グレン・グールド「ゴールドベルグ変奏曲」を聞きながら

こどものころは父親が適当に自分の好みのレコードを買ってきたのを聞いていた。うちには戦火をくぐった蓄音機とSPレコードがあった。レコードは大衆的なクラシック、タンゴ、シャンソン、映画音楽など。ラジオではディキシージャズ、スイングジャズを聞いていた。この父親のおかげかいまだになんでも聞く。クラブの爆音でも大丈夫(笑)。

さっきツイッターを読んでいたらYouTubeで「Glenn Gould Bach Goldberg Variations 1981 Studio Video complete 」というツイートが現れた。
いまちょうどサラ・パレツキーの『カウンター・ポイント』を再読中である。ヴィクの恋人ジェイクがコントラバス奏者だし、ヴィクの亡き母はクラシックの歌い手でありピアノを教えていた。そんなことでクラシック熱がじわじわ湧いてきたとき、偶然現れたYouTubeをクリックした。

グレン・グールドはフリージャズ熱が一段落したころによく聞いていた。LPレコードがCDになったころだ。最近はあまり聞いてなかったが、グールドがわたしのいちばん好きな漱石の『草枕』を愛読していたことを知ってますます好きになった。
47分19秒の演奏が終わった。音だけでなく弾いている姿が見られてよかった。

マーティン・スコセッシ監督『ラスト・ワルツ』

昨夜はボブ・ディランのステージを思い出しているうちに懐かしさがつのり、久しぶりに映画『ラスト・ワルツ』を見ることにした。1978年製作のマーティン・スコセッシ監督の作品で、ザ・バンドの解散コンサートの映像とインタビューを組み合わせて絶妙な美しさをもった映画である。

そのころはジャズから離れてパンクにはまりだしたころで、ザ・バンドなんてバンドがあったのも知らなかった。そのころから読み出したロック雑誌に出ていたのか、誰かから勧められたのか、相方が見に行き、帰ってから「ものすごくよかった、明日見に行け」と強引に勧めたのだ。
難波の映画館に行ったらけっこう人が入っていた。2階の前のほうに座って最終回を見たわけだが、最初はわけがわからず、途中からは熱中してもう一度見たかった。

ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ドクター・ジョン、マディー・ウォーターズ、ロニー・ホーキンス、ポール・バターフィールド、ニール・ダイヤモンド、エミール・ハリス、ザ・ステイプルズ、リンゴ・スター、ロン・ウッド、・・・。以上、ネットから出演者名をコピペしました。

ニール・ヤングを初めて知った。よかった〜 ロビー・ロバートソン、このときはまだ真価がわかってなかった。この二人を知っただけで幸運だったなあ。
そしてボブ・ディランが素敵だった。名前となにかで聞いた歌しか知らなかったのが、ここで見てすごい人だとわかった。

最後にラスト・ワルツがバックに流れて、これで終わったと思ったら、なんと「グリーンスリーブス」が美しく奏でられ、もうもう感激の涙だった。昨夜もじーんとしながらいっしょに歌っていた。

1994年のボブ・ディラン

ボブ・ディランにノーベル賞ということで名前や写真を見る機会が増えた。もらっても断っても話題になる人である。サルトルのように断るのをかっこいいという時代でもないから、もらっておいたらええやんと思う。

わたしはずっとジャズを聞いてきて、ジャズミュージシャンの来日公演にはずいぶん行った。70年代の終わる頃にパンクに目覚めたが、それまではローリングストーンズさえ気にしていなかった。80年代は同時にボブ・ディランを含めてロックを吸収しようとしたから大変だった。

90年代はニューウェーヴからも遠のきつつあり、アフリカやアイルランドなどの音楽を聞いてみようかと思ってレコードを買いだした。レコードからCDになっていたかしら。
そんなときアメリカ村のバオバブって中古レコード店をやっている女性と知り合った。バオバブは20年もやっていた店を今年閉めてネット販売専門店になっている。いまサイトを見たら「広大なアフリカ大陸のほぼ中央に位置する、コンゴ民主共和国(Democratique Republique Du Congo = 旧ザイール)」のめくるめく優美な音楽の専門サイトです。」とあった。
勧められるままにザイールのレコードを買ったのを思い出した。でも都会派というかやっぱりパンクっぽいのが好きなわたしには大地の音楽はちょっと遠かった。

いやいや、いろいろ思い出すことがあるもんです。

今日の話題はボブ・ディラン。
バオバブの彼女がチケットを買ったのに行けなくなったという知らせがオフィスの隣室のMさんを通じて入ってきた。1994年2月12日 大阪城ホールの入場券が2枚あった。けっこう高かったが、それもそのはず、前から10番目くらいのアリーナ席だった。椅子はあったがずっと立っていたように覚えている。歌うボブ・ディランの眼光はするどく一瞬射すくめられたようなときがあった。

PRHYTHM EXOTIC NIGHT MARKET アルゼンチンの歌姫 Marina Fages来日公演

細野ビルのライブからもどってきたところ。ほんまに久しぶりのライブだったが、目の前で見るのはやっぱりええもんだ。
EXPEヨシタケさんの真空管アンプを使った甘美なギター、ブエノスアイレスからやってきたマリナ・ファヘスのドスの効いた歌声、女性ミュージシャンYTAMO、女性DJ YA△MA・・・と新鮮で甘美な音の洪水の中で楽しめた。
わたしはもう10年ほどヨシタケファンなので、もちろん一番前列でギターを弾くヨシタケさんを見える席を確保。
マリナ・ファヘスの歌い方はさすがブエノスアイレスの人だと思った。野性味があるのに都会的で、怖さと可愛らしさが共存している。
ヨシタケさんのギターの手と足の動きと真空管アンプの灯のまたたきに魅せられた。
これも久しぶりの女性DJ YA△MAさんのプレイも大好きなので楽しめた。

庭には食べ物の屋台が5つほど出ていて、いろんな飲み物、カレー、パンなど食べ物もあり、音と食と会話を楽しんだ一夜だった。早めの晩ご飯を食べて行ったのにカレー食べてワインとマテ茶を飲んで今日も食欲解禁してしもた。
相方に紹介されたサガンファンのJ子さんにライブが始まる前に乙女文学について少しだけウンチクを披露した。キャロルのことをご存知なかったので宣伝した(笑)。
合間に庭に出てまいこさんの手作りパンを買った。そばにいたJ子さんがクッキーの包みをお土産にくれたので、買ったばかりのパンを一個進呈。どちらもまいこさん製(笑)。

グリーンスリーブス

昨夜深夜に2回目の『秘密の花園』を見ていた。全体が大好きな映画なんだけど、台所でグリーンスリーブスの歌声が流れるシーンが好き。外には春の風が吹き、広い台所で使用人たちが働いている。そこに歌がゆっくりと流れたのでびっくりしたがとても場面に似合っていていいシーンだ。久しぶりにきいたグリーンスリーブスでいろんなことを思い出した。

この曲はわたしが若いときに曲にはまったく関係なく曲名を知った。ドロシー・L・セイヤーズ浅羽莢子訳『学寮祭の夜』(創元推理文庫)(わたしがこどものときから大切にしていた本は訳者が黒沼健さんで『大学祭の夜』)で、ピーター卿がハリエット・ヴェーンにプレゼントする骨董品店で梱包を待っているときに小さな楽器で弾いたのがグリーンスリーブスだった。ピーターのテナーに合わせてハリエットも歌う。どんな曲が調べるすべもなく何十年も経った。

イギリス児童文学にはまったのはいまから思うと何十年前のことだが、アリソン・アトリー『時の旅人』で歌われていて感激した。ずっと過去のスコットランド女王の時代と現代を行き来するお話なんだけど、グリーンスリーブスは過去の時代に、その時代の新しい歌であった。

それからまた、いまから7年くらい前のことだが、ジャズの店SUBで店主でベーシストの西山さんが「好きな曲を演奏してあげる」と言ったときに、間髪を入れず「グリーンスリーブス」と言ったものだ(笑)。実はこの曲はコルトレーンがやっているのをレコードで聞いていたので言うたんやけど。ちょっとびっくりされたけど弾いてくださり、演奏後「ええ曲や」と言われたのを大切に覚えている。亡くなるまで何度も演奏してもらった。

中原昌也 自伝『死んでも 何も残さない』

先日の午前中にNHKラジオ第一放送をかけたら「すっぴん」アンカーの藤井彩子さんと話していたのが本書の著者中原昌也さんだった。たしかテキーラの飲み方についてが話題だった。ヘンな面白い人だなあと聞いていたら作家だとのことで、さっそく検索したのが発端だった。
たくさん本を出しておられ、先日「伯爵夫人」で話題になった三島由紀夫賞を2001年に受賞している。アマゾンでつらつら眺めて単行本で安い本を探して、いちばん安く手に入る単行本が本書だった。中原昌也 自伝『死んでも 何も残さない』(2011 新潮社)
さっそく注文したのがおととい到着。表紙とカバーにかわいいイラストがあり、特にカバーは真っ赤な地に黄色いクマさんのイラストがかわいい。前は前向き、後ろは後ろ向きのランドセル背負ったクマさん。

昨日と今日で読んでしまった。
小説と思って読み出したので違和感あり。それであちこちしてから最後のページを見たら「本書は著者の談話を編集部が構成したものである。」とあった。それで納得しておもしろく読んだ。

本書がおもしろいのは東京育ちの子供時代を経て高校中退にいたる親子関係、そして音楽関連のことを淡々と語っていること。バイトしても東京の子のおっとりしたところとちゃっかりしたところがあっておもしろい。四方田犬彦さんについで東京で育った男子の生態がわかった。

彼が活動していた1990年代、2000年代はわたしはもう音楽を聞くことを卒業していたので「暴力温泉芸者」というバンド名は知っていたけど聞くことはなかった。

次は小説を読もうと思う。それにしても知らない作家が多すぎる。

バルバラ『ナントに雨が降る』

今日は一日中雨だった。やんだかと思うと降って一日中、さっきまで。春の雨が街路樹の新緑の葉っぱを濡らしていていい感じ。いまのところ、大阪は穏やかだ。

「雨が降る」ってシャンソンがあるなあと思い出して検索したら「ナントに雨が降る」が出てきた。昔LPレコードを持っていたのを思い出した。バルバラ好きだったなあ。歌が自然に口に出てきた。うんとセンチメンタルに歌ってみる。

2年くらい前に反原発の人たちのお話会が心斎橋のカフェであった。たまたま日本に戻ってきたフランス在住の女性がナントに住んでいると自己紹介されたので、「ナントに雨が降るですね」と言ったらご存知なかった。1時間くらい後で「思い出した、銅像が建っている人ね」と言われた。ほんまかなと思ったが「そうでしょうね」と答えておいた。この歌でナントという地名が世界中に(?)広まったのだから銅像が建っても不思議でないかも。
せっかく思い出したのだから久しぶりにYouTubeで聞くとしよう。

グラム・ロック! トッド・ヘインズ監督『ベルベット・ゴールドマイン』

トッド・ヘインズ監督『ベルベット・ゴールドマイン』は1998年のイギリス/アメリカ映画。どんな映画かも知らずに見たけど、よかった〜
なにも知らなかったグラム・ロックの勉強にもなった。
わたしは70年代の終わりまでほとんどフリージャズを聞いていて、78年ごろから一気にパンクにいった変わり者である。デヴィット・ボウイもイギー・ポップもそのころのロック雑誌で知っていたが、グラム・ロックはこの映画を見るまで知らなかったようなものだ。

主人公のモデルがデヴィット・ボウイとイギー・ポップであるのも知ってる人は知っているところ。
ブライアン(ジョナサン・リース=マイヤーズ)とカート(ユアン・マクレガー)の実演シーンは実際こうだったんだろうなと楽しく見た。男どうしのベッドシーンもあり。

ニューヨークで雑誌記者をしているアーサー(クリスチャン・ベール)は編集長から70年代はじめのロンドンで爆発的に人気があったグラム・ロックの大スター、ブライアンの現在を取材するように命じられる。ブライアンは人気絶頂時に暗殺事件を自演して非難されスターの座から転落してしまい行方不明である。
アーサーは過去と現在のブアライアンを追いかけつつ、自分の過去も振り返ることになる。

ものすごく大金が動く音楽業界と麻薬と酒と女(同性愛も含む)に入り浸るロックスターたちの華やかで寂しい姿を描いた映画。タイトルの文字もおしゃれで、衣装やメイクも美しい。そして音楽!ほとんど初体験のグラム・ロックの嵐!よかった〜

落合康夫 国民年金フル受給開始記念ライブとNacomiさん

ギタリストのピエール落合こと落合康夫くんは古〜い友人である。彼が大学生のときにジャズ喫茶「マントヒヒ」で知り合った。ものすごーい美男だったから顔を見るのが楽しみだった。一度など「ちょっと顔を見せて」とじっくりと見せてもらったことがあったほどだ(笑)。
マントヒヒが閉店して、彼は大学を出て税理士になった。美貌は衰えたとはいえいつも楽しそうに話す様子は変わらず、彼の方から連絡があって3年に一度くらいは会っていた。
ブルースバンドでギターをやっているという。今度はどこそこでライブをやると聞いても、わたしは行ったことがなかった。相方はブルースが好きなのでけっこう長電話してたりしたが。

今年も税理事務所の年賀状が来ていたので返信の寒中見舞いを出したら、今日届いたと電話があった。電話の内容はライブをやるという知らせだが、そのライブのタイトルが《落合康夫 国民年金フル受給開始記念ライブ》なんである。かの美青年も2月28日をもって65歳になるそうだ。

その話とは別に彼が演奏しているところが『ニコニコ動画』で配信されているという話題があった。歌手のNacomiさんのギター伴奏をしたそうなので、さっそく見ることにした。
1月23日のニコ動生放送、場所は御堂筋の献血ルーム クロスカフェ、司会者と並んでNacomiさんがいた。大阪弁でざっくばらんでいい感じの女性だ。いままでの道筋を話すのによどみがない。ブルースへの愛が満ち溢れているひとだ。

対談が終わって4曲演奏するという。そのバックについたのがピエール落合こと落合康夫くん。久しぶりに見た康夫くんは愛想がよくて可愛かった。

SUBの西山さんが亡くなられて4年

SUBは谷町9丁目の駅構内にあるジャズのお店である。50年ほど前に店を作られたミュージシャンの西山さんが亡くなられて4年、月日の経つのが早すぎると3年経った去年書いているが、それから1年経って、わたしはいまも生きている。
はじめてお会いしたのは10年ちょっと前なんだけど、1961年1月10日にフェスティバルホールで「アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズ来日公演」で同じ空気を吸って、ギターの竹田さんもそこにおられたので、3人は半世紀のおつきあいということに勝手にしている。

西山さんは亡くなる半年ほど前にニューヨークへ行かれて、おみやげにリキテンスタインの額をくださった。波の中であっぷあっぷしかけているのに「あんたの助けはいらない」と叫んでる女性がまるでクミちゃんやと言ってくれた。わたしの机の上のMac miniの横に置いてある。西山さんの期待を裏切らないようにアホなことだけしながら生きていこうと思っている(笑)。

実は長いことSUBにはご無沙汰している。涼しくなったら忘れられないうちに行かなくっちゃ。