楽しかったよ キャロラーさんたちのパーティ

今日は「キャロラー」さんたちの集まりに参加させてもらった。いうまでもなく最高齢のわたし。お誘いがあったのは先日の飲み会でキャロラー試験に合格したのかな。でもまだなんとなく人見知りの気分で行ったのだが、そんな懸念は一切吹っ飛び、みんなに柔らかく温かく接してもらってうきうき。梅田のイタリアレストランで、飲み物と食べ物が配られると食べたりしゃべったり、小鳥がさえずるような女子ばかりのおしゃべり会であった。さえずっていても内容はしっかりとあり、いくつか質問されたのに考えつつ返事した。みんなツイッターをきちんと読んでいるから話が早い。

「映画『キャロル』ときめき上映会」というのが16日に東京であり、映画の後にアフターパーティが開かれた。その中心にいた2人が大阪に来られての今日のパーティなので、明るく朗らか、席を立つまでの2時間とカフェでの1時間、充実した会話と笑いで満たされた心温まる会であった。帰りの階段やエスカレーターではしっかりとエスコートしてくれたし、バッグや髪のカットを褒めてくれたし、素敵なポストカードをお土産にもらった。キャロラー最高!!

『キャロル』の縁で

去年の2月に映画『キャロル』を見て、小説のほうも前後して読んだ。映画を何十回見たという人がたくさんいるの知った。そうこうしている間にツイッターでたくさんのキャロルファンとツイートのやりとりで知り合いフォロワーさんがけっこうできた。わたしとしては30年近く前にV・I・ウォーショースキー(ヴィク)のファンが集まったとき以来の出来事である。こういう感情を持つことはもうないと思っていたからうれしいようなまぶしいような。キャロラーたちの集まりはもうすでにあって、わたしの目にも触れていた。でもって弥次馬魂が炸裂し厚かましくもメッセージのやりとりをするようになった。

今日は気持ち良く飲み会とあとのカフェに誘ってもらったのでついて行った。
ヴィク・ファン・クラブで経験してたけど、好きの中心があると話が早い。にっこりするとわかりあえる。子か孫かと言われそうだが若い女性たちと笑いながらしゃべれて幸福だと思った。まあ、それなりに気を使いはしたが、彼女らのほうがもっと気を使ってくれて段差に気をつけてくれたりね(笑)。

1958年の北八ヶ岳と日本シリーズ

1958年の秋、若かりしわたしはちっこいのにいっぱし登山家気取りで日曜日ごとに六甲山を歩いて足を鍛えていた。女子ばかりで北八ヶ岳に登ろうと話が決まり、それぞれ受け持ちを決めて出発した。背が低いから国鉄(いまのJR)の改札をリュック担いで通ると引っかかるので下ろして両手で持って通った。リュックを網棚にあげるにはポケットから新聞紙をさっと出して座席に敷き、ぱっと乗って網棚に置いた。こういうことを迅速にできることが自慢だった(笑)。遠くの山に登る前に六甲の次には比良山にも登っていたから国鉄の改札も荷物置きも修行済み(笑)。

コースとか忘れてしまったが、低い山をひたすら歩いた。ナナカマドの大きな木を生まれて初めて見た。山小屋のおじさんに採ってきたキノコがほとんど毒キノコだと教えてもらった。
途中でみんなと別れて最後の一日は一人でどこへ行ったのか忘れたが単独行した。ほんまに怖いもの知らずで生意気だった。

一人歩きの途中の峠で登山者が持っていたラジオが日本シリーズをやっていて、三原監督が率いる西鉄ライオンズがその場で優勝した。その瞬間ラジオを持ってた人と喜び合った。
日本シリーズがはじまると思い出すのが稲尾の連投と北八ヶ岳彷徨。

槍ヶ岳の思い出

姉との会話では向こうの話を一方的に聞くことが多かった。聞かれたら返事するけどほとんど向こうがしゃべっている。最近なぜか質問が多くなったようだ。昨日は「あんたは槍ヶ岳に登った人やさかいにな、尊敬するわ。お母ちゃんがいまごろ遭難してないかなと心配してたで」と言われた。山には親に相談するなんてことなく自力で支度して出かけていた。自分で働いたお金で山に行ってなにが悪いねんというのがわたしの屁理屈。5番目のこどもに早々に自立を促していた親がなにを言えるかって(笑)。「遭難してもほっとく」とか姉に言ってたみたいだ。わかっているから周到な用意をして六甲山で訓練して行ったのだ。それにしてもうん十年経ってからなにを言うてくれますねん、ねえちゃん。

そんなことで思い出した槍ヶ岳登山、いま見たら、東鎌尾根(表銀座ルート)を登っている。7月中旬、夜行列車で大阪発、名古屋で中央線に乗換え、明け方なんという駅で降りたんかな。それからバスに乗って中房温泉着やったんかな。中房温泉→燕岳→大天井岳→東鎌尾根→槍ヶ岳とそれからずっと登り。景色も見えずひたすら登った。燕岳に着いたのが夕方でそこに泊まったのだったか。もっと登って小屋に着いたのか。山小屋は混んでいて雑魚寝。
翌朝、小屋の朝ごはんを食べて出発。槍ヶ岳まではわりと簡単に登ったような気がする。わたしにとっては最初のでっかい登山だった。それまでは六甲山あちこち、比良山あちこちを登っていた。日本アルプスに一度は登ってみたかった。
男子2名は鉄道会社の社員で職場の登山部のメンバー、女子はわたしとNさん。日頃ハイキングやロッククライミング練習についてきたこの2人なら大丈夫と組んでくれたのだった。帰ってからいろんなところでわたしらがしっかりしてたとしゃべってくれた(笑)。
ある有名人が「登山をしない者にとって日本を代表する山は富士山だが、登山を愛好する者にとってのそれは槍ヶ岳である」と言ったそうな。

その後は上高地あたりで遊んだりしたが特に高い山には登ってはいない。興味が八ヶ岳に移って何度か、それから北八ヶ岳が好きになり一人で行ってうろうろした。
山に登るよりも山を見て楽しむ方が好きなんだと思う。まあいずれにしても昔の話である。

『キャロル』熱がさめない

ツイッターを読んでいると『キャロル』への愛を伝えているひとによく出会う。そのひとのツイートをさかのぼって読んでいくと、また読みたくなるだろうとフォローする。そこからまたキャロルファンに出会うってわけで、『キャロル』関連のツイートは楽しい。にこにこしながら読むから精神にもいいみたい(笑)。

わたしは映画もよかったが、パトリシア・ハイスミスの小説のほうが好きかな。でも日本語字幕付きDVDが発売されたらすぐに買うつもりだ。
映画館での上映は延々と続いているようだ。どれだけ『キャロル』が日本の女性たちに愛されているかわかる。これだけ上質な恋愛映画はめったにないもんね。

さっき「キャロラー会」のお誘いツイートにぶつかった。場所は大阪だって!!
「キャロル、テレーズそしてケイトさまやルーニーちゃんについて語り合いたい方、どなたで参加をお待ちしています♩」とある。行きたいような場違いなような(笑)。
一応そのツイートをリツイートして彼女とフォローしあった。

『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」を買って読んでいる

これもツイッター情報なんだけど、『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」がおもしろそう。先日から買おうと思っていたが、ようやく今日姉のところに行くのでイカリスーパーで買い物してから紀伊国屋へまわった。重い食料品の紙袋と布袋を提げてご苦労様なことである。『ユリイカ』はあったけど『美術手帖』が見当たらぬ。店員さんに聞いたら一発でそこと教えてくれた。なんとまあ『美術手帖』はビニールで包装してありけっこうな冊数が平積みしてあった。
文庫本も買いたかったが荷物が重くなるので、見るだけでもと書棚の前に立っていたら、じっとわたしを見つめている中年の女性がいる。おばはんがエロ雑誌を持っていると思われたなと一瞬思ったが、なんのなんの万引きと思われたみたいだ。けげんな表情をしたわたしの純真な顔を見て彼女は向こうへ行ってしまった。まあ、これはわたしの感想であって事実かどうかは知らん。

帰ってビニール包装を破って出した雑誌は表紙からメンズ・ヌードで期待が高まる。ページをめくるときれいで上品な写真。文章はすっきりきっちり。
読みたかったのは湯山玲子さん×金田淳子さんの対談「目差される男のハダカ」である。わたしは10年くらい前に湯山さんの音楽関係の本を1冊読んだことがある。その本で地中海にあるイビサという島のクラブのことを知った。最近午前のNHKラジオで湯山さんの声を聞きどんな方かと想像していた。はじめて写真を拝見して堂々たるお姿とお言葉にしびれた。まだざっとしか読んでないのでこれからゆっくり読む。

今日は中原淳一先生の誕生日

今朝ツイッターを開いたら中原淳一先生のうるわしい姿が目についた。1913年の今日2月16日が誕生日だそうだ。
わたしが「先生」とよぶのは中原淳一先生だけである。

わたしの一家が住んでいた大阪市内の家は第二次大戦のアメリカ軍の空爆で焼けてしまった。命からがら逃げた家族がのちに郊外の小さな文化住宅にまとまって住むようになった。どんなときでも本を忘れない父親が、知り合いや古本屋や屑屋とかいろんなところで本を手に入れてきて、その中に戦前の『少女の友』があった。
『少女の友』には中原淳一先生の絵がたくさん載っていて、わたしはその絵の上に薄紙をのせてなぞり便箋をつくったりした。
川端康成の『乙女の港』の淳一描く表紙と挿絵が大好きだった。主人公の大河原三千子とお姉さまの八木洋子が大好きだった。
吉屋信子の本もたくさん読んだ。『花物語』の挿絵も淳一先生だった。
ここからわたしの「百合」趣味が生まれたのだから筋金が入っている。
その後は姉が買い始めた『ひまわり』、その後は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』を引き継いでずっと読んでいた。

いまも、本や絵葉書やメモ用紙やハンカチなんぞの小物を持っていてときどき出して眺めている。

吉田喜重監督『エロス+虐殺』日陰茶屋事件

画面には「春三月縊り残され花に舞う」と大杉栄が詠んだ句が浮かぶ。

無政府主義者 大杉栄には妻の堀保子と以前からつきあっていた神近市子がいて、新しく出会った伊藤野枝とも関係ができる。
大杉と野枝には生活力がなく、市子が働いたお金を貢いで生活が成り立っている。
映画「エロス+虐殺」は1916年に起きた日陰茶屋事件を中心に描かれている。
実際の事件は葉山の日陰茶屋に滞在している大杉を神近市子が刺し重傷を負わせる。市子は海岸で入水自殺をしようとしたが死ねずに、ずぶ濡れ姿のまま交番に自首した。野枝は市子が来たときに東京へ帰って行った。

映画では、野枝が日陰茶屋に戻ってきて3人の長い会話と絡み合いになる。
3人の交わす会話と動き、特に日本座敷の障子や襖の開け閉め、次々と倒れていく白い襖に圧倒される。

昨日、この映画を見て「日陰茶屋事件」ってあの・・・と思い出した。関東大震災のとき、わたしの両親はまだ新婚で祖母とともに東京に住んでいたが、地震で家がつぶされ、近所の神社の大木の根元で夜を明かしたと言っていた。震災から年月が経って生まれたわたしだが、こどものときから震災と大杉栄たちのことを知っていた。苦労話をするときセットで語られたからである。主義者や朝鮮人に対する流言飛語が飛び交ったこと、大杉と伊藤野枝と甥の3人が甘粕大尉らに虐殺されたことは震災の苦労とともに語られ、昨夜わたしは久しぶりに亡き父母の話しぶりを思い出した。

篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」

先に自叙伝を読んだので理解しやすかった。
本書は大きく4章に分かれ、4章が40項目に分かれたわかりやすい構成になっていて楽しく読めた。
高齢者の文章によくある青汁を毎日飲んでいるとか体操しているとかの健康法などいっさいなく、楽しく一人暮らししていることが伝わってくる。自然体なんだけど大きな声で自然体でやってますというところがない。
ずっと着物でとおしてはるそうだが、自慢するでなく人に勧めるでなく、自然に着物を着ておられる。ふと、剣豪 塚原卜伝が歳をとって静かに暮らしている食事中に斬りこまれ、卜伝は鍋の蓋を盾にして刀を止めたところを思い出した。ほんま、名人の暮らしをされていると感じた。
各章の終りにはまとめの言葉が入っていて、おっ!と思うところ何カ所もあり。
これ↓気に入った。

なんとなく過ごす。
なんとなくお金を遣う。
無駄には、
次のなにかが兆している。
必要なものだけを買っていても、
お金は生きてこない。

すごくおしゃれで楽しい人だ。
あと、恋の話を聞きたかったと思うのは野暮かなあ。
(幻冬社 1000円+税)

篠田桃紅『百歳の力』

先週の「週刊現代」に篠田桃紅さんのインタビューが載っていてた。今年4月に発行された篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」(幻冬社)について語っていてすごく興味を惹かれた。
先週本屋に行ったら新刊書のところに平積みしてあって横にもう一冊「百歳の力」(集英社新書 2014年6月発行)があったので両方買った。
順番に読もうと「百歳の力」(103歳の現役美術家唯一の自伝!)を先に開いた。

桃紅さんは1913年、旧満州・大連生まれ、百歳を過ぎた今も現役で活動を続けている美術家である。5歳から父に墨を習いはじめた。父は「桃紅李白薔薇紫」からとって「桃紅」と号をつけてくれた。
当時は女学校へ行くということはすぐに結婚するということであり、いろいろな友だちの結婚を見ることになる。自分は結婚しないで生きていこうと決心し、お兄さんが結婚するので邪魔にならないように家を出る。書を教える場所を借りると生徒がたくさん集まった。住まう家も借りた。
戦争中は空襲から死を免れ、年老いた両親とお腹の大きい妹とともに疎開する。苦労の末に結核に罹るが女医さんの「治る」という言葉に勇気をもらって闘病する。
40歳代でアメリカに行くチャンスに恵まれた。当時のアメリカ行きの大変な事情が書かれていて勉強になる。

そしていま、103歳になる美術家は「ゲテモノ、という言葉があるけれど、それは当たっているかもね。でも、まがいものではないつもり。」と言い切る。
(集英社新書 700円+税)