白髪まじりのボブ

今日は髪の話です。染めるのはやめて白髪でいく。
美容院シュリットのシマさんが「すぎやさんにはボブが似合う」というので、ここ数年ずっと長さに違いはあるがボブにしていた。ずっと以前から染めていて茶髪だが最近はハイライト入りでなかなかシブい。シマさんはたまにカットしながら「白髪80%〜」というので、われながらいつまで染めるのかなと気になっていた。最後に染めたのが3月5日で、その日は相方が迎えにきて賑やかにしゃべった。シマさんは機嫌よくふたりの写真を撮ってくれた。なかなかかっこいい。毎日仕上げた髪型の写真を撮っているから腕があがっている。

4月にシマさんが入院することになり退院日が予定より長引いたとき、いま白髪交じりを我慢してこれを機会に白髪にしようと決心した。うまいカットで白髪部分がいい塩梅に茶色い表側に隠れている。当分これでいこう。

それからカットに今日を入れて2回行っている。かなり白いところが目立ってきたが、ブラッシングの具合で上手に隠れているところがあってヘンではない。先日会った人は白髪が自然にきれいに見えるといってくれた。腕の良い職人さんの手が入っているのは一目瞭然なり。

野菜と海藻をよく食べているから髪の伸びるのが早いそうだ。白髪あたまはショートにするかボブにするか考えてくれるそうだ。帽子も買う。

月月火水木金金(わたしの戦争体験記 63)

戦時中のいつのころか日曜日と土曜日がなくなって、日曜日は月曜日と同じに働いたり勉強したり、土曜日は金曜日と同じく働いたり勉強したりする日になった。大阪にいるときはどうだったかなあ。1年生のときは土曜日は半ドンだったように思うが。山梨県ではどうだったろう。日曜日は学校を休んでいたような気がする。休みといっても畑仕事の手伝いやらされたから、やっぱり「月月火水木金金」だったなあ。

「ヤフー知恵袋」(ベストアンサーに選ばれた回答)からの引用です。
【もとは大日本帝国海軍で用いられたのが始まりである。海軍は日露戦争勝利後も、「勝って兜の緒を締めよ」とばかりに猛訓練していたが、ワシントン・ロンドンの各軍縮条約で艦船の数的不利をうけて、更に休日返上で猛訓練を行っており、ある海軍士官が「これでは、まるで月月火水木金金じゃないか」とふと同僚に漏らした言葉が、やがて海軍中に広まったものとされ、このニュアンスからして「月月火水木金金」は海軍精神の発露というより、むしろ猛訓練に辟易していた海軍将兵らが自嘲気味に使ったのが始まりかと思われる。
太平洋戦争中には、勤務礼賛の意味で、国民の間で広く使われた。】
引用させていただきました。ありがとうございます。勉強になりました。

わたしの歌える歌詞は以下である。

朝だ 夜明けだ うしおのいぶき〜
う〜んと吸い込む あかがね色の
胸に◯◯のみなぎる誇り
海の男だ 艦隊勤務
月月火水木金金

ちょっと忘れたとこあるけどこんな歌詞で調子が良かった。何十年も前の歌をよく覚えているもんだ。
しかし、第二次世界大戦中って標語や歌がえらく流通してた。しょっちゅうラジオから流れていたし、道路とか学校とか拡声器でがなり立てていたから。

青竹踏み

最近よく青竹踏みをしている。50センチくらいの長さの太い竹を縦に二等分したもので、丸いほうを上にして踏むようになっている。何回と数えてやることもあるし、ひたすら時間を待つこともある。ずいぶん昔にどこかで買ってきたもので280円と金額を覚えている。そのころは東洋体操に凝っていて本を読んでそのとおりにやってみたりしていた。だけど、青竹(買った時から茶色だった)踏みは足の裏が痛くて何度も踏めない。最近いくらでも踏めるのは、ずっと机の下に置いていつも足をのっけていたからだろう。

1983年に出た津村喬『東洋体育の本』という本を、いまだに出してきて体操したりマッサージしたりしているが、そのあたりが我が家の東洋体育びたりの最初のころだった。空手を習いに行ったのもそのあたりかな。

長いこと机の下でわたしの足乗せになっていた青竹だが、いまは食卓の下に横たわっていて、ご飯の前後の待ち時間なんかにわたしが踏んでいる。ストレッチの合間にも踏んでいる。土踏まずがすごくいい気持ちになる。風呂上がりの青竹踏みはええ感じです。

事件

昨日はお昼過ぎまで寝ていて慌てて起きて(笑)洗濯した。ベランダにいると外から拡声器の声が聞こえる。「家から外に出ないように」というているようだ。なんやねんと思っているうちに消防車は通り過ぎて行った。なにか街路樹に農薬でも撒いたのかなと思ったが、ネットニュースを読んで気がついた。吹田市で事件が起こったようだ。犯人は警官を刺して奪った銃を持っている。吹田やて。姪夫婦が住んでいる。現場からは離れているから大丈夫やろ。とはいえ北のほうとはいえ、南に向かって乗り物に乗ればうちだってすぐだ。消防車も家から出るなといってたし。

「うちらはいわれなくてもどこにも行かないから大丈夫です」といったら、相方は「おれは本屋に行く」という。「心斎橋で撃たれへんように気をつけてや」といえども、どうやって気をつけるんや。
高齢者夫婦は呑気なことを言いながら、一人は本屋、ひとりは昼寝。
夕方、また拡声器から声が聞こえた。「・・外に出ないように」「はいはい、出ませんから大丈夫」と独り言で返事してツイッターでつぶやいといた。

お昼はラーメン、夜は親子丼

昨夜は相方は夜遊びに出かけ、わたしは家で一人夜遊びしてたので今朝は朝寝坊というか昼寝坊というか・・・起きてあわててお洗濯。
昼ごはんは個食なので、ラクチンなラーメンにした。モヤシをたくさんとウインナーソーセージを炒めて、非常用に買ってあるサッポロ塩ラーメン1袋。カンタンで美味。
相方は昨日の残りの豆乳とスープとサラダなどでトースト。

おやつはコーヒーとサンドイッチ。
おやつのあとストレッチしてたら、プラスチックボールに首筋を乗せたまま寝入ってしまった。目が覚めてびっくり。まあなんともなくてよかった。肩こりによかったかも。

晩ご飯は相方が本屋に行った帰りにさっさと買い物してきて親子丼。
こんなときに勝手に口に出てくる歌「おーやこどんぶり おすしにべんとう サンドイッチ ラムネにサイダー、ぎゅうにゅう」
この歌はコーラスの連中とハイキングのときなどに歌ってた。服部緑地でピクニックしたときとか。フォークダンスもよくやったが、ぐるっと丸く座って歌ったものだ。その後にハンカチ落としとか(笑)。幼かったなあ。
晩の親子丼は味噌汁の代わりに昨日のビーツのスープを温めたけど、これもうまくて丼と合ってうまかった。

千人針(せんにんばり)(わたしの戦争体験記 62)

千人針(せんにんばり)。思い出すのもいやな言葉である。いやなのは前回書いた「パーマネントはやめましょう」も同じで、忘れていたいいやな記憶である。戦争中のことでいい思い出はないから、書こうと思いついたときからわかっていたが。

大阪西区の西六(さいろく)小学校に通っていたとき、たまに映画や紙芝居や講演があった。映画は新しい建物の講堂で生徒全員、紙芝居や講演は木造の各教室で行われた。紙芝居は銃後の民(前線に行かずに後方にいる女子や子供のこと)のわたしたちを啓蒙するためのものだった。
ストーリーがあって、銃後の妻が鎌で手を切ったりしてあっとのけぞると、その同じ時間に戦地で夫が戦死したのが後でわかる。
映画では飛行隊ものが多かったような気がする。勇ましくかっこよく出撃するシーンを主題歌とともによく覚えている。
ようするに、わたしら銃後の民は兵隊さんの苦労をありがたく思い、支えていかなければならないということだった。千人針もその一環だった。

千人針というのは1メートルくらいの長さに折った晒し木綿に赤い糸で結び目をつけたもの。何センチおきかというと・・・左右2センチくらいかな。とにかく1000人から針目を作ってもらうわけだ。市電の停車場とか盛り場の曲がり角とかで女性が2、3人立って、通る人に頭を下げていた。
何度か「千人針」をやってきたと姉たちが仕事から帰ってきて報告してた。会社の人から預かって家族全員が刺したこともあった。「これで弾がそれるのかねえ」というようなことは誰もいわなかった。

久しぶりに焼きそば食べた

また昔話になるが、ハタチのころ何年か地域のコーラス団に所属していた。たまたま阪急沿線の駅近くの電柱に貼ってあったポスターを見て入会したのだが、当時の電柱はポスターやビラを貼る場所でもあった。いつの頃からか怒られるようになったけど、わたしがハタチころは役に立つ広告柱だった。同じ電柱広告を見て参加した梅田で働く典型的なOLのSさんと仲良くなった。彼女は歌を上手く歌うために参加したのだが、わたしは友達をつくるために参加した(笑)。

毎週月曜日夕方に三国駅で待ち合わせ、駅近くの幼稚園の教室へ行った。十三にある病院勤務のS先生が指導してくれて楽しいコーラス団だった。時間が早いと「お腹すいたなあ、お好み食べよ」となって、三国大橋に近いお好み焼き屋さんに行った。「お好み焼き、豚」を二人が注文して食べ終わる前に「追加、焼きそば一人前」と頼む。半分ずつ食べた焼きそばのうまかったことよ。お腹が満足してコーラスに駆け込んだ。

うちは日常的にお好み焼きや焼きそばやたこやきを食べない。先日、久しぶりに味穂でたこやき食べたけど、何年振りかというくらい。
昨日、突然にやきそばが食べたくなって「明日やきそばせえへん?」といったら、ちょっとしぶったが今日になって「やきそばやろか」と材料を買いに行き、今夜のご馳走はやきそばだった。ただし、焼きそばの前にタンパク質と野菜が三枚ずつのお皿にのっていた。そのあとの焼きそばがうまかった。またやってや〜

梅酒がうまーい

5月の末に頂いた23年もの梅酒を少しずつ飲んでいる。水で割って氷を入れて飲んでもうまいし、炭酸水で飲んでもうまい。寝る前なんかはお湯割がぴったり。氷菓子屋さんが使っている瓶からシロップなんかをすくうスプーンを買ってきて使っている。これが便利ものですくい出したのを焼酎の空き瓶に入れてテーブルに出すつもり。明日は空き瓶ができるから。自分の好きなだけ飲める。

寒い時は焼酎の湯割り、暖かくなってきたら水割りかソーダ割り。おかずによってはワイン、日本酒と酒飲み天国っぽい我が家。わたしはほとんど飲まないけど、この頂いた梅酒割りはうまくて、ついもういっぱい飲んでしまう。
そうそう、この梅酒、もう1瓶いただけるらしい。ありがたや。

歯にも目にも

自分は歯が丈夫だと思いこんでいたがそうでもないことが最近わかった。歯科の3ヶ月検診で「80・20」って言葉を知ってますかと衛生師さんに聞かれて、いままでもってきたのがえらいと褒められたが「80・20」までもっていた歯がここへきてネをあげ出した。しっかり手入れしていた歯がぐらぐらしだしたのだ。「自然にまかせましょう」と歯医者さんがいうので、歯間ブラシで毎日の手入れだけはきちんとしているが、そのうち抜けるんだろうな。まあ自然に抜けてくれたらええか。

今日の午後、つるかめ整体院で診てもらっていたら「本の読みすぎですね」と目の周りのマッサージを丁寧にしてくれた。それで目の疲れがかなり改善されてホッとした。「本を読みだすとあかんねん」と言い訳して、読んだ本「大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(うず いもせやまおんなていきん たまむすび)」の話をしたが、いまだに寝る時間を惜しんで本を読むということをしているのである。
おっとー、耳はよく聞こえてます。

おやつはシナモンドーナツ

昨日はパソコンの前にいる時間が長かった。よくないのはわかっているが、つい引っ張られる。仕事をしていたわけでなく、ツイッターなどを眺める時間が長かっただけ。いくつになってもオトナになれない。

2、3日前に古い友人からわたしのブログのリンクが切れていると問い合わせがあった。当ブログの前に使っていた無料ブログが廃止になっていまのブログに引っ越したとき、古いブログの全文章をテキストにして保存した。それ以来ぼつぼつと新ブログに移転しているのだが、なんせ年月が長く文章の量が多い。友人の問い合わせ分は新ブログに移転してあるのがわかりホッとして返信した。ここで、またひとつ焦りのタネができた。移転してないのがある! まあ、ぼちぼちやっていこう。あかんかったらそれまでだ。

そんなこんなで一昨日は解決してホッとし、昨日は続きでツイッターを眺め、外出しないもんで体は疲れないのに気持ちが疲れた。早めに寝床に入ったのに眠れない。早めというのもいかんかった。もっとストレッチとかやらなあかんかった。後出しの知恵でどうしようもない。明け方から眠って昼前に起きて風呂に入ったら疲れが出た。
今日は整形外科に行くことに決めていたので血液検査の結果を見にいく相方と一緒に出かけた。車椅子を押してもらって、帰りに八百屋、銀行、スーパーを巡った。これがいい気晴らしになった。

スーパーライフの入り口のところでフロレスタがドーナツを売っていたので、シナモンドーナツを2つ買って、帰ってからコーヒーをいれておやつ。こんなときにシナモンが効いたドーナツはうまい。