あわてない、あわてない

午後からつるかめ整体院に行くのに歩いていくことにして家を出たのだが途中で挫折。車椅子に乗せてもらった。近い距離なのにひざがいうことを聞かない。というわけで、ひざを中心に治療してもらった。ひざが歪んでいたようだ。目も疲れていてマッサージが効いた。

自己診断は本の読み過ぎ。村上春樹の『海辺のカフカ』に熱中しすぎである。
せっかく酒井慎太郎さんの『ひざ痛は99%完治する』を教科書にして「お風呂で正座」しても、しすぎはよくない。
あわてものである。効果を待ってあわてている。一進一退、あわてたらあかん

反省、反省・・・

本は自分で買ったものでいつでもここにあるのだし、もうちょっと落ち着いてゆっくり読もう。
もうちょっと落ち着いてお風呂正座を続けよう。

菜の花のリゾット

今シーズン最初の菜花だと広げた新聞紙にのせた小さい黄色い花がついた菜花。さっそくちいさなガラス瓶に挿した。これからは菜花を食べるごとにつぼみがついた枝を食卓や机にかざる。5月ごろまでの楽しみ。
もちろん食べるほうの楽しみも半年くらいあるだろう。菜の花のなんちゃらという料理がしょっちゅうテーブルに並ぶはず。

昨日の昼は菜の花のスパゲッティだった。さっぱりしてうまかった〜これ大好き。
今日の昼は菜の花のリゾット。白いスープ皿にグリーンの色が際立つおかゆだ。おかずは鶏肉とブロッコリーの炒めもの、豆腐とトマトと玉ねぎのサラダ。紅茶のあとデザートに柿。おやつにはたっぷりのコーヒーとアボカドのオープンサンド。

ジョン・フォード監督『リオ・グランデの砦』

ずいぶん前に本屋で買った安いDVDのハードボイルド映画を何本か見た。その他に西部劇や恋愛ものもある。昨日取り出したのはジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の『リオ・グランデの砦』。なんと290円の値札が貼ってある。そして同じような西部劇がまだ数枚ある。どれも買ったときに一度は見ているが、それぞれおもしろいから置いてある。古色蒼然とした西部劇だけど人情味があり、相手役は美女でしっかりしていて言葉のやり取りも楽しい。白黒映画で画質もけっこういい。

騎兵隊とインディアンたちのリオ・グランデの砦で繰り広げられる攻防を丁寧に描く。騎兵隊の英雄ジョン・ウェインの妻がアイルランド系の美女モーリン・オハラで、一人息子を連隊から家に連れて帰ろうとする。息子は意地でも帰らない、騎兵隊で戦いたいという。

結局は全員でインディアン部隊をやっつけ砦を死守する。騎兵隊は善、インディアンは悪と割り切った考えで作られた映画だが、子供達の可愛らしさ、若者たちの率直さ、洗濯する女房たちの真面目さ等気持ちよく見られた。アイルランドの歌がたくさん歌われるところもよかった。

太平洋戦争開戦日(わたしの戦争体験記 77)

前に書いていて重複するかもしれないが、いまの記憶で書く。
今日12月8日は「太平洋戦争開戦日」だ。 1941年(昭和16年)だから78年前のことである。1941年12月8日、日本はアメリカの太平洋艦隊の根拠地・ハワイの真珠湾を急襲、アメリカ・イギリスに宣戦布告をし、太平洋戦争がはじまった。

我が家はいつものように父母が7人の子供たちに朝食を食べさせ職場と学校に行かせた。わたしは一年生としてランドセルを背負って西六国民学校へ行った。学校ではいつものとおりだったと思う。まだ戦時色はなかったような気がする。
お昼前の4時間目前の教室へ父親がやってきて先生になにか話している。よろしいと返事があって父が呼んだので、わたしはついていって阪急電車に乗り、父の働く会社についた。
その日は年末近いのにも関わらず会社の祝いの会だったようで、舞台のついた広い食堂ではお弁当が出て社員たちが和んでいた。舞台には漫才や落語や流行歌の芸人が芸を披露して午後遅くまで賑やかだった。いま思うと会社の戦時特需だったのかも。
父の姉が紹介してくれた会社で東京から移転してきた父と姉2人が働いていた。戦時の特需というか鉄工の仕事は忙しかったのだろう。長女は経理課、次女はタイピストとして働いていた。

夕方にお開きになり、父と二人で帰ったのだが、阪急電車が梅田に着くと駅構内がものものしい雰囲気だ。いつも空いているシャッターが閉められ薄暗い。号外が出たのか夕刊か床に新聞紙がばらまかれている。ちょっと違和感を感じる風景だ。
駅ビルの外はすっかり夜で真っ暗だ。新町の家に帰るのに市電に乗ると、乗客たちが殺気立っている。父はこどもを連れているんだ、ちょっと奥へ入れてくれと叫んでいる。ようよう奥へ入れて家に帰れた。
「戦争だ、大変だぞ」と拾ってきた新聞紙を広げて父がいう。ハリウッド映画とジャズとミステリをこよなく愛している父にとって大変な時代がはじまった。わたしにはまだなにもわからなかった。疎開もB29空襲もまだまだ先の話である。

人生が始まったときに疎開があり、つぎにアメリカ軍の空襲で生活基盤を根こそぎ失った。それでもわたしは開戦から78年生き延びていま85歳である。そうだよ、どっこい、おいらは生きている。

人生最底の寒さ?

この日記に「人生最高の暑さ」と書いたのは8月2日だった。さっき思い出して8月の日記をたどってわかった。さて、最近はめちゃくちゃ寒い。「人生最低の寒さ」はこの冬のいつくるんだろう。「暑さも寒さも彼岸まで」という従来の言葉が通用しなくなった今日このごろ。人生で味う最低気温の日がこの冬にありそうな予感がする。

寒さはひざに悪くて、火水木と外を歩けたのに昨日今日は家にいても歩きづらい。立つと体が前に傾く姿勢になるし、寒さと湿度のせいでひざがこわばる。流しの前で前かがみになるのも、本を読むのに机に向かって前かがみになるのもよくない。まあ、よくないとわかるだけでもましか。「お風呂で正座」を頑張ろう。

いまベランダに出たら猛烈に寒い。洗濯物が凍るんじゃないかしら。この頃の洗濯機は脱水がしっかりしているから大丈夫だと思うけど。
夜中に今日使った布巾を洗って干すのだがベランダに出るのがおっくうだ。いやいやたいしたことのない雑用だ、黙って片付けよう。

白髪あたまも悪くない

昨日はシュリットへ行って髪をカットしてもらった。2年近く夫に車椅子で送ってもらっていたが、もう大丈夫と歩きにした。でも介助者つき。帰りも迎えにきてもらった。トシだから安全第一に。
20年以上通っている店だからしゃべりと笑いでにぎやかな午後を過ごした。西区各地の情報交換もたのしかった。
食べ物屋さんのうわさ、おたがいの知り合いのうわさ話もいろいろ。

「白髪が増えてきたねえ、けどここらは茶色いで、あと3ヶ月待ちやな」とのことで、まだ茶色や黒っぽいところがある。最初は2年といわれたがそこまで待たずに白髪あたまになりそうである。
派手なハイライト入り茶髪から白髪へ。印象が変わったが笑ったり笑みを浮かべたりするとなかなか愛嬌があっていい感じだ。自画自賛(笑)。

ハワード・ホークス監督『三つ数えろ』

先日ジョン・ヒューストン監督の『キー・ラーゴ』を見てよかったので、うちにあるDVDを探したら出てきた。原作はレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』。戦後のなにもないときに阪急電車三国駅近い夜店の屋台で見つけたミステリ雑誌『宝石』に翻訳されていた。何度も読んだからハンフリー・ボガードとローレン・バコールのやりとりを口ずさめた。雑誌のほうはつい先頃まで押入れに置いてあったが、点検したら傷んでどうしようもないから捨てた。DVDは他のハードボイルド映画といっしょに保存用の箱に入っている。

父は戦前の映画のファンだったが、二番目の姉は戦後のアメリカ映画の熱烈ファンで、中学生のわたしはお風呂屋への往復など歩きながらストーリーや姉独自の解説を聞くのが好きだった。戦後アメリカ映画が上映されるようになり姉はウキウキと青春時代の最後を過ごし、話し相手はわたししかいなかった。その後、姉は結婚して子供を2人つくり彼女らが学校へ行くようになると深夜映画に熱中した。画質などという贅沢なことはいわずただストーリーを追い、スターの姿を追っていた。
わたしも父と姉の足跡を追って映画ファンになったが、時代がかわったこととわたしが理屈を好む性格ということもあって、映画批評やらヨーロッパ映画やらと窓口を広げていった。

ハワード・ホークス監督『三つ数えろ』はハンフリー・ボガードとローレン・バコールの演技にハードボイルドという覚えたての言葉がぴったりだった。映画館で見たか深夜映画で見たのかはっきりしないが夢中で見たことを覚えている。
かなり前になるがハリウッドの名画のDVDが街の書店で売っているのを知って買いに行った。1枚500円か1000円くらいだったので大枚はたいて20枚くらい買ったっけ。それらの中で「もう一度見る」という基準で何枚か残してある。話が長くなったが、『三つ数えろ』もその一枚である。

歩き復活へ準備中

おととしの秋頃から歩くのがおっくうになり、年末に姉の家に行った帰りについにギブアップした。
義弟の年賀状から病名(脊柱管狭窄症)がわかり、電話で半年で治ったというので、どうして治ったのがわかったか聞くと「歩けるようになった」とのこと。わたしもいつか歩けるようになると信じてストレッチを頑張った。わたしの場合は1年半かかってしまったが、先日整形外科の先生にひざの具合を診てもらっているとき尋ねたら、腰も背中もどうもないと診断してくださった。うれしくって(笑)この日記に何度か書いた。

残る病いは「ひざ」である。
酒井慎太郎さんの『ひざ痛は99%完治する』を熟読して実践中。
昨日は整形外科まで歩いて行った。相方が車椅子を空車で押し、わたしはその横を杖をついて歩いた。よちよちだが予定通り歩けた。
今日はつるかめ整体院の帰りに家まで歩いた。しゃべりながら歩いていると、向こうから知った顔が赤ちゃんを抱いて自転車でやってくる。なんと友人のお嬢さんで赤ちゃんのお母さん。すごいタイミングで出会ったものだ。立ち話をして別れたが、同じ西区の住人だからこれからもよく会うでしょう。

吸血虫 ブユ(わたしの戦争体験記 76)

ブユまたはブヨに噛まれて大変だった話は早めに書いたような気がするが、山梨県で過ごした最初の夏に足と腕を掻きまくり、死ぬような思いをしたことをしっかり書いておかねば。

ブユは知らぬ間に忍び寄り血を吸っていく。腕や足のすねに小さな黒い点があるとそれはブユ。素早く叩くと噛まれたあとでも爽快だ。赤い血を残してつぶれたブユを見ると笑みが浮かぶ。つぶれたブユを見ているとその隙に次のブユが噛んでいたりするが。
わたしは毎日毎日腕と足のすねを掻きまくって血だらけだった。メンソレータムを塗りまくって、出血が止まらないと包帯を巻いた。庭の木の枝にはわたしの血を洗った包帯が風に揺れていた。いまでも包帯を巻くのはうまい、バンドエイドには負けるが(笑)。

学校に行くと病人は体操を休めたので、病身のAさんと二人でいつも見学だった。意地悪な子はくみこさんは仮病だとわたしに聞こえるようにいっていたが、なんのその、体操は休んだ。おかげで6年生になっても鉄棒と跳び箱は最低のままだった。逃げ足が速いから走るのは得意だったけど。

長じて登山に目覚め槍ヶ岳に登ったこともあったが、日常的には六甲山に登っていた。単独行と称して一人で登ることが多かった。関西の山ではブユはあまり出会わないが、たまには噛まれることがある。長袖シャツ、長スボンで山登りしていても顔を噛まれることがあるし、シャツの隙間から忍び寄って噛んでいくことがある。

ブユの一番好きな時間の夕方に道を歩くときは、鈴の音を響かせながら歩いたらいいと祖母が教えてくれたのをいま思い出した。

お風呂で正座する

わたしはひざが悪いので畳の上で正座ができない。めったにないがたまーに法事とかいくと苦労する。あるときからひざが悪うて正座ができませんと最初に断って堂々と開き直り、ひざを崩して座っている。左右とっかえ引き換えで堂々たるもの(笑)。
今度ひざが治ったときみんなと会う機会があればさりげなく正座しておどろかせてやろう。正座できるようになっていれば(笑)。

酒井慎太郎さんの『ひざ痛は99%完治する』にはいろんなストレッチのやりかたが出ていてひざ痛に対処しようという気持ちになる。わたしがこの本で気に入っているのは「お風呂での正座」。湯を張った浴槽で30秒ほど正座する。そして足を崩してまた正座するを数回繰り返す。お湯にひざを折ってつかると、どこまでも湯が入っているようで不安になる。そのうちに自信を持って湯に浸かれるようになるだろう。
その他に「ひざ曲げ伸ばし体操」がある。片足をまっすぐに伸ばし、片足を曲げて何分と繰り返す。これも効きそう。