ルーシー・M・ボストン(1892-1990)はイギリス児童文学の傑作「グリーン・ノウの子どもたち」をはじめとするグリーン・ノウ・シリーズを書いた人である。
イングランド北西部のランカシャーの豊かだが厳格な家庭に生まれ、寄宿学校を経てオクスフォード大学サマヴィルカレッジ入学したが退学。第一次大戦中は看護婦の訓練を受けて各地の病院で働いた。ルーシーは戦争による不自由な世の中でたくましく自由奔放に生きていく。
ハロルド・ボストンと結婚して息子ピーター(グリーン・ノウ・シリーズの挿絵を描いている)がいるが、1935年に離婚。その2年後にマナーハウス(12世紀に建てられた)を見つけて購入し、修復にとりかかる。広い庭園で薔薇を育てたりパッチワークづくりをはじめる。
第二次大戦のときは、音楽室を設けてレコードによるコンサートを開き、たくさんの兵士たちが聞きにきた。
60歳になって自分の住む屋敷をテーマにした作品(グリーン・ノウ・シリーズ)を書き出す。
老齢になっても断固として独り住まいをとおし、97歳6カ月で生涯を終えた。
Sさんに貸していただいたまま半年くらい経ってしまったのだが、読み出すとあっという間に読み上げた。おもしろかった。
わたしが第一次大戦について知ったのは少女時代に読んだ「チボー家の人々」だった。第一巻「灰色のノート」で、1914年という年が頭に刻み込まれた。ずっと後で映画「突然炎のごとく」と「西部戦線異常なし」。小説ではドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿が帰還してから悩まされる塹壕戦の恐怖、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」もそうだった。
そんな連想がばんばん思い出されてきたルーシーの看護婦生活であった。
「ホビットの会」というイギリス児童文学研究会を主宰しておられたMさんが、イギリスに留学されて一時帰国されたときに、ボストン夫人のマナーハウスの絵はがきをお土産にくださった。いまも大切にしているが、マナーハウスの写真と彼女が作ったパッチワークの写真。本書の表紙カバーにもパッチワークが使われていて、見ただけで驚くしかない。
(立花美乃里・三保みずえ訳 評論社 2800円+税)