台風17号と読書

連休3日間といっても毎日が休みの高齢者には関係ないんだけど、ネットで天気予報をにらみながら、買い物に行く段取り(わたしが買い物に行くわけではないが)を考えたりしている。いうたら天気予報を調べるのが好きなだけやねんな。
たいそうな報道の上にそれをたいそうに聞きとるばあさん(笑)。
今回は3日間のいずれの日が風雨の犠牲になるのか、外へ遊びに行く予定がないのに、交通の心配をしていたりして。
いまは静かな大阪。夜中から明け方に大雨は降るんだろうか。
パーソナル天気予報を見たら明日は天気と曇りと傘マークが少しだけ。

この感じでは外への目配りはいらんようだから、読書に励もう。
いま読んでいる本は村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上)、おとといまで読んでいた本は同じく村上さんの『羊をめぐる冒険』(上下)。村上春樹さんの小説がこんなにおもしろいとは! これから読むのは『ダンス・ダンス・ダンス』(下)です。

谷崎潤一郎『吉野葛』で思い出したことなど

去年は折口信夫に関連する本をたくさん読んで、折口をますます好きになった。子供の頃に親の言いつけで新町までお茶を買いに行き、駄賃をもらって道頓堀で芝居を見たという話にしたしみが増した。
そんなときにこのブログに「わたしの戦争体験」を書き出して、自分の過去をたどると、国民学校(小学校)の遠足で「笠置」へ行ったことを思い出した。「笠置」といえば「後醍醐天皇」を思い出さざるを得ないということも思い出した。歴史の知識はまるでないのに、郷愁に誘われて日本中世史をひもとくことになった。興味が広がるばかりでまるで勉強とはいえないけれど、雰囲気がわかりだして自分では納得している。まだわかりだしたところだが。

そんなときに文庫本を積んである中から谷崎潤一郎の『吉野葛』が見つかった。後醍醐天皇→南朝→吉野と連想がいっての『吉野葛』。すっごく素晴らしい物語で何度も読んで楽しんでいる。
谷崎が東京から京都で一泊して朝早く奈良に入り、待っていた友人と吉野へ向かう。
その友人の恋物語が素敵なのだ。その道中で「妹山」「背山」の前を通ることになる。間に流れているのは吉野川。そこんとこで思い出した。歌舞伎と文楽とで妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)を見たことがある。たしか20代になったころ。そのころは演劇に夢中で自分でお金を払って遊ぶのがうれしかった。もうどんな芝居かも覚えてないが、妹山と背山があって春の場面だった。お琴を弾くシーンがあったなあ。記憶はそんなところである。

それから、25歳くらいで登山に夢中だったころ、知り合いの登山家が自分がよく知っている吉野に連れて行くというのでついて行った。男女2名ずつ4名のパーティで近鉄下市口まで電車、それからバスに乗ってだいぶしてから降りた。どこで降りたやらなんという山に登ったやら覚えていない。沢を歩いて、這って、登って、ご飯をつくって食べた。この山行きは「吉野」という特別な名前でいまだに覚えているが、バス停の名前くらい覚えておいたらよかった。

ここまで書いてネットで調べたら、この芝居を文楽劇場で5月にやっていた。
〈5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」〉

●妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という言葉をどう読むかも忘れていたところ、数日前に大島真寿美さんの本『渦』と出会った。この本の話は後日書く。

森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。

『カメラ紀行 大和の神話』(文/堀内民一・写真/浜口喜代治)とわたしの夢

姉の本箱の奥深くから飛び出してきたので持って帰った本。1964年淡交新社刊。表紙の青空をバックに由緒ありげな古い家屋(葛城の民家)の屋根の写真があんまりよく思えず、本箱にもどそうかと思った。あらためて眺めるときちんとした本なので大和の家とか風景の写真集かなとめくったら、風景や寺社の白黒写真がものすごく美しいので、これもらうって叫んでもらって帰った。帰ってから文章を読んだら、なんたる縁か、堀内氏は折口信夫先生の弟子なのであった。そして文中には折口先生の詩や文章からの引用がたくさんあり、しかも古寺を訪ねる折口先生の自動車に乗せてもらっての記録があってうれしくて涙が出そう。

わたしのいまの夢、第一は「大和を歩く」第二は「笠置を訪ねる」である。どちらもひとまず奈良へ行って一泊し、タクシーを雇って風景を見ながら移動する。
大和は二上山からはじめてまわりの山や風景を確かめつつ當麻寺で一服する。
笠置は後醍醐天皇の由緒を訪ねて、いま笠置公園になっているところで一服する。
いま貯金計画中でいつになったら実現できるかわからない。肝心の足がどうにかならんとあかんし「夢」のままで終わるかも。

アニー・デュプレーの本『黒いヴェール』

ツイッターでアニー・デュプレーという名前をちらりと目にしたとき、あれっと思った。この人のこと知ってるはず。フランスの女優らしいからきっとそうだと勝手に決めた。検索したらジャン・リュック・ゴダール監督の『彼女について私が知っている二、三の事柄』 (1966)、アラン・レネ監督の『薔薇のスタビスキー』 (1973)に出ている。どっちの監督の作品もよく見ているほうだが、この2本は見ていない。『女性たち』 (1969)なんかブリジッド・バルドーとモーリス・ロネだが日本未公開である。全然思い違いしていたと気がついた。

子供の頃に見たフランス映画を思い出してみようとしたが思い出せない。10歳年上の二番目の姉が映画好きでよく連れて行ってくれた。ボーイフレンドと行くための親への目くらましに使われたみたいだが、わたしひとりで映画館に入るには3年くらいの間があったから、ありがたかった。映画を見ること、映画雑誌を見ることを教えてもらって、その上に映画を見たらストーリーをしゃべることも教えてもらった。映画と同時に歌舞伎と文楽と新派と新劇を見におしゃれして出かけることも教わった。ただし姉がおしゃれするだけでわたしは相変わらずみじめったらしかったが。あんたも大人になったらわたしみたいにできるといわれました(笑)。ボーイフレンドには近所の子といってました(笑)。

さて、アニー・デュプレーは思っていた人と全然違った。アニーは間違いないと思うんだけど。『黒いヴェール』は美しい写真の入った本でずっしり重い。最近は本を捨てるのに専念しているから、地震対策にも重い本はいらない。でも重くても美しい写真がたくさん入っているから本棚に並べよう。
(北代美和子訳 リュシアン・ルグラ写真 文藝春秋 1996刊)

本がお酒にかわった

昨日も書いた池波正太郎『剣客商売』だが、今日残った数冊を持っていった。うちはこれでおしまいだけど、引き取る方はこれから。持って行ったらすぐに読んでいるそうだから、もう数日の楽しみかな。とはいえ一回読み終わっても、少ししたらまた読みたくなるはず。当分楽しめると保証する。3年経ったらもう一度読んで楽しむ(笑)。

本のお礼に日本酒「慶紋東長」をもらった。佐賀のお酒で見るからにうまそう。
うちはこういうことは手早いので、早速冷やして晩の一杯にと酒の肴を買いに行った。かつおのたたきに、にんにくと玉ねぎとねぎを刻んだ薬味で。酒と肴がよくあった初夏のご馳走。いやあ、うまい酒だった。肴もうまかった。秋山小兵衛の気持ちになって、もういっぱい、なんて。
もうちょっと残してあるから明日の楽しみとして、お酒の後はきつねうどんでお腹いっぱい。

暑かったり寒かったりで疲れる

今日は朝からからだがしんどかった。パソコン前でももひとつピリッとしない。こんなときはと『剣客商売』を読んでみたが、秋山小兵衛が老いを感じて心境を述懐していたりで、これまたしんどい。最後にばったばったと賊を切り倒して小兵衛側が勝つところを読んでもしんどい日はしんどい(笑)。

先日関東在住のUさんが『剣客商売』シリーズで自分たち(本人とお母さん)が好きなのは『黒白』だと教えてくれた。わたしが読んでいるのは新装版の文庫16冊で、友人に進呈することに決めている。いまは名残の読書中なのである。えらいこっちゃ、『黒白 上下 番外編』読んでないやん。それですぐにアマゾンに注文したのが今日届いた。分厚いが文字が大きくて読みやすそう。ここまできたんやからゆっくり読もう。

昨日の暑さから今日の涼しさ。この気候の変化でしんどいのかな。昨日は半袖Tシャツだった。今日はその上に薄手のセーターを着ている。寝るときは薄手のふとんを掛けているがこの数日は汗をかいていた。夏布団に替えようかと思っていたが、今夜は寒いからまだ替えられない。どうなってんねんの5月。

『剣客商売』16冊を手放す

物を持たないようにしようとしてもなかなかできないものだ。うちの場合は本くらいだけど、処分してもまた買うからなかなか減らない。
もう一度読むかを検討して読まない本は捨てることにしているが、いざとなるとなかなかできない。
池波正太郎の大好きな本『剣客商売』は、何度も読んだから出すことにした。
捨てるのはためらうし、売るには紙が疲れているようで、そんなことを考えていて、そうだ、つるかめさんに聞いてみようと思った。持ってるかもしれないけど、持ってなかったら絶対ほしいはず。
先日整体してもらっているときに聞いたら1冊だけ持っているそうで、全部もらってもらうことになった。両方が得な話になってやれやれ。ただし、うちには16冊のうち第1巻が欠けている。つるかめさんが持っているのがこの第1巻だったらいいんだけど。

本の中から1冊引き抜いて読んでみたがおもしろくてたまらない。『鬼平犯科帳』も好きだが、最近はこっちのほうが好きだ。でも、最後のほうを読むのはしんどい。田沼意次の生涯を知っているだけにつらくなる。
今度の予約日までに読めるだけ読んでから持って行こうか。それともすぱっと割り切って明日でも届けようか。考えるところ。

寒いからお茶とお菓子で平野啓一郎のショパンの本

昨夜も寒かったが、今日は冷たい北風が吹いて昼間も寒かった。ベランダに出ると干してある洗濯物が風にあおられて飛んでいきそう。全部洗濯バサミでしっかり止めてあるから大丈夫だけど。
布巾として使っている白いタオルが風にゆれてきれいだ。使うたびに洗って干しているが、眺めているとやってるぜって気持ちになる。すぐに洗って干すのは面倒だが清潔で気持ちいい。
先週あんなに暑いほど暖かだったのに今日の寒さはなんじゃらほい。それでも我が家にはいまから寒い中を負けずに出て行く人がおる(笑)。
留守番のわたしは頂き物のお菓子があるから熱いお茶を淹れて和むことにする。そのあとはお風呂でゆっくりぬくもって、メールの返信して、読みかけの本のどれを読もうか。最近買った平野啓一郎『葬送 第一部上』『葬送 第二部下』は音楽家ショパンの物語である。19世紀のパリのショパン、あまりにも知識がなさすぎるので、少しずつ読んで理解が深まるようがんばる。

膝の痛みは悲しみが溜まった痛み 群ようこ『かるい生活』から

群ようこの3冊の本(『ぬるい生活』『かるい生活』と『ゆるい生活』)を買った。ときどき出してよさげなところを読んでいる。ぬるくないし、かるくないし、ゆるくない生活をされていると思う。まとめて「たのしい生活」3部作といったらいいかな。

今日読んだ『かるい生活』に膝の痛みのことがあった。
群さんがお世話になっている漢方薬局の先生の言葉で
ーここから引用ー
「膝の痛みはね、悲しみが溜まった痛みだっていわれているわよ」
といわれた。それはいったい何かとたずねたら、その人が生まれてから今まで、表に出せずにぐっと堪え続けていた強い悲しみがあると、それが後年、膝の痛みになって出てくると教えられたというのだ。
ー中略ー
試しに膝の直接的な痛みとは関係がない、精神的な悲しみに効果がある調剤をして服用してもらったら、足の不具合が嘘のように治ってしまったのだといっていた。
ー引用終わりー
悲しみが溜まった痛み、わたしの膝の痛みはなんの悲しみが溜まったのだろう。耐え続けてきた強い悲しみがあるんだろうかと考える。
わたしは長い年月膝の痛みに耐えてきた。先日生まれてはじめて膝の水を抜いてもらったが、あのきれいな水はわたしのどんな悲しみを秘めていたのだろう。