっきうんうんいいながら書いた今日の日記を誤って消してしまった。こんなことはじめてだ。ボケ度が強まったのを感じた。
今日はとても寒かったこと、4月でこれはたまらんということを書いて「岩田健太郎『新型コロナウイルスの真実』を買った」と書いた。最後に出版社名と金額を書いたところでどこをさわったのかなあ。原稿が消えてしまっている。

今日はとても寒かった。4月でこんなに寒いなんてあまりないよね。花寒の時期はとうに過ぎてるし。足元が冷えるので(これはトシのせい)冬用のサポーターを出してきてはいた。とにかくよく冷えてかなわん日だった。
一日中家にいて本を読むかネットを見るかしているだけ(おっと体操もしている)だから外が寒いと体は冷える。体操もっとがんばらねば。

Amazonに注文した岩田健太郎『新型コロナウイルスの真実』が届いた。まだ最初のところしか読んでないが、やさしくわかりやすい文章のおかげでコロナというものを理解できそうだ。(KKベストセラーズ 900円+税)

吉屋信子先生(わたしの戦争体験記 85)

我が家の古い本箱に吉屋信子の少女小説が何冊か入っていた。もう読まないから処分しようと思ったが古本屋に持っていくには汚すぎるのでゴミ袋に入れた。そこからこれは捨てられないと取り出したのが『紅雀』。戦争中に姉が大切に持っているのを読ませてもらった。わたしは疎開するとき持って行きたかったが「ダメ」と姉は離さなかった。それで疎開するまでの1〜4年の間に何回か読ませてもらった。
山梨県に疎開したからそれっきりになっていたが、20数年後、泉北に住んでいたとき駅前の本屋さんで見つけたのがいま持っている本だ。1977年ポプラ社発行。この本を読んでからいままで何度読んだろう。読むたびに深く共感している。

戦争中の厳しいときに、苦労した『紅雀』の主人公が最後に幸せになるのがどれだけ気持ちが落ち着いたか思い出す。読みたいといったら貸してくれた姉に感謝。でも姉は本をくれなかったけどね笑。

吉屋信子の少女小説はすべてというくらい読んでいるが、その中でいちばん好きなのが『紅雀』である。これからも何度も読むだろう。