落合康夫 国民年金フル受給開始記念ライブとNacomiさん

ギタリストのピエール落合こと落合康夫くんは古〜い友人である。彼が大学生のときにジャズ喫茶「マントヒヒ」で知り合った。ものすごーい美男だったから顔を見るのが楽しみだった。一度など「ちょっと顔を見せて」とじっくりと見せてもらったことがあったほどだ(笑)。
マントヒヒが閉店して、彼は大学を出て税理士になった。美貌は衰えたとはいえいつも楽しそうに話す様子は変わらず、彼の方から連絡があって3年に一度くらいは会っていた。
ブルースバンドでギターをやっているという。今度はどこそこでライブをやると聞いても、わたしは行ったことがなかった。相方はブルースが好きなのでけっこう長電話してたりしたが。

今年も税理事務所の年賀状が来ていたので返信の寒中見舞いを出したら、今日届いたと電話があった。電話の内容はライブをやるという知らせだが、そのライブのタイトルが《落合康夫 国民年金フル受給開始記念ライブ》なんである。かの美青年も2月28日をもって65歳になるそうだ。

その話とは別に彼が演奏しているところが『ニコニコ動画』で配信されているという話題があった。歌手のNacomiさんのギター伴奏をしたそうなので、さっそく見ることにした。
1月23日のニコ動生放送、場所は御堂筋の献血ルーム クロスカフェ、司会者と並んでNacomiさんがいた。大阪弁でざっくばらんでいい感じの女性だ。いままでの道筋を話すのによどみがない。ブルースへの愛が満ち溢れているひとだ。

対談が終わって4曲演奏するという。そのバックについたのがピエール落合こと落合康夫くん。久しぶりに見た康夫くんは愛想がよくて可愛かった。

SUBの西山さんが亡くなられて4年

SUBは谷町9丁目の駅構内にあるジャズのお店である。50年ほど前に店を作られたミュージシャンの西山さんが亡くなられて4年、月日の経つのが早すぎると3年経った去年書いているが、それから1年経って、わたしはいまも生きている。
はじめてお会いしたのは10年ちょっと前なんだけど、1961年1月10日にフェスティバルホールで「アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズ来日公演」で同じ空気を吸って、ギターの竹田さんもそこにおられたので、3人は半世紀のおつきあいということに勝手にしている。

西山さんは亡くなる半年ほど前にニューヨークへ行かれて、おみやげにリキテンスタインの額をくださった。波の中であっぷあっぷしかけているのに「あんたの助けはいらない」と叫んでる女性がまるでクミちゃんやと言ってくれた。わたしの机の上のMac miniの横に置いてある。西山さんの期待を裏切らないようにアホなことだけしながら生きていこうと思っている(笑)。

実は長いことSUBにはご無沙汰している。涼しくなったら忘れられないうちに行かなくっちゃ。

細野ビル 13回目の「66展」

66展はいつも晴れているような気がしていたが、去年は直前に大雨が降ったと日記に書いてあった。それでビルの外にいたら座るところがなくてナンギしたのだ。いつも植え込みの周りの石に座るのがびしょ濡れだったから。
今日は梅雨入りはしたけどいい天気だった。だけど夕方になると寒くなった。晩ご飯を食べて出たら6時6分のスタートだからえらい遅刻だ。

ここ3年ほどわたしの66展は社交の場になっている。中庭のテーブルに飲み物と食べ物の用意ができていて、けっこうな人数が談笑している。絵描きのペリさんとすぐに出会って、彼女が作ってきたオードブルをいただいた。お酒の種類はいろいろあるけどわたしはウーロン茶をニワくんからもらった。ニワくんは毎年和服でしかも袴姿でホスト役を受け持っている。
細野さんに挨拶したり、またうろうろしてたら七夕のように年に一度会う女友だちと出会った。今日の目的の一つはこの出会いなのである。
友だちを探しながら道に面した窓からライブを見ると知り合いが座っている。うんよしよし、これで66展の知り合いみんなに会ったな。

午後はつるかめ整体院、夕方からタムタムカフェ→プラタス

日記を読み返すと。「疲れた」という言葉を使い過ぎているような気がするが、ほんまに疲れているのは確か。姉疲れや会報疲れなんかを併せて勤続疲労であろう。
午後につるかめ整体院に行って触ってもらっているうちにぐっすり眠ってしまい自分のいびきで目が覚めた。おかげでかなり疲れがとれて気分よく帰ってきた。
同時に台風の日に転んで歯を折り歯医者通いをしていた相方の歯の治療が片付いた。

今夜は外食しようと久しぶりに日本橋のタムタムカフェへ。
ぬる燗の清酒 旭日によく味のしみたおでんが超うまい。
今日のメニューは「おうちごはん定食900円(・鳥取県産ブリあら大根・ほうれん草ゴマ和え・レンコン天婦羅・ソウメンカボチャ酢の物・新米ご飯と味噌汁付) 。
ブリのあらは何年ぶりかに食べて感激の味(家では菜食してる)。
それよりなによりの美味は料理人アベチカちゃんとパートナーとの会話だ。
他のお客さんたちとも何気ない会話を楽しんだ。

帰り道でコーヒーを飲もうと味園プラタスへ寄った。立ち上がった先客の男性(DJ)がすぐに「マントヒヒ回想」サイトを話題にしたのにはびっくり。わたしのマントヒヒ時代にはまだ生まれてなかった若者が、サイトをおもしろいと言う。阿部薫のことを聞きたがる。そしてフリージャズ、パンク、ニューウェーブの話を聞きたがる。森田童子を知ってるかと聞かれて二回コンサートに行ったと言って尊敬された(笑)。
あまり出かけていない昨今だが、遊び人の相方のおかげでどこへ行っても若い話し相手に不自由しない。幸せなことだ。

SUBの西山さんが亡くなられて3年

ベーシストの西山満さんが亡くなられてはや3年。月日の経つのが早過ぎる。西山さんに妹とまで言うていただいたのに、最近はジャズから遠ざかりSUBへも行ってない。でも、西山さんは怒ってはれへんと思うのである。「好きなことをやってたらええねん、それがジャズ的生き方や」と言うてくれはると確信しているから。「顔を見せにおいでや」と言われてSUBへ行ったのと同じように、本やパソコンやKindle画面を読んでいるから。

1961年1月10日にアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズが来日公演したときにフェスティバルホールに行った。同じ場所に西山さんと竹田一彦さんがおられたのを40年を過ぎて知った。
わたしはその後、フリージャズにいき、パンクに走り、その後はクラシックなどを聞きつつ文学の世界にいた。
10年ほど前に30数年ぶりにジャズを聞きたくなりSUBへ行った。わたしが天王寺のマントヒヒにたむろしていたころに谷町9丁目にできたのがSUBだった。

2000年代になってSUBでジャズを味わって、しかも西山さんに可愛がっていただいた。くみちゃんと呼んでくれたときの笑顔を思い出す。

いまなにが好きと聞かれたら映画「 ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」で知ったヒップホップの50 Cent (フィフティセント)と言うかな。YouTubeでたまに見聞きするだけだけど。

KABUSACKI 2014 JAPAN TOUR + YOSHITAKE EXPE

最近のわたしは音楽離れ生活が当たり前になっている。カッコよく言うと読書一筋なんやけど、もともと読書の傍ら音楽が流れているというのが好きでない。iPodで音楽を聞くよりも身の回りや世の中の雑音の中にいるほうが好きなもんで。でもここんとこ音楽にひたりたいという気持ちが強くなってきた。

先日、相方がクラブで“YOSHITAKE EXPE SPACE GUITAR”さんに久しぶりに会いこの1年間のことなど話し合った。そのとき近々ライブをやると言う。そして奥さんお元気ですかと聞いてはったでとのことで、わたしはおおいに気を良くした。
今日はお誘いを受けた公演を聞きに夕方から心斎橋にある NEW OSAKA HOTEL SHINSAIBASHI 1F”ADUSTAM” に行った。
心斎橋の日航ホテルの西側にあるホテルで入り口の前は細い道である。道と建物は接していて大きな植木鉢が2個とスピーカの裏側が道路に向いて置いてある。道を背にして演奏が行われた。その間も人たちが通る。ホテルに出入りする人たちも通る。椅子をたぎっしりと並べてわたしたちは道のほうを向いて座った。ビオワインをもらってゆったりと飲みながら聞いた。

KABUSACKI 2014 JAPAN TOURというタイトルの今夜の公演は、アルゼンチンのスーパーギタリストKABUSACKIを迎えて繰り広げられ、ファンが詰めかけた。
YOSHITAKEさんは真空管アンプを使っておられる。最初にこのアンプを使った2008年11月の現場にわたしたちはいた。あれからバージョンアップを重ねたとYOSHITAKEさんは言ってたけど、ほんとに今日はいい音だった。
6時半から3時間ほど途切れなく、たゆたう船に乗っているような演奏にしびれた。ほんと、音楽の中にいる〜って感じ。

帰りは歩きでアメリカ村を通って久しぶりのアブサンでビールと豆と野菜の料理で一息ついて堀江に出た。ここのところお互いにひとり外出が多かったので、家族円満面ではよかったかな。

マーカス・ストリックランド トリオをこども文化センターで

関西発ジャズ情報誌「WAY JAZZ UT WEST」が開催したジャズコンサート「 マーカス・ストリックランド(ts)リンダ・オー(b)E.J.ストリックランド(ds)4/9(水)19:30開演 2000円、こども文化センター」に行ってきた。場所がうちの近くなのでこれは行かなきゃと予約してあった。
主催者の藤岡さんとは8年くらい前に細野ビルで知り合った。彼が主催した細野ビルや京都のジャズスポットのジャズコンサートで楽しませてもらったのがはじまりで、SUBを知り大阪の若者たちのジャズを聞くようになった。

夕方、軽く食べて早めに出かけた。
子供文化センターは図書館の北側にあり西側に桜の名所の土佐稲荷神社がある。桜のたよりを聞いても花見はしないので、まあ土佐稲荷さんの花だけでも見ようと上を向いたら桜の上に半月が見えていい気分。
図書館に本を返して会場へ向かうと長い列だった。5分ほど待って入場。前から3番目の真ん中の席がとれてよかった。本を読みながら待つと後ろの方にもかなり人が入っている。

演奏が始まった。
ニューヨークのいまの音。
新しいMacを買ったときみたいな気分になった。
「はやい〜 しゃきしゃき動く〜」
そうなのだ。最新Macに触った感覚なのであった。
1時間がたちまち経った。

今年最初のSUBで思ったこと

1月中はなかなか腰があがらなかったがようやく今日SUBへ行った。すっごくいい演奏が聞けて幸せな時間を過ごせてよかった。
今日は7時15分から3セットあったのだが、8時半の2セット目から聞いた。藤川幸恵さんのピアノと長谷川朗さんのテナーサックス。3セット目にアルトサックスの側島万友美さんが加わった。

聞きながらいろいろ考えていた。
演奏はいいが聞いてる人は年寄りが多い。若いときから聞いている人たちだ。なぜ演奏する若者たちがいるのに聞く若者がいないのかな。この知的な音、技術も感性も備わった演奏を聞く若い人が少ないのはもったいない。
まあ、わたし自身が楽しめてるからええか。

わたしがSUBにいる間に姉と妹から電話があったそうだ。どっちも夜に女が家にいないなんて考えられない人たちである。明日電話して弁明せなあかん(笑)。以前、わたしがVFCの例会に行ってたときに兄の連れ合いから電話がかかって、主婦が夜出かけるの?って絶句してたそうだ。
女性が夜遅くまで好きなことをして遊ぶのが普通になればいいな。

SUBのポスター、マックス・ローチ「We Insist!」

今夜のSUBは20年前から続いている竹田一彦さんの演奏日。おととし西山さんが亡くなる前は西山さんとのデュオの日だった。今夜はベースの手島甫さんとサックスの長谷川朗さんとの共演だったが、2部は2人の若者(女子アルトサックスと男子ドラム)が加わってボリュームのある演奏で楽しかった。
いつも楽しんで聞き、あとでなんであんなに楽しかったのかしらと考える。1セット1時間〜1.5時間を2セットなんだけど、時間を長く感じたことってないもんね。
それに常連の方々や店主の朗さんとの会話も楽しくって。

朗さんがきれい好きなせいで、西山さんがやっておられた当時の店内を崩さないようにしているけど、あちこち修繕したり加えたりして清潔感がある店になっている。
壁に貼ってあるミュージシャンの写真は古びたそのままで、わたしがいちばん気に入っているポスター(We Insist!)は外したらぼろぼろとちぎれてこぼれそう。カウンターに座り演奏が始まると椅子の向きを変える。ポスターからマックス・ローチがこっちをまっすぐに見つめている。いつもこのまなざしに励まされる。

久しぶりのSUBでアマポーラ

ほとんど2カ月ぶりのSUBは竹田一彦さんのギターソロの夜。リクエスト中心に弾いてくださったのだが、リクエストする曲名って出てこないもんだな。
わたしのテーマ曲「グリーン・スリーブス」とちょっと早いけど「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」をお願いした。
そしたら初めてのお客さんがビートルズの曲をかまわないかと聞いてからリクエストされたのだが、竹田さんはそれは知らんからと「イエスタデイ」を弾かれた。この曲を聞いたとたん、映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の画面が思い浮かび、次に「アマポーラ」が浮かんだ。
で、「アマポーラ」をリクエストしたら、竹田さんは、えっ、ちょっと〜と言いながら曲を口ずさんですぐに弾いてくださった。えらい古い曲やと言われて、上記の映画を思い出したからと説明したが、映画名が出てこなくて店主の長谷川さんに助けてもらった。こうして甘えも年の功ってことで(笑)。

演奏も楽しくお客さんも混じっての会話も楽しく、久しぶりのSUBを楽しんだ。毎日ネット中継を見て憂いてばかりいるので、いい休憩になった。