1978年の The B-52’s ライブ

ミクシィの日記にマイミクさんがThe B-52’s のライブの動画をアップしていた。B-52、久しぶりやなあ。懐かしいなあ、あたしの40歳ごろのお気に入りだったっけ。
四ツ橋のカフェバー パームスで仲良し(といっても20歳年下)のめぐちゃんと遊んでいると、しょっちゅうモニターにB-52のライブ映像が流れていた。大阪爆撃でB-29に家を焼かれた身としては、B-52というネーミングが気に入っていた。当時は映像があまりないらしくよく同じものが流れていた。

そのB-52が京都でライブすると知って、めぐちゃんを誘ったら都合が悪いそうなので、わたし一人で勇気を出して行くことにした。
もう記憶がないが、当時流行っていたライブハウス磔磔(たくたく)ともう一店のどっちかで、四条に近かったと記憶している。検索したら1978年11月来日と書いてあった。そうだ、11月だから薄手のコートを着ていったんだと思い出した。

ライブで踊ったのは初めてだった。コートとバッグを隅っこに置いて、真ん中へんのちょと高くなったところのグループにくっついて踊った。ライブ映像を思い出して心臓強く(笑)。まわりは背の高いかっこいい女子ばっかり。若い知り合いが来ていて見てたんだって。終わってから「ようおどってはりましたね」と「お歳なのに」を省略して嫌味っぽくいわれたがなんのその、元気をもらって帰った。

久しぶりに深夜のクラブ活動

昨夜は晩ご飯を食べて片付けして日記を書いてしまい、一眠りしてから着替えて出かけた。もうすぐ真夜中。以前おそい時間に出かけるとき、近くの店の奥さんに見られて「まずい!」と思ったことがあった。あとでなんか一言ある人なのである。ところがその後はどっちかというと羨ましそうな顔で挨拶されて嫌味は一言もなし。わたし夜遊びのときは輝いているのかも(笑)。

そんなことを思い出しながらタクシーでミナミへ。三津寺町の「味穂」でたこ焼きとどて焼きとおでんとビールでお腹を満たしていると、相方の知り合いのカップルが隣の席についた。やーやーとしゃべりながら食べてクラブマフィンへ。今夜はライブがあるから人が多いぞといわれていたが、廊下にもたむろしている。

うちはご老体だからカウンター前の席に座らせてくださったが、椅子が高くてどうしたら座れるか迷っていたら相方が背中から抱いて座らせてくれ椅子問題は解決(笑)。
マスターに紹介されて握手。暖かな人柄が手のひらをとおして伝わってきた。パートナーのまいこさんがわたし用に大きなグラスに冷たいお茶を用意してくれたのもうれしい。まいこさんとはおおかた10年近く前から知った中なんだけど、ここんとこご無沙汰してた。彼女のDJが好きなのに最近聞いてなかった。復活させなくちゃ。生きていなくちゃ。
ライブ中はマイクを持つヴォーカルの背中と私の背中がしばしばぶつかったりくっついたり。こんなライブはじめてだ。

激しい演奏だったからこういうんってなんていうのかなと聞いたらレゲエだって。ああ、そうかあ、レゲエかあ。
お客さんがたくさんいて相方の知り合いが多かったし、ニコニコと邪魔にならないようにしていた。とても、オーケーな夜だった。

U – NEXT配信の映画2本『ボヘミアン・ラプソディ』『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』

評判の映画『ボヘミアン・ラプソディ』(監督:ブライアン・シンガー、主演:ラミ・マレック)をネット配信で見ることができた。その上に『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』がついていたので直ぐに見た。すごく勉強になった。これで友達との会話についていける(笑)。2本連続で見て体は疲れたけど、気持ちは満足した。

わたしはこどものときからジャズを聞いてきて、最初は父親のスウィングジャズにつきあい10代になってクラシックに傾いた。50年代の終わり頃からモダンジャズにいった。ロックなんか知らんかった。70年代はフリージャズに夢中になっていた。レコードだけでなくジャズ喫茶のライブや海外のミュージシャンの演奏に一人で行っていたが、同行者ができてからは2人で行くようになった。彼もフリージャズを聞く人で、ジャズ喫茶の常連になりミュージシャンたちと仲良くなった。

そんなもんで、ビートルズは知っているが、ローリング・ストーンズはFMラジオでしか聞いたことがなかった。クイーンというバンド名は知っているが演奏は聞いたことがない。
そんなわたしたちが70年代の終わり頃にパンクロックに目覚めてコンサートに行くようになった。78年ごろに『ロックマガジン』の阿木さんを知ってロックマガジン社に出入りするようになり、これやこれやとニューウェーヴに開眼。79年末のロックマガジン社のイベント開催を手伝った。

昨夜、フレディ・マーキュリーの歌をはじめて聞いた。オペラのアリアのような歌いぶりに惹かれた。『クイーン ヒストリー2 1980ー1991』はクイーンについての教科書のようだ。ここには「1985年7月13日に行われた、20世紀最大のチャリティーコンサート、ライヴエイド」でのフレディがたくさんある。
映画はもちろん良かったのだが、もひとついいことがあった。わたしらは1985年に「ライヴエイド」のテレビ放映を見ていたのだ。
85年は6月に夫が胃潰瘍で吐血して倒れ入院中だった。7月になって外出許可が出たので、その日を申告して家でテレビを見たのだ。久しぶりの自宅ご飯を食べて、猫と3者並んでテレビの前に座ったが、もちろんフレディのことは知らなかった。

森田童子さん

森田童子さんが4月に亡くなったと昼頃のネットニュースで知った。
わたしは70年代中頃に森田さんのコンサートに二度行っている。仕事場の隣室が音楽事務所でときどき小さなコンサートの余り券をくれる。そのときもタダ券をもらって森田童子って名前は聞いたことあるわと厚生年金会館中ホールへ行った。その前に音楽事務所の社長がこの人の歌はちょっと変わってるから参考にとレコードをくれた。歌も良かったけど、つぶやくような語り声がよかった。何度も聞いてからコンサートに出かけたのだが、歌声だけでなく雰囲気にも魅せられた。

そのころまでわたしたちはジャズばかり聞いていて、70年代になってからは特にフリージャズに打ち込んでいた。70年代後半になるとフリージャズに疲れてきたところへ、森田童子の静かな歌声が心に沁みたのだ。

隣室の音楽事務所へ行ってよかったと何度もお礼をいったからか、もう一枚レコードをくれた。その中の一曲、桜の花びらが散るという詩がよくて、覚えて得意になって歌ったものだ。
それから半年くらいして今度は御堂会館(と記憶している)でやると知って、友だちの分まで3枚入場券を買って行った。舞台に出てくるときの内気そうなところがかっこよかった。

その夜で堪能してしまったみたいで、森田童子熱が冷めていったところへ、ジャーン! パンクロックが来た! 同じ御堂会館でエルビス・コステロは78年だったかな。すごかった。それから一直線でパンク一筋になった。8年くらいパンク・ニューウェーブに浸かってた。

でも、森田童子さんの歌は大切に心にしまってあった。今日は午後からずっと聞いているが、懐かしく麗しい声は変わらず。
ご冥福をお祈りします。

今夜はドミューンで行松陽介

すこし春めいた気分である。気温はそんなにあがってなくてもどことなく春めいた気分である。昨日は明日の夜は生松くんが出るからドミューンを見ようといってたのに、ころっと忘れて座談会終了前にパソコンつけた。東京の評論家さんたちの中に行松くんが座っている。わたしは行松くんと話したこともDJやってる実物も見たことがない。一度ドミューンで見ただけだ。それなのに相方がいうもんだからいっしょになって行松くんといっている。勝手にお気に入りの男子なのである。

いまネットで見ているんだけど、彼を一言でいえば「気持ちがすごい」。音楽的にどうとか全然わからんわけで、気持ちに響いたのを「このDJカッコええなあ」といっているんやけど、今夜の行松君のDJはすごく気持ちに響く。いろんな曲の中にU2がかかってボノの歌がけっこう長いこと流れた。いっしょに歌いながらプレイする姿がわたしの気持ちに響いた。カッコいい。

オペラ『ドン・ジョバンニ』後半をDVDで見た

18日に前半を見て、後半をようやく今日見た。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲1788年初演
『ドン・ジョバンニ』1999年6月ウィーンにて
リッカルド・ムーティ指揮、ウィーン国立歌劇場合唱団&管弦楽団

長らくクラシック音楽をきいてなかったのが、村上春樹『騎士団長殺し』で目が覚めた。
モーツアルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』というタイトルは知っていたが重要な項目である「騎士団長殺し」に関心をもっていなかった。小説についてはともかく、モーツアルトのオペラを知らんのは恥ずかしい。長いこと『魔笛』のファンだったのに残念なりと図書館で借りてきたDVDで勉強したというわけ。
ドン・ジョバンニによる騎士団長殺しの詳細がわかり、娘さんと婚約者のこともわかり、なるほどなのであった。

DVDとはいえ、久しぶりに見た舞台は華やかで、スピーディな演出が気持ち良く、華麗な衣装がすごくよかった。女性の胸元が大胆に開けられた衣装がそれぞれ似合っていた。

オペラ『ドン・ジョバンニ』のDVDを見た

土日も変わらずばたばたと過ごしている。家事ってやってもやってもあるもんだ。でも実はぼーっとさぼっている時間のほうが多かったりして・・・ぼーっとしている合間に家事、かな。本は読んでいるが、完読できなくて、何冊か読みかけたままである。そのうち解決すると思っているが、いつのことやら。
映画はiMacがきてから毎晩見ている。まだブログに書いてないのもある。
今夜はオペラを見た。モーツアルトの『ドン・ジョバンニ』。「騎士団長殺し」である。半分だけ見たので、後半は明日。すごいし、楽しいし。舞台装置も衣装もすごくいい。

iMacに慣れたらヴィク・ファン・クラブの会報づくりはうんとラクになる見込みだが、今月はまだ戸惑いが多くてラクとは言い難い。まだ3日だもんね。ただ画面が27インチになったのですごく動作しやすい。Pagesでのレイアウトがものすごくラクだ。画面がすごくきめ細かくなったようで目に優しいのを感じる。
あれもこれもとやることがいっぱい。

「ラジオのように」はいまも甘美

先日、突然、コ ム ラ ジ オーと歌声が聞こえて、なつかしいなあとしばし聞き惚れていた。久しぶりにCDかけたんだ。
この曲を最初に聞いたのは50年近く昔のこと、友人カップルを訪ねて東京へ行き、新宿やら明大前やらのジャズ喫茶に連れて行ってもらった。彼らの部屋にはレコードと本がたくさんあり、わたしらより数歩前を進んでいるのがわかった。そのときに聞かされたレコードがブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」だった。甘くて知的なブリジットとアレスキの声にアート・アンサンブル・オブ・シカゴの演奏が加わる。甘美な音に酔ってしまった。

大阪にもどってすぐにLPコーナーに行って輸入レコードを買った。当時のLPコーナーは東京のレコード店より早く輸入レコードが入荷するのが自慢の店だった。ちょっと前から行きつけになっていてフリージャズのレコードをたくさん買った。

そのころは泉北の団地に住んでいて、広くはないが明るく、遠方の友だちをよく泊めたものだ。西成区から移り住んで3年間、いつも誰かが来てレコード聞いたりしゃべったりで賑やかだった。
いまは亡きジャズ喫茶マントヒヒのマスターもよく泊まりに来てた。東北出身なので近所の山菜を教えてくれた。秋にはアケビを採った。
その雰囲気にぴったりなのが「ラジオのように」だったといま思う。時を超えて甘い気分になっている。

グレン・グールド「ゴールドベルグ変奏曲」を聞きながら

こどものころは父親が適当に自分の好みのレコードを買ってきたのを聞いていた。うちには戦火をくぐった蓄音機とSPレコードがあった。レコードは大衆的なクラシック、タンゴ、シャンソン、映画音楽など。ラジオではディキシージャズ、スイングジャズを聞いていた。この父親のおかげかいまだになんでも聞く。クラブの爆音でも大丈夫(笑)。

さっきツイッターを読んでいたらYouTubeで「Glenn Gould Bach Goldberg Variations 1981 Studio Video complete 」というツイートが現れた。
いまちょうどサラ・パレツキーの『カウンター・ポイント』を再読中である。ヴィクの恋人ジェイクがコントラバス奏者だし、ヴィクの亡き母はクラシックの歌い手でありピアノを教えていた。そんなことでクラシック熱がじわじわ湧いてきたとき、偶然現れたYouTubeをクリックした。

グレン・グールドはフリージャズ熱が一段落したころによく聞いていた。LPレコードがCDになったころだ。最近はあまり聞いてなかったが、グールドがわたしのいちばん好きな漱石の『草枕』を愛読していたことを知ってますます好きになった。
47分19秒の演奏が終わった。音だけでなく弾いている姿が見られてよかった。

マーティン・スコセッシ監督『ラスト・ワルツ』

昨夜はボブ・ディランのステージを思い出しているうちに懐かしさがつのり、久しぶりに映画『ラスト・ワルツ』を見ることにした。1978年製作のマーティン・スコセッシ監督の作品で、ザ・バンドの解散コンサートの映像とインタビューを組み合わせて絶妙な美しさをもった映画である。

そのころはジャズから離れてパンクにはまりだしたころで、ザ・バンドなんてバンドがあったのも知らなかった。そのころから読み出したロック雑誌に出ていたのか、誰かから勧められたのか、相方が見に行き、帰ってから「ものすごくよかった、明日見に行け」と強引に勧めたのだ。
難波の映画館に行ったらけっこう人が入っていた。2階の前のほうに座って最終回を見たわけだが、最初はわけがわからず、途中からは熱中してもう一度見たかった。

ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ドクター・ジョン、マディー・ウォーターズ、ロニー・ホーキンス、ポール・バターフィールド、ニール・ダイヤモンド、エミール・ハリス、ザ・ステイプルズ、リンゴ・スター、ロン・ウッド、・・・。以上、ネットから出演者名をコピペしました。

ニール・ヤングを初めて知った。よかった〜 ロビー・ロバートソン、このときはまだ真価がわかってなかった。この二人を知っただけで幸運だったなあ。
そしてボブ・ディランが素敵だった。名前となにかで聞いた歌しか知らなかったのが、ここで見てすごい人だとわかった。

最後にラスト・ワルツがバックに流れて、これで終わったと思ったら、なんと「グリーンスリーブス」が美しく奏でられ、もうもう感激の涙だった。昨夜もじーんとしながらいっしょに歌っていた。