ポトフで温もる

昨日の夜のこと、古い雑誌を見てたらポトフの紹介記事が出てきた。ポトフってどんなんやったかな、よく昔つくって食べたなあ、なつかしいね、簡単にできるからすぐにやろう、ということで今日はソーセージと野菜のポトフ。昔はデパートのドイツ食品売り場でソーセージを買ってきてつくったとか、余ったソーセージと冷蔵庫にある野菜でカンタンにできたとか話がはずんだ。

今日は他におかずがたくさんあったので、味噌汁みたいな感じで鍋をテーブルにおいた。スープ皿にたっぷり山盛りでセロリやじゃがいもにも味がしみてうまい。さっさと切って入れたウインナーソーセージがけっこういける。

次につくるときは本町のドイツ料理店へソーセージを買いに行くと相方が気張っていった。店長さんと顔見知りになっているらしいから、きっとうまいソーセージを手に入れてくるだろう。

体重42キロ

体重は若い時からわたしの大問題だった。最高47キロくらいまでいったかな。身長が150にだいぶ足りないから45キロ以内におさえたい。願いがかなったのは菜食にしてからで、一挙に落ちた。一度痩せたら興味がなくなってそれからは体重計にのってない。増えてるだろうと思いつつ、まっいいか。

去年の春に膝の治療に整形外科に行ったら、まず血圧を測って「高い」といわれた。どうやらわたしはお医者さんの前にいくと血圧が上がる人のようだ。その後は先生にいわれたとおり家で測って血圧手帳に記帳している。半年ほど毎日やっていたが、最近サボリ気味。寒いから服を脱ぐのが億劫で。血圧自体は順調である。
反対に朝起きたらパジャマを脱いで着替えるときに体重計に乗るくせがついた。今朝は42キロで、最近の最低体重だった。

夕方シュリットへ行って髪をきれいにしてもらった。終わってからまだ正月だからとコーヒーとお菓子が出た。
お菓子は村上開新堂のクッキーと昨日買ってきたという北新地のお菓子屋さんの餡とクリームをはさんだ大福。大福はボリュームがあるので持って帰ることにした。晩ご飯後にはんぶんこして食べたら見事に甘い。明朝の体重は43キロいきそうだ。

『瀬戸内寂聴の源氏物語』を読んだ

いろんな人の現代語訳で読んできた「源氏物語」。原文で読もうと思って買った岩波文庫は途中で挫折したまま。現代語訳の最初が与謝野晶子、ついで谷崎潤一郎、だいぶ経ってから円地文子、田辺聖子。そして今回、瀬戸内寂聴の語りでおしまいかな。

25年くらい前のあるとき図書館で橋本治の『窯変 源氏物語』を見つけて1冊読んだら、これがおもしろくて、あわてて8冊だったかな、全冊買って読んだ。わたしにはおもしろい本を見つけると「これおもしろかった」と周囲に吹聴しまくるくせがある。その中に過激な言動で知られるフェミニストの女性がいて「男が書いた本をおもしろいなんて!」ときつい返事がきた。
いまそんなことを思い出したが、25年くらい前には過激なフェミニストが周囲に何人かいたっけなあと懐かしい。
『窯変 源氏物語』は全冊揃えて本棚に並ぶと場所をとるし、あるときまた読みたくなったら図書館でと思って売ってしまった。その後は一度も読まないままでいまにいたる。だから本は自分でもっていたい。といってもいまさら買うのもなあ。

「源氏物語」は大好きだけど、ストーリーがわかっているしもう読むのはしんどいという気持ちだった。ところが『瀬戸内寂聴の源氏物語』は分厚い文庫本1冊に読みやすい日本語で収まっている。さあどうする、と考えるより先にどんなんかなあと適当にページをめくって読み出した。どこを読んでも知ってる登場人物の物語でおもしろい。読み出したらさっさと進むのに抵抗があって、読むのはやめようかなとも思った。もっと味のあるのを読みたいと贅沢な悩み。そんな気持ちと別に活字が勝手に目に飛び込みストーリーを追っている。これで充分だ。おもろいわ〜
(講談社文庫 752円+税)

腰にきている

昨日は部屋のぬくもりとスーパーで買った香川県産カマスゴで春の訪れを感じたと書いたけど、今日は朝からどうも足腰の具合が悪い。午後に相方がつるかめ整体院まで送ってくれ、終わる頃を見計らって迎えにきてくれた。目下過保護状態である。
原因は自分で考えるに、椅子に座りすぎて腰にきている。おとといの映画が長かった上に、昨日まで数日『瀬戸内寂聴の源氏物語』に熱中しすぎたのがいけない。わかっちゃいるけどやめられないのが万病の元。

そろそろヴィク・ファン・クラブの会報にかからないといけないのに、まったく手をつけていない。ずっと表紙のイラストを描いてくれていたOちゃんに今月から頼めなくなったので、なんとか工夫しなくちゃいけないがまだ白紙である。工夫が間に合わなければ、画像なしで全部言葉で埋めればいいやと思っているので慌てないけど(笑)。

いま、ドミューンを見ながら聞きながら書いている。DJの音に体が自然に揺れる。腰の痛みがこの揺れでなんとかなればなあ。

春を呼ぶ魚カマスゴ

昼間は寒さがちょっとゆるんで暖かかった。どこにも出かけずずっと部屋にいたんだけど、すこしも寒いと感じなかった。いつもはいま座っている事務椅子の後ろにオイルヒーターを置いてあり、冷えがきついときは股火鉢状態にしているほどだけど、今日はオイルヒーターをベッドのそばに置いたままである。夜中にベッドルームが冷えないようにオイルヒーターをいちばん低温にして運んであり、朝になるとわたしのパソコン机のそばに転がしてくる。今日はここまで持ってくる気持ちが起こらないくらい暖かかったんだ。ラジオの天気予報がいってたけど、明日の朝からあとに冷えてくるみたいだから気をつけなくっちゃ。
今日の日中はパソコンの前にいた以外は本を読んで過ごした。どっちにせよ座りすぎで腰にきている。明日は整体院に予約してあるので一安心だけど。自分でもなんとかしなくちゃ。

買い物に出かけた相方がスーパーでカマスゴを買ってきた。「おっ!春を呼ぶ、関西の魚やん、うれし!」と喜んだら、焼いて酢醤油やなと晩ご飯の酒の魚に出てきた。まだ小さいからもひとつな感じだけど、焼酎湯割りに馴染んでうまかった。

カマスゴとかイカナゴとか小女子(コオナゴ)とかいろんな呼び方があるのも楽しい、春を告げる魚を少し暖かい日に食べられてラッキー。
はじめに暖かいと書いたが、そろそろ冷えてきた。

クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』

ツイッターでフォロワーさんが『インターステラー』がプライムで見られると喜んでいるツイートを読んで、きっといいに違いないとどんな映画かも知らずに見ることにした。クリストファー・ノーラン監督は『ダークナイト』がよかったから今回もきっと気にいるはず。

とても長い映画だった。169分を「長いなあ」と一回もいわずじっと見ていた。終わってから一緒に見ていた相方に「よかったねえ」といったら、「今日長いなあといわなかったな。いつも長いなあというときはイコールつまらんなあということか」と詰問(笑)されたけど、昨夜は全然長いと感じずに最後までいった。宇宙や地球のSF的なところと、父と娘の愛情あふれる行動の描写などが一体となっていて飽きなかった。本棚から幽霊が現れたような父から娘へのモールス信号での連絡もよかった。娘が解読し重力の謎は解明される。この映画のテーマは「愛こそすべて」なんだそうだ。
農場を営んでいる元宇宙飛行士クーパー(マシュー・マコノヒー)はNASAの要請に応じてラザロ計画に参加することになり、娘にはかならず戻ると説得してアメリア博士(アン・ハサウェイ)らと出かける。

マン博士(マット・デイモン)率いる12人の乗組員は命がけで惑星探査に出動するが、マン博士は孤独に耐えられず、地球に信号を送って救助を待つ。このへんのことを思い出していたらなんかよくわからなくなった。ブラックホールの内側に突入なんてところもあったようだ。
もう一度見なければわたしにはわかりません。

風邪が治った

新年早々から毎日のように風邪引きの愚痴を書いていたがようやく抜け出せた。最初はほんの軽い症状だったのでほんまに風邪ひいたのかなと思ったけど、だんだんと筋肉痛になって、やっぱり風邪かとなった。知り合いの若い男子の話で同じような症状だったというので間違いなく今年の風邪をひいたみたい。流行に敏感笑。

一度風邪をひくと10日から2週間はかかるといままでの経験でわかっていたけど、今回も結局そのくらいかかった。10日経ったら筋肉痛がおさまってきてホッとした。結局痛み止めは飲まずにガマンで過ごした。

3連休の2日が早くも終わった。昨日は読書『源氏物語』(瀬戸内寂聴)で夜更かし、今日は映画『インターステラー』で夜更かし。これからストレッチして風呂入って寝る。

中原淳一先生(わたしの戦争体験記 40)

疎開するとき、10歳年上の二番目の姉T子が大切に持っていた中原淳一の絵葉書や雑誌をわけてくれた。戦後に出たひまわり社発行の雑誌『ひまわり』『それいゆ』をそれぞれ1号から買ってくれたのもこの姉である。わたしは国民学校へ入学してから戦時教育を受けて育ったのだけれど、心は中原淳一描く少女だった。淳一が挿絵を描いた川端康成『乙女の港』、吉屋信子『紅雀』の物語が大好きだった。
この2冊は姉が手放さなかったので、田舎には持っていけず、結局はアメリカ軍の空襲で焼けてしまった。戦後だいぶ経ってから古本を見つけたときはものすごく感激したっけ。その後に復刊本を新刊で買ったときのうれしさ。

結局わたしが田舎に持って行ったのは、中原淳一が関わった雑誌『少女の友』数冊と絵葉書が数枚だった。姉が就職した会社の伝票用紙の切れ端や設計室で余った色鉛筆などをもらってきてくれたので、淳一の絵をその紙に写してなぞり色をつけて便箋をつくった。一心不乱に絵を描いて、その横に手紙を書いた。辞めていった先生に送って喜ばれたのがうれしかった。田舎の家の叔母の机の前で必死でつくった便箋がなつかしい。
父が送ってくれた本の他に座敷にしっかりした本箱があって藤村全集その他文学ものが並んでいたから読む本には苦労しなかった。淳一しおりをいろいろ作ってはさんだ。最初のうち藤村全集は「しまざきふじむら」と読んだものだが、「とうそん」とわかったときは恥かし嬉しだったなあ。

そのころの中原淳一はわたしの神様だった。絵が好き、人形が好き、淳一挿絵の物語が好き。
そして、少女への言葉が好き。
インテリアという言葉を知らなかったが、住みよい部屋にしましょうという提案に従って、納屋での生活をまるで『小公女』のセーラの部屋のように空想で仕上げるのだった。
部屋のすみにたたんであるふとんにまだしもの布をかけて見よくするとか、お膳の上に自分が千代紙で作った箸置きを置くとか、ツユクサを活けたり、猫じゃらしを束ねて飾ったり。「この子はまあ・・・」と母は笑うだけだった。こころだけは美少女のわたし(笑)。
いまも淳一絵葉書は大切にしまってある。

焚付けで社会勉強(わたしの戦争体験記 39)

かまどの焚付けと便所紙に『主婦の友』など婦人雑誌の古いのを破って使っていた。叔母さんがいらなくなった古雑誌を持ってくると、わたしが受け取って中身を読む。なんだかかんだか書いてある戦時の女性の過ごし方や生き方やモンペのファッションなど、ふーむといいながら読むのであった。楠公炊きのことを前に書いたけど、婦人雑誌にもこの手の記事がいっぱいあった。お尻にぶら下がった回虫をつかんだのも古雑誌か古新聞だった。便所に入る前に読み、入ってからも読み、未読分は持って出て続きを読む。

連載小説はいまでも好きだが、当時はほんまに好きやったな。貧しい家の息子が勉強できるので援助者が現れ大学に進む。お互いに好き同士の村娘がいるのだが娘は相手の将来を思って身を引く。おお、このあとどうなるの? この物語はハッピーエンドだったような気がするが、どうなったんだろう。
「お世話になる人に挨拶に行くときは羊羹を持って行きなさい。あの方は「夜の梅」が好きだから」と教える先輩がいて、わたしはなるほど大切な挨拶には「夜の梅」か〜と覚えた。いまでも大切なときには虎屋の羊羹「夜の梅」をもっていくことにしている笑。

おほうとう(わたしの戦争体験記 38)

国民学校4年生の夏休みに山梨県の叔母夫婦の家に疎開して、その日から晩ご飯は「おほうとう」だった。味噌汁に野菜(主にかぼちゃとさつまいもとねぎ、たまに油揚げ)とうどんが入っている。うどんは毎日叔母さんが小麦粉を水でこねて、薄い板状に延ばしてからたたんで1センチ幅くらいに包丁で切っていた。かぼちゃが主の汁に紐のようなうどんが入っている。これが毎晩だが、わたしは好きだった。うどんになる小麦粉も自分の畑のもの、味噌も自家製だったしほんまの健康食だ。お客があったりなにか行事のある日はうどんは茹でてザルに盛られ別につくったつけ汁にネギとともに供された。なにか酒の肴は別についていたような。1年中こうだった。特にご馳走のときは鶏と兎が供された。

わたしがいまも内臓が元気で、お医者さんに「あんたは長生きするで」といわれるのは、2年間のおほうとうのおかげだと思っている。内臓だけでなく足腰元気でお医者さんに褒められたいけど、目下は内臓だけでもうれしく思わにゃ笑。
「うまいものはかぼちゃのほうとう」山梨出身の母の言葉。