溝口健二監督『元禄忠臣蔵』を英語字幕版で

『元禄忠臣蔵』(真山青果原作)は昔から大好きな映画である。
偶然おとといの夜に英語字幕付き版を見ることになった。おとといは前編、昨夜は後半を見たのだが、字幕が邪魔にならず、ときどき英語を読んでいたり、いい経験をした。
したがって、昨日のブログはお休みしました。

戦中の映画だから映画館で見ていない。
20年くらい前にテレビで見たかビデオで見たかだったか大枚はたいてビデオを買ってからは何度も見ている。最近はどこかに仕舞い込んだまま見ていない。心身ともに忠臣蔵離れしてしまっている。中学生の頃から忠臣蔵が好きで、本編だけでなく、銘銘伝、講談、随筆といろんな本で読んでいた。いまは離れているが思い出すと何十年のものすごいファンだった。

この映画が好きなのは大石蔵之介を演じる河原崎長十郎が好きだからである。河原崎長十郎を見るために前進座の芝居を見に何度も出かけた。歌舞伎十八番だったかな、『鳴神』が最高だった。お姫様が河原崎國太郎でこれも絶品。前進座のパーティにも出かけてお二人に握手してもらったことがある。

エースのジョーにしびれた60年安保のころ

今日1月21日に宍戸錠さんが亡くなられた。小林旭さんの奥様が亡くなられたばかりだしとてもさびしい。

出演映画の一覧表を見ていたら『銀座旋風児』のシリーズ名がたくさんあった。懐かしい。エースのジョーを初めて見たのはどの「旋風児」だったかな。すっごくおもしろく見たのを思い出す。あまりにもアホらしくて同行のSちゃんは「帰る」と腰を上げた。その手を引っ張って「もうちょっと」と座らせ、わたしはジョーを満喫した。「くみちゃんてもうちょっとインテリかと思ってた」といわれながら(笑)。
小林旭がスクリーンに派手に出てくるとジョーは敵役や相手役で出てきて、ふくらんだほっぺたがその場を支配した。わたしはジョーの笑顔が大好きだった。

そのころ、わたしは阪神電車の千船駅近くの小さな会社で事務員として働いており、仕事が終わると梅田へ出てコーラスや学習会や講演会や映画に行き、友達と会ってしゃべり、お好み焼きを食べ、カクテルを飲みにバーへいった。
60年安保の時期が近づき安保反対のデモがしばしばあった。わたしは労働組合に所属してなかったけど、友達の会社の労組のデモに参加させてもらってデモった。個人でデモに参加するのは困難な時代だった。「デモる青春、ジャズる青春」の言葉通りデモとジャズに明け暮れジョーのほっぺたに惚れて、アキラの笑顔に魅せられていた。

Sちゃんの父上が日活の株を持っていて入場券が届くとくれたので、梅田日活へしょっちゅう行っていた。帰りはすぐそばのお好み焼き屋でお好み焼きと焼きそばを食べた。お好み焼きにマヨネーズをつける食べ方のはしりだったと思う。そのあとカクテルバーに行って、お気に入りのバーテンダーのいるテーブルでカクテルをたのんだ。新作の「白雪」なんて名のカクテルがあったっけ(笑)。

行定勲監督『リバーズ・エッジ』

岡崎京子の漫画を読んだのは1990年代のことで、すごく気に入ったというより、すごく気になった作品だった。行定勲監督により今年封切りの映画になったわけだが、岡崎京子原作の映画化というにはセックスシーンは多いけれども幼い感じがした。

女子高生たちが二階堂ふみを入れてももひとつぱっとしなかった。ぱっとしていたらもう少し楽しかったかも。ゲイの少年を演じた吉沢亮がよかったです。
それとリバースエッジの風景がよかった。

梅田日活のころ

先日タクシーの運転手さんにイナロクのことを教えてもらった。国道176号線がイナロクか〜と感心したらいろんな知識を付け加えてくれた。イナロクが梅田新道からはじまっているとは知らなかった。梅田新道とは懐かしい。

この日記にしょっちゅう出てくる姉より2歳下、わたしより10年上の亡き姉が小中学時代のわたしにとって憧れだったことを書いておこうとさっきご飯を食べながら思った。断片を相方にしゃべってたらいろいろ思い出した。書いているうちに思いが少しはまとまるかなあ。

二番目の姉はよく遊んだ人だった。タイピストをしている会社をひけると、たいてい遊びにいく。映画、ダンス、そしてどこかの喫茶店のようなところから帰ると寝ている妹にも聞こえるように話すのだった。聞きながらわたしも姉みたいな遊び人になろうと思った(笑)。
父が買う推理雑誌『宝石』、映画は『スクリーン』『映画の友』、姉が買うのはいまなら『アンアン』『ポパイ』のようなものか『スタイル』だった。たまに『新女苑』も。兄が買う『改造』もあった。『世界』も出てたかも。わたしはもちろん『ひまわり』。あれほど雑誌が輝いていた時期はなかったと思う。

姉は大阪駅からまっすぐのけっこう広い通りを「うめしん」といっていた。喫茶店、洋服屋があったように記憶する。
それから10年くらい経ち、ハタチくらいになったころ、その「うめしん」でわたしも遊ぶようになった。コーラスの友人の両親が相次いで亡くなり、遺産に日活の株があったそうで、映画がタダで見られる。毎週のように二人で出かけた。小林旭と宍戸錠がわたしのお目当て。もうちょっと上品なのを見たいと彼女。でも日活映画やもんと2年くらいは通ったかな。帰りにすぐそばのお好み焼き屋に寄るのが楽しみだった。いま思うと北新地の流れだったのか、お座敷になった店で、出来上がりにマヨネーズをかけまわしてくれた。わたしらはいっちょまえの遊び人のような顔をして食べてた。

滝田洋二郎監督『おくりびと』

2008年の日本映画。第81回アカデミー賞外国語映画賞、および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した。と ウィキペディアに書いてあった。評価されるだけのいい映画だと思う。ふだん考えたこともない葬式に関係する仕事の話で、世間知らずのわたしにはおおいに勉強になった。
当時、すごく評判になったけど見ていなかった。あまりにも評判が高すぎて見送っているうちに通り過ぎてしまったという感じ。8年後の今夜アマゾンプライムで見たんだけど、隙のないいい映画だと思う。

東京でクラシック音楽で食べていく道が絶たれ故郷山形にもどり仕事を探す。「旅のお手伝い」というぼやけた宣伝文句にどんな仕事かと行ってみると葬式の前段階の「納棺」だった。
いろんな遺体との出会い、さまざまな遺族とのやりとり、そして世間の偏見、一生の仕事と思えるまでのいろんな出来事が丁寧に描かれている。
「旅のお手伝い」と書かれたNKエージェントの広告を見たことからはじまり、最後は子どもの自分を捨てて出て行った父親の遺体と向き合う。
本木雅弘の演技と町や村の風景に引っ張られて一生懸命見た。山形を舞台にしたのもとてもよかったと思う。

藤純子主演 小沢茂弘監督『緋牡丹博徒 二代目襲名』(1969)

緋牡丹博徒シリーズ第4弾は『緋牡丹博徒 二代目襲名』。原作が火野葦平。しっかりとした物語で見ごたえがあった。
お竜は矢野組二代目襲名のために不死身の富士松(待田京介)を連れて故郷の熊本へ戻ってきた。馬車に乗ると一目でお竜さんに惚れたという男(津川雅彦)につきまとわれる。馬車を追い越して騎乗の男が行き、その後をたくさんの男たちが馬車で追いかける。男どもを追い払い撃たれた男(半次)を病院へ連れて行き事情を聞き、金を預かって雪江に届ける。
川辺親分(嵐寛寿郎)はお竜の帰郷を喜び、いまの北九州の状況を話す。いままで石炭を運ぶのは川舟を使っていたのを列車輸送にするために鉄道を敷設しているところで、川辺組と危機感をもつ川船頭たちはトラブルを繰り返していた。
石炭の需要は増すばかり、本庁からは催促がきていて鉄道局の役人は川辺をせっつく。そこへ現れたのが荒木田組で、暴力を陰で使いながら権利を奪おうとする。
雪江の兄八代(高倉健)は刑務所からお前はカタギと結婚するようにと言い聞かせてきた。「馬鹿は俺一人で沢山だぜ」。
川辺親分が矢野組に後をまかせると言って亡くなったあと、お竜は矢野組一家の親分として川筋で働く。
大阪からやってきたお神楽のおたか(清川虹子)が襲名披露の座や最後の殴り込みで貫禄を示す。
喧嘩状を渡したお竜と八代はともに戦い荒木田をやっつける。妹を幸せにすると誓った半次と富士松に抱かれ、なお続くお竜の戦いを見つめながら死んでいく八代。
お竜は故郷を出て再び旅に出る。

8作中4本を続けて見たので明日は休む。

藤純子主演 加藤泰監督『緋牡丹博徒 花札勝負』(1969)

午後つるかめ整体院に行ったら肩がいつもにも増して凝ってると言われ、それは緋牡丹のお竜さんのせいだと言い訳した(笑)。もちろん映画だけ見ていたわけでないけど、すごく真剣に見ているから肩が凝りもする。

名古屋に着いたお竜は間違って列車の線路に入っていく盲目の少女(お君)を間一髪で助け、後からやってきた母親に礼を言われる。
名古屋で最も旧い家柄の西之丸一家でわらじを脱ぐが、胸のすくような初対面の仁義を切るシーンがすばらしい。親分(嵐寛寿郎)は統率力のある人格者。四年に一度の熱田神宮の祭りがあり勧進賭博を仕切るのが西之丸一家である。親分に贋のお竜が賭場に出没していると聞かされ、お竜は新興の金原一家の賭場へ出向く。そこで出会ったのがお君の母だった。
金原のところで奇食している花岡(高倉健)と雨が降る道で出会い傘を貸す。お竜が持っていた傘の柄の暖かさが忘れられない花岡とはそれから何度かすれちがう。一宿一飯の恩義ということで花岡は西之丸一家の親分を襲うことになるが急所を外す。勧進賭博を開くことができたが、傷口が悪化して親分は亡くなる。
西之丸一家の通夜の中をそっと出かけたのはお竜と富士松だった。乱闘中に花岡が加わる。この結末は自分に任せてくれと花岡は言う。
花岡がお君を病院に連れて行き手術でお君は目が見えるようになっていた。

若山富三郎の愛嬌、清川虹子の太っ腹、待田京介(不死身の富士松)がお竜を「おじき」と呼ぶのが楽しい。ちょっとだけど藤山寛美が笑わせてくれた。

藤純子主演 鈴木則文監督『緋牡丹博徒 一宿一飯』(1968)

今夜も夕食後はお竜さん。
緋牡丹博徒シリーズ第2弾は戦うお竜さんと鶴田浩二が出会って権力とつながる卑怯な奴と徹底的に戦う。前作では高倉健がやっていた役を鶴田浩二がやっている。

熊本の矢野一家再興のために各地を回って修行を重ねる「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子は上州富岡の戸ケ崎一家に身を寄せている。
富岡では高利貸が生糸農家を締め付け農民は困窮の極みで、戸ケ崎はなんとか調停しようとしているが、舎弟の笠松が上州一帯の利権を得ようと裏で暗躍していた。戸ケ崎は騒ぎが起こるのを察してお竜を上州から去らす。
東京に出たお竜は笠松が上州の利権を確実にするために東京で上層部への接近を図っているのを知り阻止しようとする。
お竜が居ぬ間に戸ケ崎は笠松一家に襲撃される。それを知ったお竜は・・・
笠松の腕の立つ子分に菅原文太がなっていやな奴モードいっぱいで、それはそれでかっこいい。
鶴田浩二はもともとこの地の出身で貧しい家を嫌って家を出た。その後、両親は貧しさの中で死んだ。お竜との間はお互いに口に出さないけど愛と信頼で結ばれる。
お竜を阻もうとする賭博師の女にも戸ケ崎一家を守ろうとする娘にも、お竜は優しい。身を汚されたと泣く娘に、自分の背中の刺青を見せる。「女だてらに、こぎゃんもんば背負って生きとっとよ」

藤純子主演 山下耕作監督『緋牡丹博徒』(1968)

四方田犬彦・鷲谷 花 編集『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(2009 作品社)を開いてまず読んだのは「緋牡丹お竜論」(斎藤綾子)だ。取り上げられている他の作品を全然と言っていいくらい見ていないから、なじみのあるお竜さんからまず入ろうと思った。

「緋牡丹博徒シリーズ」は全部で8作あって第1作が『緋牡丹博徒』である。わたしは1968年頃はずいぶん映画を見ていて、洋画は梅田で北野シネマやコマ劇場地下、日本映画は新世界の映画館だった。鶴田浩二、高倉健、池部良、ちょっと後には菅原文太とたくさんのヤクザ映画を見たものだ。このシリーズでは待田京介が好きだった。

「肥後熊本は五木の生まれ、姓は矢野、名は竜子、通り名を緋牡丹のお竜と発します」と仁義をきるお竜さんは美しくて清々しい。親分だった父親が辻斬りに殺されて、堅気の人と結婚寸前だったのに破談となる。多くの子分たちはいなくなり、終生ついていくという一人の子分に留守番させてお竜は渡世の旅に出る。
旅の途中で出会った高倉健に肩を怪我したお竜さんは片肌脱いで傷に薬を塗ってもらう。肩から背中に緋牡丹の刺青が花咲いている。
悪い奴がはっきりしており、女親分清川虹子の筋を通す古風な生き方が泣かせるし、お竜さんに惚れ込んでお竜さんのために死ぬ子分、若山富三郎(熊虎親分)のユーモア、不死身の待田京介の純情。様式美と笑い、すべてが揃ったやくざ映画だ。続けて8作みんな見るつもり。

吉田喜重 脚本・監督『嵐を呼ぶ十八人』続き

いつものことだけどDVDで映画を見てすぐに感想を書くので、新鮮な気持ちではあるけれど書き忘れが多い。今回も大阪弁を自然に受け止めていたせいか大阪弁が自然だったと書くのを忘れていた。
手配師森山の芦屋雁之助、村田係長の殿山泰司、ヒロインのぶ(香山美子)の祖母役の浦辺粂子、怪我をした息子を迎えに来た母親役の浪花千栄子のベテランたちが暴走する若者たちの群像を要所で締めていた。芦屋雁之助と浪花千栄子の大阪弁と物腰に爆笑しつつ感じいった。
町の与太者役の平尾昌晃の自然な喧嘩っぷりもよかった。

レイプされたのぶが去って広島へ行き、追いかけた島崎(早川保)は野球場に行ってるはずだと聞いて広島球場へ行く。試合中の場内をあちこち走って見つからず、場内放送で呼び出してもらうが、のぶは暗いところでじっと佇んでいる。野球が終わり照明が落とされていく。どうなるのと思っていたらようやく見つかってほっとした。
撮影が成島東一郎、照明が佐野武治と吉田監督と長い仲の二人が協力している。こういうことも最近本で知ったのだが(笑)。