大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』

1ヶ月ほど前に『週間現代』の読書欄で知った本。大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(うず いもせやまおんなていきん たまむすび)。タイトルも作者名もはじめて目にしたが読みたいと思った。「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)という言葉に惹きつけられたのは、ちょうど谷崎潤一郎の『吉野葛』を久しぶりに読んでいたからだ。この谷崎の愛らしい作品のはじめのほうに著者と友人が奈良で待ち合わせ、吉野へ行くいきさつが書いてある。読者はつぎの言葉が読みたくてそそられる。
最初のほうで妹山と背山が並び立ちその間を流れる吉野川の描写がある。幼い谷崎が母といっしょに橋の上から妹山背山を見た記憶が語られる。二つののびやかな山の写真も載っている。

「妹背山婦女庭訓」は近松半二による浄瑠璃のタイトルである。当ブログ5日に書いているが、わたしは20代のころ文楽と歌舞伎に夢中になって「妹背山婦女庭訓」も見ている。その優美さは忘れていないけれど、なんせ40年も昔のことで記憶がほとんどない。近松半二と名前を見ても近松門左衛門の息子さんかなと思うくらい頼りない。全然違ってた、息子さんではありません。
『週間現代』に導かれて本を注文しようかなと思っていたら、図書館に行くからと夫が探して借りてきてくれた。それが先週の木曜日で、木曜日の夜と金曜日丸一日、土曜日の半日かけて読み終えたら目が疲れてしんどくて。
からだは疲れたけどやめられないほどおもしろかった。大阪弁の会話が自分らがしゃべるように自然で頭に入ってくる。
江戸時代の大阪の人々の様子が目に浮かぶように大阪弁で語られるからどんどん惹きつけられていく。道頓堀の芝居小屋の様子が目に浮かぶよう。ろーじ(路地)の長屋など、わたしの幼児期の新町の記憶が役立ち、少しは雰囲気がわかるような気もした。とにかく大阪弁がすごくぴったりきた。

『オール読物』に連載されていたとも知らないで、いまごろ週刊誌の書評欄からの知識で読んだのだが、もし知っていて連載第一回を読んでいたら、続きを読みに毎月発売日に走って買いにいってただろう。『剣客商売』のときのように。
いまは読んだだけでお腹いっぱいになっているが、そのうちまた読みたくなるだろう。今度は買って読む。
(文藝春秋 1850円+税)

谷崎潤一郎『吉野葛』で思い出したことなど

去年は折口信夫に関連する本をたくさん読んで、折口をますます好きになった。子供の頃に親の言いつけで新町までお茶を買いに行き、駄賃をもらって道頓堀で芝居を見たという話にしたしみが増した。
そんなときにこのブログに「わたしの戦争体験」を書き出して、自分の過去をたどると、国民学校(小学校)の遠足で「笠置」へ行ったことを思い出した。「笠置」といえば「後醍醐天皇」を思い出さざるを得ないということも思い出した。歴史の知識はまるでないのに、郷愁に誘われて日本中世史をひもとくことになった。興味が広がるばかりでまるで勉強とはいえないけれど、雰囲気がわかりだして自分では納得している。まだわかりだしたところだが。

そんなときに文庫本を積んである中から谷崎潤一郎の『吉野葛』が見つかった。後醍醐天皇→南朝→吉野と連想がいっての『吉野葛』。すっごく素晴らしい物語で何度も読んで楽しんでいる。
谷崎が東京から京都で一泊して朝早く奈良に入り、待っていた友人と吉野へ向かう。
その友人の恋物語が素敵なのだ。その道中で「妹山」「背山」の前を通ることになる。間に流れているのは吉野川。そこんとこで思い出した。歌舞伎と文楽とで妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)を見たことがある。たしか20代になったころ。そのころは演劇に夢中で自分でお金を払って遊ぶのがうれしかった。もうどんな芝居かも覚えてないが、妹山と背山があって春の場面だった。お琴を弾くシーンがあったなあ。記憶はそんなところである。

それから、25歳くらいで登山に夢中だったころ、知り合いの登山家が自分がよく知っている吉野に連れて行くというのでついて行った。男女2名ずつ4名のパーティで近鉄下市口まで電車、それからバスに乗ってだいぶしてから降りた。どこで降りたやらなんという山に登ったやら覚えていない。沢を歩いて、這って、登って、ご飯をつくって食べた。この山行きは「吉野」という特別な名前でいまだに覚えているが、バス停の名前くらい覚えておいたらよかった。

ここまで書いてネットで調べたら、この芝居を文楽劇場で5月にやっていた。
〈5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」〉

●妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という言葉をどう読むかも忘れていたところ、数日前に大島真寿美さんの本『渦』と出会った。この本の話は後日書く。

夏目漱石『草枕』を音読してみた

椅子にきちんと座り声に出して本を読むのが物忘れ防止によいと『クロワッサン』(5/25号)に書いてあった。「しっかり声を出すことで海馬を刺激し脳機能を高める」そうで、なるほどと思った。そして甲州弁で読んでみようと深沢七郎『甲州子守唄』でやってみた。甲州弁で書いてある会話がわたしが読むとみごとに大阪弁になり挫折。

それなら夏目漱石だ。漱石でいちばん好きな何十回と読んでいる『草枕』だが、音読はしたことない。
今日の昼下がり、相方はアメリカ村ビッグステップで開催されているステップ・ハーベストに行っている。静かな午後に漱石の朗読か〜ええやんかと、iPad miniを出した。漱石作品がいろいろ入れてある。
『草枕』の好きなところを開いて読んでみた。山の池の周りに咲いている椿の花がぽとんと落ちるさまが、静かで密かで不気味という描写が声に出すと目で読むよりずっと迫ってくるものがある。

そのあとで一人の男が視野に入り、反対側からやってきたのがヒロインの那美さんである。ふたりの所作を見守る画家。男になにか渡した那美さんは画家に気づき道を上ってきた。そしてさっきの男性にお金を渡したという。

ここからは引用
野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは呆然として、行く汽車を見送る。その呆然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

3月も読書の月

今日は起きたときは温いような気がしていたがそうでもないとそのあと気がついた。夕方になるとお尻のあたりが寒々とするのでカイロを貼った。これで毛糸のサポーターをつけたら真冬並みだわとサポーターはなし。もうちょっと寒さを感じたら出してはこう。と思っているうちにカイロとストーブのおかげか暖かく感じるようになった。寒さ暑さに敏感な高齢者ですから。パソコンの前に座ったら膝掛け毛布が用意してあります(笑)。

読む本がたくさんあって困る。自分の本を点検しては捨てているのに、姉のところから持ってきた本がある。その中から今夜はドナルド・キーン『百代の過客 日記にみる日本人』(上下 朝日選書)をあちこち読んでいる。この本に「和泉式部日記」の章があったので、自分の持っている古い岩波文庫『和泉式部日記』を出してきてあちこち読んだ。昔ずいぶん愛読したせいで本が傷んでいるのが懐かしい。

『帝王後醍醐』『吉野葛』など読みかけの本もいろいろある。図書館で借りた森山大道『遠野物語』はもう一度読むつもりだが、写真と文章の両方がすごい本だ。

『瀬戸内寂聴の源氏物語』を読んだ

いろんな人の現代語訳で読んできた「源氏物語」。原文で読もうと思って買った岩波文庫は途中で挫折したまま。現代語訳の最初が与謝野晶子、ついで谷崎潤一郎、だいぶ経ってから円地文子、田辺聖子。そして今回、瀬戸内寂聴の語りでおしまいかな。

25年くらい前のあるとき図書館で橋本治の『窯変 源氏物語』を見つけて1冊読んだら、これがおもしろくて、あわてて8冊だったかな、全冊買って読んだ。わたしにはおもしろい本を見つけると「これおもしろかった」と周囲に吹聴しまくるくせがある。その中に過激な言動で知られるフェミニストの女性がいて「男が書いた本をおもしろいなんて!」ときつい返事がきた。
いまそんなことを思い出したが、25年くらい前には過激なフェミニストが周囲に何人かいたっけなあと懐かしい。
『窯変 源氏物語』は全冊揃えて本棚に並ぶと場所をとるし、あるときまた読みたくなったら図書館でと思って売ってしまった。その後は一度も読まないままでいまにいたる。だから本は自分でもっていたい。といってもいまさら買うのもなあ。

「源氏物語」は大好きだけど、ストーリーがわかっているしもう読むのはしんどいという気持ちだった。ところが『瀬戸内寂聴の源氏物語』は分厚い文庫本1冊に読みやすい日本語で収まっている。さあどうする、と考えるより先にどんなんかなあと適当にページをめくって読み出した。どこを読んでも知ってる登場人物の物語でおもしろい。読み出したらさっさと進むのに抵抗があって、読むのはやめようかなとも思った。もっと味のあるのを読みたいと贅沢な悩み。そんな気持ちと別に活字が勝手に目に飛び込みストーリーを追っている。これで充分だ。おもろいわ〜
(講談社文庫 752円+税)

クリスマスの願い笑

何度も書いているけど、去年の今頃姉の家に夕方買い物して行って晩ご飯をいっしょに食べた帰りにダウンした。それ以来ずっと足腰が不調で難儀している。内臓は丈夫で血液検査を見たお医者さんが「あんたは長生きするよ」といってくれた。声は相変わらずでかいし、大声で笑うので特に電話で相手した人は元気だと思うらしい。関東の兄なんか電話がかかっても自分のことしかいわないから、相槌を打つわたしを元気だと思い込んでいるふしがある。
そうでもないんじゃ笑。
とにかく足腰が達者になってすたすた歩けるようになるのを期待するのみ。ストレッチ頑張る。

ありがたいことに、こどものときから家にいるのが好きで、本さえあればおとなしくしている。長いことミステリファンだったが、最近は折口信夫に傾倒しきって、まだ折口本人の本は恐れ多いが、お弟子さんや研究者の本を読んで周りを固めている。そのうち本の感想を書いていくつもり。今日は女弟子というかものすごいユニークな人の本、穂積生萩『私の折口信夫』を読みふけっている。

折口信夫に近づく

昔から折口信夫が好きだった。といっても数首の短歌のことで、そらでいえるようになるまで熟読して覚えこんだからだ。ハイキングで山道に葛の花を見かけて狂喜した。それは関西ではけっこう見られる景色である。わたしが大事そうにその歌を口にすると一緒に歩いている友は「またか〜」とバカにするのだった。

一昨年、「神道」とはなにかいなくらいな気持ちで、雑誌『現代思想』2017年2月(特集 神道を考える)を買って読んだのがきっかけで、折口信夫学徒に勝手になってしまった。この厚い雑誌からいろんなことを学んだが、特に対談している安藤礼二さんの言葉に惹かれて、何度も繰り返し読んだ。優しい言葉でむずかしいことをいう人だという印象。

そして折口信夫が大きな存在だということを知った。そのときよりずっと前に折口の小説『死者の書』を読んで當麻寺に行ったり、竹内峠を歩いたりしていたし、二上山にも登った。泉北に住んでいた3年間は毎日二上山を眺めて暮らしていた。

折口が書いた本には短歌以外にまだ手が出ないが、いろんな人が書いた折口についての本をいろいろ買って読んだ。ぼつぼつ感想を書いていくつもりだ。

夏目漱石『行人』を青空文庫で読む、長雨の夜

ここんとこ毎日雨が降っている。ずっと暑い日が続いていたから涼しいのは大歓迎だが、最近は雨が降りすぎだ。
洗濯物が乾かなくて、部屋の中は室内干しの衣類がいっぱいぶら下がっている。洗濯物を見ないようにして読書とMac。

悪い膝関節が湿気に反応して重苦しくいやな感じ。
ずっと昔のことだが、祖母が肘の痛みで雨が降るのがわかるといってたのを思い出す。笑って聞いてたけど、「あんたらもそのうちにわかる」といわれた「そのうち」の時節が到来したようだ。祖母の予言はぴたっと当たった。そのうち誰かにいってやろう。

こんなときは読書しかない。今日はiPhoneの青空文庫で読む。夏目漱石の『行人』はわりと好きというか心に作用するところがあるのでときどき読む。今日も主人公の苦悩をともに苦しみながら読んでいる。

池波正太郎『剣客商売 番外編 ないしょ ないしょ』

『剣客商売』シリーズ最後の1冊を読み終わった。まだ買ってなくてどうしようかと思っていた「ないしょ ないしょ」をつるかめさんが貸してくださって読了できた。
今回は「黒白」の重苦しいほどの剣の達人物語と違って、お福という優しくしっかりした女性の仇討ち物語を含んだ半生記である。
最初の雇い主に強姦されて、仕返しに朝の味噌汁にねずみのフンを刻んで入れたお福。雇い主はそれを知ったが笑ってすませた。

雇い主が惨殺され、働く場所をなくしたお福は下男の五平といっしょに江戸へ出て女中奉公の口を見つける。
年老いた雇い主が早朝の庭で毎朝練習している手裏剣投げを見ていて投げさせてもらう。お福には投げる才能があったようで、練習に精を出し手裏剣が思うところに投げられるようになった。雇い主が亡くなったあとも練習に精を出す。手裏剣は腰で投げる。

お福は誠実に働きながら殺された元の主人の仇を探し出し、秋山小兵衛の助けを借りて仇に向かう。お福の手裏剣は仇の目と背中に刺さった。小兵衛は女は人殺しをしてはいけないと、自らが仇の腕や足に刀をふるい、殺さずに御用聞きの弥七らに細引き縄を打たせる。

小兵衛さんと医者の小川宗哲先生が出てきてお福に優しくしてくれるところでにっこり。肩を張るところがなく暖かい気分で読めた。

池波正太郎『剣客商売 番外編 黒白』を読み終わった

もう1ヶ月になるが『剣客商売』をまとめて友だちにもらってもらった。名残惜しくてつい読み返したのがいけなかった。最初から読んで、読み終えてから結局3回持って行ったのだが、目は疲れる肩は凝るでおおいに疲れた。その上に別冊の「黒白」がすごくいいと聞いたので買ったら分厚い上下。ちょっと読み出したらきりがない。秋山小兵衛の若き日というより壮年期を描いており、妻のお貞との結婚生活、息子の大治郎が育っていく姿がとてもいい。

「黒白」はただ秋山家の物語というだけでなく、もう一人の主人公、波切八郎の物語でもある。八郎は小兵衛とどっちかというほどのすごい剣術つかいである。木剣で立ち会って小兵衛が勝った。それ以来八郎は真剣で勝負したいと思い続けて試合を申し込む。小兵衛は応じてその日に待っていたが八郎は現れなかった。武士の義理を捨ててしまった八郎は暗殺者の道を歩むようになる。女性に触ったこともなく剣の道に勤しんでいた彼に寄ってきたお信に惚れ込んでしまう。謎の女お信への純愛につい波切さんを応援してしまった。

一方、小兵衛はお貞と死に別れ、次の女には逃げられて、最後はおなじみの「おはる」と長く暮らすことになる。
いろいろあったお信と八郎が結ばれて幸せそうな最後のシーンがうれしい。
武士道と恋愛とが縦横に描かれた時代小説。楽しんだ。