『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」を買って読んでいる

これもツイッター情報なんだけど、『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」がおもしろそう。先日から買おうと思っていたが、ようやく今日姉のところに行くのでイカリスーパーで買い物してから紀伊国屋へまわった。重い食料品の紙袋と布袋を提げてご苦労様なことである。『ユリイカ』はあったけど『美術手帖』が見当たらぬ。店員さんに聞いたら一発でそこと教えてくれた。なんとまあ『美術手帖』はビニールで包装してありけっこうな冊数が平積みしてあった。
文庫本も買いたかったが荷物が重くなるので、見るだけでもと書棚の前に立っていたら、じっとわたしを見つめている中年の女性がいる。おばはんがエロ雑誌を持っていると思われたなと一瞬思ったが、なんのなんの万引きと思われたみたいだ。けげんな表情をしたわたしの純真な顔を見て彼女は向こうへ行ってしまった。まあ、これはわたしの感想であって事実かどうかは知らん。

帰ってビニール包装を破って出した雑誌は表紙からメンズ・ヌードで期待が高まる。ページをめくるときれいで上品な写真。文章はすっきりきっちり。
読みたかったのは湯山玲子さん×金田淳子さんの対談「目差される男のハダカ」である。わたしは10年くらい前に湯山さんの音楽関係の本を1冊読んだことがある。その本で地中海にあるイビサという島のクラブのことを知った。最近午前のNHKラジオで湯山さんの声を聞きどんな方かと想像していた。はじめて写真を拝見して堂々たるお姿とお言葉にしびれた。まだざっとしか読んでないのでこれからゆっくり読む。

今日は中原淳一先生の誕生日

今朝ツイッターを開いたら中原淳一先生のうるわしい姿が目についた。1913年の今日2月16日が誕生日だそうだ。
わたしが「先生」とよぶのは中原淳一先生だけである。

わたしの一家が住んでいた大阪市内の家は第二次大戦のアメリカ軍の空爆で焼けてしまった。命からがら逃げた家族がのちに郊外の小さな文化住宅にまとまって住むようになった。どんなときでも本を忘れない父親が、知り合いや古本屋や屑屋とかいろんなところで本を手に入れてきて、その中に戦前の『少女の友』があった。
『少女の友』には中原淳一先生の絵がたくさん載っていて、わたしはその絵の上に薄紙をのせてなぞり便箋をつくったりした。
川端康成の『乙女の港』の淳一描く表紙と挿絵が大好きだった。主人公の大河原三千子とお姉さまの八木洋子が大好きだった。
吉屋信子の本もたくさん読んだ。『花物語』の挿絵も淳一先生だった。
ここからわたしの「百合」趣味が生まれたのだから筋金が入っている。
その後は姉が買い始めた『ひまわり』、その後は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』を引き継いでずっと読んでいた。

いまも、本や絵葉書やメモ用紙やハンカチなんぞの小物を持っていてときどき出して眺めている。

吉田喜重監督『エロス+虐殺』日陰茶屋事件

画面には「春三月縊り残され花に舞う」と大杉栄が詠んだ句が浮かぶ。

無政府主義者 大杉栄には妻の堀保子と以前からつきあっていた神近市子がいて、新しく出会った伊藤野枝とも関係ができる。
大杉と野枝には生活力がなく、市子が働いたお金を貢いで生活が成り立っている。
映画「エロス+虐殺」は1916年に起きた日陰茶屋事件を中心に描かれている。
実際の事件は葉山の日陰茶屋に滞在している大杉を神近市子が刺し重傷を負わせる。市子は海岸で入水自殺をしようとしたが死ねずに、ずぶ濡れ姿のまま交番に自首した。野枝は市子が来たときに東京へ帰って行った。

映画では、野枝が日陰茶屋に戻ってきて3人の長い会話と絡み合いになる。
3人の交わす会話と動き、特に日本座敷の障子や襖の開け閉め、次々と倒れていく白い襖に圧倒される。

昨日、この映画を見て「日陰茶屋事件」ってあの・・・と思い出した。関東大震災のとき、わたしの両親はまだ新婚で祖母とともに東京に住んでいたが、地震で家がつぶされ、近所の神社の大木の根元で夜を明かしたと言っていた。震災から年月が経って生まれたわたしだが、こどものときから震災と大杉栄たちのことを知っていた。苦労話をするときセットで語られたからである。主義者や朝鮮人に対する流言飛語が飛び交ったこと、大杉と伊藤野枝と甥の3人が甘粕大尉らに虐殺されたことは震災の苦労とともに語られ、昨夜わたしは久しぶりに亡き父母の話しぶりを思い出した。

篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」

先に自叙伝を読んだので理解しやすかった。
本書は大きく4章に分かれ、4章が40項目に分かれたわかりやすい構成になっていて楽しく読めた。
高齢者の文章によくある青汁を毎日飲んでいるとか体操しているとかの健康法などいっさいなく、楽しく一人暮らししていることが伝わってくる。自然体なんだけど大きな声で自然体でやってますというところがない。
ずっと着物でとおしてはるそうだが、自慢するでなく人に勧めるでなく、自然に着物を着ておられる。ふと、剣豪 塚原卜伝が歳をとって静かに暮らしている食事中に斬りこまれ、卜伝は鍋の蓋を盾にして刀を止めたところを思い出した。ほんま、名人の暮らしをされていると感じた。
各章の終りにはまとめの言葉が入っていて、おっ!と思うところ何カ所もあり。
これ↓気に入った。

なんとなく過ごす。
なんとなくお金を遣う。
無駄には、
次のなにかが兆している。
必要なものだけを買っていても、
お金は生きてこない。

すごくおしゃれで楽しい人だ。
あと、恋の話を聞きたかったと思うのは野暮かなあ。
(幻冬社 1000円+税)

篠田桃紅『百歳の力』

先週の「週刊現代」に篠田桃紅さんのインタビューが載っていてた。今年4月に発行された篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」(幻冬社)について語っていてすごく興味を惹かれた。
先週本屋に行ったら新刊書のところに平積みしてあって横にもう一冊「百歳の力」(集英社新書 2014年6月発行)があったので両方買った。
順番に読もうと「百歳の力」(103歳の現役美術家唯一の自伝!)を先に開いた。

桃紅さんは1913年、旧満州・大連生まれ、百歳を過ぎた今も現役で活動を続けている美術家である。5歳から父に墨を習いはじめた。父は「桃紅李白薔薇紫」からとって「桃紅」と号をつけてくれた。
当時は女学校へ行くということはすぐに結婚するということであり、いろいろな友だちの結婚を見ることになる。自分は結婚しないで生きていこうと決心し、お兄さんが結婚するので邪魔にならないように家を出る。書を教える場所を借りると生徒がたくさん集まった。住まう家も借りた。
戦争中は空襲から死を免れ、年老いた両親とお腹の大きい妹とともに疎開する。苦労の末に結核に罹るが女医さんの「治る」という言葉に勇気をもらって闘病する。
40歳代でアメリカに行くチャンスに恵まれた。当時のアメリカ行きの大変な事情が書かれていて勉強になる。

そしていま、103歳になる美術家は「ゲテモノ、という言葉があるけれど、それは当たっているかもね。でも、まがいものではないつもり。」と言い切る。
(集英社新書 700円+税)

田中康夫『なんとなく、クリスタル』をKindleで購入

「33年後のなんとなく、クリスタル」を買ってもう1カ月近いんじゃないかな。とうに読み終わっているのだがまだ感想を書けてない。33年前のを読んでからにしたいのと、長いあいだ読んでいるP・D・ジェイムズから抜け出さないとどうもならない。ようやく大作「原罪」を2回読んで納得できたので手放せそう。

さっき、ツイッターで「なんとなく、クリスタル」(河出文庫)が値下がりとのツイートを読んで、タイミングのよいことに驚ききつすぐに購入した。わたしのKindleはずっと寝てたので、起こしてご飯を食べさせてやったらようやく動き出した。片付けがすめば即読み出すつもり。
昔読んだことがあるけど、33年後の物語を読んでいたら、昔はどんなだったかしらと思うこと多しで、やっぱりまた読みたくなった。

阪神大震災の2年後、「週末ボランティア」のメンバーだったわたしは、田中康夫さんといっしょに仮設住宅に住む被災者のお宅を訪問した。一回目は暑いときで二度目はめちゃくちゃ寒い日だった。歩きながらや車中やいろんな話をしたが、わたしが「仮設住宅訪問では決して女性をおばさんと呼んだらいけません」と東条さん(リーダー)が言うてるのに、同僚のボランティアのわたしにおばさんと呼ぶ人がいるとぼやいたら、それではとS嬢と呼んでくれた。当時の「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです(笑)。

ジム・ローチ監督『オレンジと太陽』と児童移民のこと(1)

女性ライフサイクル研究所のサイトにある村本邦子さんの「今月のトピック」2月の『「からのゆりかご」と児童移民』を読んで、ここで紹介されているジム・ローチ監督「オレンジと太陽」のDVDを思い出した。仕事が立て込んでいるのだがなにはともあれ見なくては。

映画「オレンジと太陽」はイギリスからオーストラリアへの児童移民がテーマである。17世紀以来、13万人を上回る子どもたちが船で運ばれた。
そこで思い出したんだけど、ミステリ作家レジナルド・ヒルの「異人館」(ダルジール警視シリーズではない作品)では、1960年代にイギリスの孤児院からオーストラリアに移住した祖母のルーツを探してイギリスへ来た若い女性サムが主人公である。祖母は11歳で何者かに妊娠させられ男の子を産んで死んだ。その子がサムの父親で、いま住んでいる家の養子となってきちんと暮らしている。サムは数学に秀でていてケンブリッジへ留学が決まり、その前に父親と自分のルーツを探りにイギリスの北西部の村にやってきた。父親の苦悩が映画「オレンジと太陽」の男性たちとだぶる。マーガレット・ハンフリーズさんは1986年に「児童移民トラスト」を立ち上げ、レジナルド・ヒルは本書を2005年に書いている。

真正面からはマーガレット ハンフリーズ「からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち」があり、ひとつの例を「異人館」で読める。なんて書いたが「からのゆりかご」はまだ読んでないです。

遅くなったので肝心の映画の紹介は明日に。

今年最初のSUBで思ったこと

1月中はなかなか腰があがらなかったがようやく今日SUBへ行った。すっごくいい演奏が聞けて幸せな時間を過ごせてよかった。
今日は7時15分から3セットあったのだが、8時半の2セット目から聞いた。藤川幸恵さんのピアノと長谷川朗さんのテナーサックス。3セット目にアルトサックスの側島万友美さんが加わった。

聞きながらいろいろ考えていた。
演奏はいいが聞いてる人は年寄りが多い。若いときから聞いている人たちだ。なぜ演奏する若者たちがいるのに聞く若者がいないのかな。この知的な音、技術も感性も備わった演奏を聞く若い人が少ないのはもったいない。
まあ、わたし自身が楽しめてるからええか。

わたしがSUBにいる間に姉と妹から電話があったそうだ。どっちも夜に女が家にいないなんて考えられない人たちである。明日電話して弁明せなあかん(笑)。以前、わたしがVFCの例会に行ってたときに兄の連れ合いから電話がかかって、主婦が夜出かけるの?って絶句してたそうだ。
女性が夜遅くまで好きなことをして遊ぶのが普通になればいいな。

シャルロッテ・リンク『姉妹の家 上下』(2)

第一次大戦のヨーロッパで思い出すのが中学生のときに読んだ「チボー家の人々」第1巻「1914年夏」である。それ以来1914年という言葉が頭にしみ込んでしまった。その次にはドロシー・L・セイヤーズのピーター卿とハリエットのシリーズ、そしてヴァージニア・ウルフの「ダロウエイ夫人」と続き、映画の「突然炎のごとく」になる。児童文学でもあったなといま思い出しかけている。

本書のはじまりは1907年、ヨークシャーの地主チャールズは親たちに意地を通して結婚したアイルランド人のモーリーンと愛ある生活を送っている。娘のフランシスは14歳の怒れる娘で女学校がいやでたまらない。辛抱するようにいう恋人のジョンは20歳。美人の妹ヴィクトリアがいる。
しばらくして兄のジョージが恋人のアリスを連れてロンドンから帰省する。アリスは女権論者でフランシスに絶対的な影響を与えるようになる。ロンドンへ出たいフランシスは独身の叔母マーガレットを頼って家に住ませてもらう。

1910年11月18日、「黒い金曜日」としてイギリス女性解放運動の歴史に刻まれたこの日、婦人参政権を求めるデモで115人の女性が逮捕された。この日フランシスは風邪気味で家にいたのだが、負傷した女性が来てアリスからの伝言を伝える。デモの現場へ行ったフランシスは警官を傷つけたとされ逮捕される。拘置所で仲間とハンガーストライキをやり、4日目にはホースで流動食を流し込まれるという不当な待遇を受け体を壊す。
恋人のジョンが面会にくるが話が合わなくなっている。結局、父親が縁を切っていた実力者の祖父に頼んだらすぐに解放された。そのために父は自分の意志を曲げたので、それからはフランシスを無視するようになる。
ジョンは妹のヴァージニアと結婚して政治家として華やかな活躍をはじめる。

第一次大戦がはじまり、ジョージもジョンも戦線に出る。フランシスは看護婦の助手などして二人と出会う。
(園田みどり訳 集英社文庫 上 905円+税 下 876円+税)

三宅菊子さん 追悼/イアン・ランキン

イアン・ランキンの「死者の名を読み上げよ」を読んでいたら、二度も死者の名を読み上げるところがあった。一度目はG8に反対する集会でイラク戦争の犠牲者1000名の名前を読み上げる。読み手が交代しながら読んでいく。二度目はリーバス警部がバーでグラスを掲げて事件の死者の名を5人読み上げ、続いて先週亡くなった実弟の名前を読み上げる。
【死者の名を読み上げ、忘れ去られてないことを死者に知らせる。】

思い出したのは三宅菊子さんのこと。
8月8日に三宅菊子さんが東京都内の自宅で亡くなっているのが見つかったとツイッターの書き込みで知った。それまで何十年も彼女の存在をすっかり忘れていた。
わたしが彼女のことを知っていたのは、作家三宅艶子さんのお嬢さんである菊子さんが、松川事件の被告だった佐藤一さんと結婚したときだ。朝日新聞に広津和郎さんの小説が連載されたのが1954年だといま検索してわかった。わが家は一家で愛読したというのは松川事件に関わっている広津さんの小説だからだ。年齢からいって三宅さんが秘書をしたのはもっと後かしら。とにかく被告だった佐藤さんと結婚したというニュースはショックだった。祖母が三宅やすこ、母が三宅艶子という作家を家族に持つ毛並みの良いお嬢様がというショックだったかな。お嬢様だからこそできたとも思った。初期の「アンアン」にお二人の写真があったような気がする。小津安二郎の映画の一シーンのようだった。

いま検索したら著作もたくさんあり、東京の出版界で活躍されていたのを知った。きりきりしゃんとしたひとだったみたい。
ここに、名前を読み上げ、ご冥福をお祈りします。