『瀬戸内寂聴の源氏物語』を読んだ

いろんな人の現代語訳で読んできた「源氏物語」。原文で読もうと思って買った岩波文庫は途中で挫折したまま。現代語訳の最初が与謝野晶子、ついで谷崎潤一郎、だいぶ経ってから円地文子、田辺聖子。そして今回、瀬戸内寂聴の語りでおしまいかな。

25年くらい前のあるとき図書館で橋本治の『窯変 源氏物語』を見つけて1冊読んだら、これがおもしろくて、あわてて8冊だったかな、全冊買って読んだ。わたしにはおもしろい本を見つけると「これおもしろかった」と周囲に吹聴しまくるくせがある。その中に過激な言動で知られるフェミニストの女性がいて「男が書いた本をおもしろいなんて!」ときつい返事がきた。
いまそんなことを思い出したが、25年くらい前には過激なフェミニストが周囲に何人かいたっけなあと懐かしい。
『窯変 源氏物語』は全冊揃えて本棚に並ぶと場所をとるし、あるときまた読みたくなったら図書館でと思って売ってしまった。その後は一度も読まないままでいまにいたる。だから本は自分でもっていたい。といってもいまさら買うのもなあ。

「源氏物語」は大好きだけど、ストーリーがわかっているしもう読むのはしんどいという気持ちだった。ところが『瀬戸内寂聴の源氏物語』は分厚い文庫本1冊に読みやすい日本語で収まっている。さあどうする、と考えるより先にどんなんかなあと適当にページをめくって読み出した。どこを読んでも知ってる登場人物の物語でおもしろい。読み出したらさっさと進むのに抵抗があって、読むのはやめようかなとも思った。もっと味のあるのを読みたいと贅沢な悩み。そんな気持ちと別に活字が勝手に目に飛び込みストーリーを追っている。これで充分だ。おもろいわ〜
(講談社文庫 752円+税)

『カメラ紀行 大和の神話』(文/堀内民一・写真/浜口喜代治)とわたしの夢

姉の本箱の奥深くから飛び出してきたので持って帰った本。1964年淡交新社刊。表紙の青空をバックに由緒ありげな古い家屋(葛城の民家)の屋根の写真があんまりよく思えず、本箱にもどそうかと思った。あらためて眺めるときちんとした本なので大和の家とか風景の写真集かなとめくったら、風景や寺社の白黒写真がものすごく美しいので、これもらうって叫んでもらって帰った。帰ってから文章を読んだら、なんたる縁か、堀内氏は折口信夫先生の弟子なのであった。そして文中には折口先生の詩や文章からの引用がたくさんあり、しかも古寺を訪ねる折口先生の自動車に乗せてもらっての記録があってうれしくて涙が出そう。

わたしのいまの夢、第一は「大和を歩く」第二は「笠置を訪ねる」である。どちらもひとまず奈良へ行って一泊し、タクシーを雇って風景を見ながら移動する。
大和は二上山からはじめてまわりの山や風景を確かめつつ當麻寺で一服する。
笠置は後醍醐天皇の由緒を訪ねて、いま笠置公園になっているところで一服する。
いま貯金計画中でいつになったら実現できるかわからない。肝心の足がどうにかならんとあかんし「夢」のままで終わるかも。

クリスマスの願い笑

何度も書いているけど、去年の今頃姉の家に夕方買い物して行って晩ご飯をいっしょに食べた帰りにダウンした。それ以来ずっと足腰が不調で難儀している。内臓は丈夫で血液検査を見たお医者さんが「あんたは長生きするよ」といってくれた。声は相変わらずでかいし、大声で笑うので特に電話で相手した人は元気だと思うらしい。関東の兄なんか電話がかかっても自分のことしかいわないから、相槌を打つわたしを元気だと思い込んでいるふしがある。
そうでもないんじゃ笑。
とにかく足腰が達者になってすたすた歩けるようになるのを期待するのみ。ストレッチ頑張る。

ありがたいことに、こどものときから家にいるのが好きで、本さえあればおとなしくしている。長いことミステリファンだったが、最近は折口信夫に傾倒しきって、まだ折口本人の本は恐れ多いが、お弟子さんや研究者の本を読んで周りを固めている。そのうち本の感想を書いていくつもり。今日は女弟子というかものすごいユニークな人の本、穂積生萩『私の折口信夫』を読みふけっている。

コルカノンを食べて北アイルランドのミステリー

今日の晩ご飯は焼酎のソーダ割りと前菜としてハムとコルカノンを盛った一皿。アイルランドのジャガイモ料理コルカノンが大好き。茹でたジャガイモと茹でたケールを合わせてつくる。
ついでに書いておくと、主菜は野菜とキノコと鶏肉の鍋。残ったスープに中華そばを入れて食べた。

このところ10日くらい暇があれば家中の椅子に座り込んで読んでるのが『コールド・コールド・グラウンド』。主人公ショーン・ダフィは王立アルスター警察隊巡査部長。口が達者で手が早い。一人暮らしで簡単な料理をさっとつくる。お酒はもちろんよく飲む。北アイルランドでカトリックであることが大変なことだとこの本でよくわかる。
北アイルランドのことは児童文学、たしか岩波少年文庫に入っていた女性作家の作品を読んで勉強になった。かなり前の話だけど、うっすらと頭に残っているからこの本を読むのに助けになった。
誰かとなんかしゃべっていて相槌が「あい」。この翻訳をうまいと思った。ふだん「あい」といっているけど書くときは「はい」になってしまうから。

事件は撃ち殺してから手首を切りとり、胴体の上にその手首を置いてある死体が発見されたことからはじまる。ところが胴体と手首は別々の人間のものだった。
(エイドリアン・マッキンティ 武藤陽生訳 ハヤカワ文庫 1000円+税)

折口信夫に近づく

昔から折口信夫が好きだった。といっても数首の短歌のことで、そらでいえるようになるまで熟読して覚えこんだからだ。ハイキングで山道に葛の花を見かけて狂喜した。それは関西ではけっこう見られる景色である。わたしが大事そうにその歌を口にすると一緒に歩いている友は「またか〜」とバカにするのだった。

一昨年、「神道」とはなにかいなくらいな気持ちで、雑誌『現代思想』2017年2月(特集 神道を考える)を買って読んだのがきっかけで、折口信夫学徒に勝手になってしまった。この厚い雑誌からいろんなことを学んだが、特に対談している安藤礼二さんの言葉に惹かれて、何度も繰り返し読んだ。優しい言葉でむずかしいことをいう人だという印象。

そして折口信夫が大きな存在だということを知った。そのときよりずっと前に折口の小説『死者の書』を読んで當麻寺に行ったり、竹内峠を歩いたりしていたし、二上山にも登った。泉北に住んでいた3年間は毎日二上山を眺めて暮らしていた。

折口が書いた本には短歌以外にまだ手が出ないが、いろんな人が書いた折口についての本をいろいろ買って読んだ。ぼつぼつ感想を書いていくつもりだ。

夏目漱石『行人』を青空文庫で読む、長雨の夜

ここんとこ毎日雨が降っている。ずっと暑い日が続いていたから涼しいのは大歓迎だが、最近は雨が降りすぎだ。
洗濯物が乾かなくて、部屋の中は室内干しの衣類がいっぱいぶら下がっている。洗濯物を見ないようにして読書とMac。

悪い膝関節が湿気に反応して重苦しくいやな感じ。
ずっと昔のことだが、祖母が肘の痛みで雨が降るのがわかるといってたのを思い出す。笑って聞いてたけど、「あんたらもそのうちにわかる」といわれた「そのうち」の時節が到来したようだ。祖母の予言はぴたっと当たった。そのうち誰かにいってやろう。

こんなときは読書しかない。今日はiPhoneの青空文庫で読む。夏目漱石の『行人』はわりと好きというか心に作用するところがあるのでときどき読む。今日も主人公の苦悩をともに苦しみながら読んでいる。

レジナルド・ヒル『子供の悪戯』を買ったのは25年前

古い本の整理を続けている。読みたい本はほとんど買うから増えるばかりで置いておく場所は増えないから積み重なるばかりである。先日の大阪北部地震のときに本棚から本が溢れて、また本の始末をしなければと思った。阪神大震災のときは壁に沿った本棚からふとんの上に本が飛んできたので怖くなって、もう全集は買わないと決意した。買っても目が悪くなったし時間がないし読めないもんね。

今日はレジナルド・ヒルの本が並んでいる本箱を見ていたら『子供の悪戯』があった。なんと扉のタイトルの下にサインが入っている。オシャレな文字だ。あれっと思い出したのは、京都まで講演会に行って、そこで買った本にサインをもらったこと。握手もしてもらった。そして帰りの京阪電車で読み始めたっけ。
書店が主催したイギリスの3人の実力派作家を呼んだ講演会+サイン会だった。実はわたしは3人とも読んだことがなかった。わたしのミステリ好きは父親ゆずりの古い作家と自分が開拓したアメリカのハードボイルドに限られていたから、そのころはイギリスの警察物にはめちゃくちゃ弱かった。でもこれから手を出そうと思っていたのではるばる京都三条まで行ったのだ。
質問時間にパスコー警部の妻エリーが好きという女性の発言があり、エリーを知らないわたしは嫉妬でめらめら(笑)。帰りにロビーでサインをもらうときはなんでも知ってるファン顔してた、ははは。
『子供の悪戯』の三版は1993年に出ているから、講演会はこの年のことだったろう。25年も前だったんだ。

2012年1月にレジナルド・ヒルさんはお亡くなりになったが、大好きなダルジール警視、パスコー警部、ウィールド刑事が活躍する姿が本を開けば蘇る。(秋津知子訳 ハヤカワポケットミステリ 1300円)

アニー・デュプレーの本『黒いヴェール』

ツイッターでアニー・デュプレーという名前をちらりと目にしたとき、あれっと思った。この人のこと知ってるはず。フランスの女優らしいからきっとそうだと勝手に決めた。検索したらジャン・リュック・ゴダール監督の『彼女について私が知っている二、三の事柄』 (1966)、アラン・レネ監督の『薔薇のスタビスキー』 (1973)に出ている。どっちの監督の作品もよく見ているほうだが、この2本は見ていない。『女性たち』 (1969)なんかブリジッド・バルドーとモーリス・ロネだが日本未公開である。全然思い違いしていたと気がついた。

子供の頃に見たフランス映画を思い出してみようとしたが思い出せない。10歳年上の二番目の姉が映画好きでよく連れて行ってくれた。ボーイフレンドと行くための親への目くらましに使われたみたいだが、わたしひとりで映画館に入るには3年くらいの間があったから、ありがたかった。映画を見ること、映画雑誌を見ることを教えてもらって、その上に映画を見たらストーリーをしゃべることも教えてもらった。映画と同時に歌舞伎と文楽と新派と新劇を見におしゃれして出かけることも教わった。ただし姉がおしゃれするだけでわたしは相変わらずみじめったらしかったが。あんたも大人になったらわたしみたいにできるといわれました(笑)。ボーイフレンドには近所の子といってました(笑)。

さて、アニー・デュプレーは思っていた人と全然違った。アニーは間違いないと思うんだけど。『黒いヴェール』は美しい写真の入った本でずっしり重い。最近は本を捨てるのに専念しているから、地震対策にも重い本はいらない。でも重くても美しい写真がたくさん入っているから本棚に並べよう。
(北代美和子訳 リュシアン・ルグラ写真 文藝春秋 1996刊)

マイク・デイヴィス『スラムの惑星』の扉に圧倒された。外は歴史的大雨

ラジオのニュースをかけて食事している。今夜は歴史的大雨のニュースが中心だ。各地に想像を絶するような雨が降ると野村アナウンサーが告げている。今夜はときどきラジオをかけつつネットニュースにも気配りしようといいながら晩ご飯を食べた。片付けも早めにちゃっちゃっとやった。

先日からアマゾンで何冊か本を買って読むつもりでいるが、雨に圧倒されて集中できそうにない。在庫本を開いてお気に入りのところを読んでいる。まあ、これも楽しいのだが。

今日届いたマイク・デイヴィス『スラムの惑星』(明石書店)は数年前に図書館で借りて読んだことがあるが、今回「酒井隆史 監訳」というところに思い入れがあり買うことにした。開いて驚いた。いきなり扉に1行「都市は発展して、スラム、半スラム、超スラムになってしまった」(パトリック・ゲデス)とある。圧倒された1行。

池波正太郎『剣客商売 番外編 ないしょ ないしょ』

『剣客商売』シリーズ最後の1冊を読み終わった。まだ買ってなくてどうしようかと思っていた「ないしょ ないしょ」をつるかめさんが貸してくださって読了できた。
今回は「黒白」の重苦しいほどの剣の達人物語と違って、お福という優しくしっかりした女性の仇討ち物語を含んだ半生記である。
最初の雇い主に強姦されて、仕返しに朝の味噌汁にねずみのフンを刻んで入れたお福。雇い主はそれを知ったが笑ってすませた。

雇い主が惨殺され、働く場所をなくしたお福は下男の五平といっしょに江戸へ出て女中奉公の口を見つける。
年老いた雇い主が早朝の庭で毎朝練習している手裏剣投げを見ていて投げさせてもらう。お福には投げる才能があったようで、練習に精を出し手裏剣が思うところに投げられるようになった。雇い主が亡くなったあとも練習に精を出す。手裏剣は腰で投げる。

お福は誠実に働きながら殺された元の主人の仇を探し出し、秋山小兵衛の助けを借りて仇に向かう。お福の手裏剣は仇の目と背中に刺さった。小兵衛は女は人殺しをしてはいけないと、自らが仇の腕や足に刀をふるい、殺さずに御用聞きの弥七らに細引き縄を打たせる。

小兵衛さんと医者の小川宗哲先生が出てきてお福に優しくしてくれるところでにっこり。肩を張るところがなく暖かい気分で読めた。