熱中症どこかへ飛んで行けっ

この1週間はなんとなくしんどい日が多かった。家事や遊びも余分なことをしていないのに、ちょっとぼぉっとしてしまい「?」と自問するときがある。倒れそうにしんどいのなら病気だが、なんとなくしんどくて「?」となるのはなんやろ。これが続けばなにかの病気の症状かもしれないと心配になってきた。どこか不安定ということで、そのどこかのせいで倒れるとか、ありうるかも。

昨日の午後は整形外科に行って、ヒアルロン酸の注射を打ってもらって、リハビリもしてもらった。
帰ってお茶しながらどんと落ち着いて相方と今日の暑さとしんどさについてしゃべっているうちに、なんとなくしんどいの「?」が解けてきた。冬から春へと徐々に暖かくから暑いになっていってるのに体のほうが追いついてなかった。水分補給といいながらお茶とコーヒーそしてアルコール。水は飲まなあかんといいつつそんなに飲んでいなかった。単純な話である。睡眠不足でもあった。夜は何時まででも起きていられる。昼寝で睡眠時間を取り返えさなくちゃ。

今日は夕方近く少し涼しくなってから、サンドイッチなど手作りおやつを持って木津川沿いの散歩道へ出かけた。月初めに行ったときまだ芽生えたばかりだった草花が大きく育っていた。
野いちごが実り、ラベンダーが咲いている中にイキシアの枝が伸びて花が咲いていたのでびっくりした。ハタチくらいのときに「イキシア三池を守る会」ってのを女子ばかりでやってた。イキシアの花言葉は「団結」だということで名付けたんだった。白い清潔なイキシアの花を見て喜んだら元気が湧いてきた。熱中症どこかへ飛んで行けっ。

掻いて治した

午後から美容院でくつろいできた。毎日くつろいでばっかりじゃん(笑)。
白髪にもどす髪の対策を相談して、短くカットしてもらった。ボブからショートヘアになって、そのうちに全体が真っ白になる予定。
遅ればせながら入院のお見舞いに果物を持って行ったら、帰りに和洋のお菓子をいっぱいもたせてくれた。わたしらなにをしているんだか(笑)。

昨日、阪急オアシスの冷凍ケース前であちこちしたあと選ぶものがあって、車椅子でじっと止まっていた時間が長かった。「寒いわ、はよ帰ろ」といったときはときすでに遅かったみたい。
帰って暖かいパンツに着替えてご飯を食べた。背中や足が冷えているから気をつけなきゃとお風呂に入って長時間じゃぶじゃぶした。寝る前にストレッチと体操をした。

今朝はいつもどおりに起きたけどどこかしんどい。
美容院から帰っておやつを食べ、ぼちぼち台所の片付けをしていたら背中が痒くなってきた。太ももや膝の裏まで痒い。手を背中に突っ込んで掻きまくりながら悟った。昨日の冷えがこれで消えて、搔くだけ掻けば日常にもどる。
今日の前半は家の中を歩くのもしんどかったのが冷えのせいだとわかって、やれやれ。自分のからだは自分で守らにゃ。

さては花粉か、暑いのに鼻水

今年の春はなかなか暖かくならなくて、桜の花は咲いたものの散るのが遅かった。その後も朝夕寒い日が多かったが先週の終わり頃からようよう暑くなってきた。今日は夏並みに暑いと予報でいってたが、うちは昔から冬が寒くて夏はマシなのでそう暑いとは感じなかった。家の中の板敷きの部屋にいる限りは。

今日は午後の3時ごろに洗濯して干したんだけど、ベランダに直射日光がきびしくあたってクラクラした。暑さと明るさで倒れそうといってもウソでない。あわてて壁に手をついた。なんせ、腰と膝に弱点を抱えているのでね。
そんなこんなでしっかりせにゃと思う初夏。

暑くても鼻水が出るというのはなぜだろう。さっきからテッシュペーパーのお世話になっている。だいたいアレルギー症で鼻水が出やすい体質なんだけど、もしかしたら花粉症が遅ればせにやってきたのかも。早くから くしゃみ鼻水でなんぎしたが、みんなが騒いでいるころはころっと忘れていた。いまのは風邪ひきっぽくないから、わたしに合った花粉が飛んでいるのかも。なんじゃもんじゃとか(笑)。

脊柱管狭窄症をストレッチで

去年の正月に自分が脊柱管狭窄症になっていることをを義弟の言葉と酒井先生の本『脊柱管狭窄症は99%完治する』で知った。義弟に電話したとき、半年で治ったというので「なんで治ったのがわかるの?」と聞いたら「歩けるようになった!」との返事で「なるほど〜」だった。
そのときは半年か〜、そんならやれるわと思っていたのだが、わたしの場合は半年ですまなんだ。整骨院の先生に聞いたら男性は筋力がある人が多いとのことで、特にわたしのように筋力が弱い人はなかなかじゃないかなって。ということでストレッチを続けるしかない。先日『わかさ』を買って勉強したので理解は深まったがそれで治るかというと自信がない。ストレッチのやり方が増えたので、頑張るしかない。

脊柱管狭窄症は背骨の脊柱管が狭まって、歩くと痛みが出る病気である。トシをとると脊柱管が自然に狭まる人が多くいるそうだ。本にある症状の説明を読むと、わたしは純粋な脊柱管狭窄症である。
間欠性跛行(かんけつせいはこう)が特徴で、歩いているときにだんだん歩けなくなり、5分ほど休憩したらまた歩けるようになるが、歩き出すとまた歩けなくなる。

毎日3回脊柱管を広げるためにストレッチをしているわけだが、毎日やっても効果が現れないと情けなくなる。内臓はよくなっている気分があるけど。
それでも本と健康雑誌を読むととても追い風が吹いている感じで希望が湧く。

いつのまにか脊柱管狭窄症になっていた

おとといは姉の家からの帰りからはじまった脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)のことを書いた。
今日はそこにいたるまでを思い出しつつ書いておく。
去年(2018)の暮れから姉は有料老人ホームに入居して生活全般を世話してもらっているが、それまでは古い借家で一人暮らししていた。夫が亡くなってちょうど10年を毎週1日は日をずらして姪たちとわたしが行き、その他、週に2日のデイサービス、週に2日掃除に来てくれるヘルパーさん、なにかと声をかけてくれる隣人や民生委員さんがいて、電池の入れ替えまでやってくれる電気屋さんもいて、近所のローソンも利用してとてもうまく暮らしていた。古くからの人情プラス最新の福祉環境。

義兄が病気になる前はわたしと姉は不仲でつきあっていなかったが、アルツハイマーの義兄の様子を聞いて手伝いに行くようにした。そして姉の孤独を見て週に一度姉の家を訪問することにした。その上に毎日電話でしゃべる。電話がかかるときに不在だとややこしいので、姉はいつでも在宅だからこちらからかけるようにした。それでも時間が遅れるとかかってくる。それを10年。

姉の家は地下鉄御堂筋線の東三国にあった。地下鉄と歩きで1時間以上。最初の頃は黙々と通っていたが、こちらも年をとってしんどいし、行きの買い物が重いので行く時だけ西中島駅からタクシーに乗って1000円。これで何年かやって、次は梅田で買い物してタクシーで2500円。そのうち帰りは新大阪へタクシーで800円。新大阪から地下鉄。行き始めてから7〜8年経っている。新大阪の新幹線乗り場で降りて、お店をのぞいてから帰るのが習慣になった。本屋さん、小物屋さん、ドーナツ屋さん、ユニクロなど。
そのうち、午前のタクシープラス地下鉄がしんどくなって、家の近所の高級スーパーで買い物して直接タクシーで行き、帰りは姉の家から何度か乗って知り合った運転手さんに電話して乗せてもらうようになった。タクシー代往復7000円は支給。帰りは堀江へ寄ったり梅田でぶらぶらしたり。

最初に異常に気がついたのは、義弟の言葉から脊柱管狭窄症に違いないと確信し、間欠性跛行(かんけつせいはこう)という言葉を知りこのことを振り返ったときだ。
新大阪の商店街からエスカレーターで降りてちょっと歩くと地下鉄乗り場がある。いつのまにかそのちょっと歩くのがしんどくなった。普通に歩いているつもりなのに、みんなに追い抜かれる。あれ、なんでや〜 地下鉄ホームに出てベンチに座るとしんどいのが治る。1台おきの新大阪駅発に乗って心斎橋へ。降りてから乗り換えまで歩くのが一仕事。エスカレーターのところにあるベンチに座って一息つく。立ち上がったら元気。で、また歩いて疲れ、乗り換えた電車に座って元気に。
いまになって以上のように整理して考えたら、この症状は脊柱管狭窄症患者の典型的な間欠性跛行だ。
おととしの秋はこうして去っていき、寒くなってから倒れたんだけど、ずっと前兆があったのだ。

湿気が苦手、アルコールも少々苦手

湿度が高い日は膝が痛むので苦手だ。昨日は整形外科に行ってヒアルロン酸の注射をしてもらった。それで膝の調子が良くなったのかわからん。頼みのヒアルロン酸だが、膝痛の人みんなに効いているのだろうか。痛い注射を我慢しているんだから効いてほしいな。今日からっと晴れていたら効いているのが実感できたかもね。

とにかく今日は体感で湿度が高い。湿度計に用はないよというておこう。こんな日は膝が痛くて当たり前だと諦めている。午前中はまあまあ。午後もそつなく過ごしたが、晩ご飯を食べてからしんどくなってきた。いまは台所の片付けを最後までせずにさぼっている。痛みがましになったら台所へ復帰するつもり。しかし、なんでこんなにしんどいのかしら。
あっ、そうだ、アルコールだ。焼酎のソーダ割りを晩ご飯のとき少々飲んだっけ。このせいだとするとなんか情けないな。

以上を書いてから台所へ行って片付けをすませてきた。立っていると膝はまだ痛いんでいやになる。気持ちよく晴れる日を待つしかないか。

『わかさ』4月号で脊柱管狭窄症の勉強

一昨年の暮れのとても寒い夜に姉の家から帰宅するときタクシーに乗るために広い道路に出るのがしんどい。腰がだるくて歩こうとすると足が進まない。帰ってからお風呂で体を温めて寝たが、トイレに起きるため立つのに一苦労した。
数日は家で寝ていたが、正月に義弟の年賀状を読んで、わたしの病気はこれだ!とわかった。義弟は脊柱管狭窄症をストレッチで治したと書いてあった。電話で詳細を聞いたところ、この本に書いてあると教えてくれたのが、酒井慎太郎『脊柱管狭窄症は99%完治する』という本。さっそく買って読んだら、酒井先生の書いていることがわたしの症状とぴったりあっている。それ以来、本のとおりにテニスボールストレッチをしている。ストレッチの効果で体調がよくなっているのは確かだが、完治にはほど遠そう。なんでやろ? わたしは「残りの1%」なんやろか。

半年ほど経ったとき友達に「なかなか治らへんねん」とこぼしたら、ヘルニアの手術をしたことがある彼女のお父さんが「そんなに簡単に治るもんやないで。ストレッチで治すというなら最低1年はかかると思わなあかん」といったとのことで、そうなんかと気を引き締めてストレッチを続けている。1年以上は経ったけど、ストレッチのやり方が足りないのかまだ治らない。体調はとてもよくなっているが、歩くのがまだまだあかん。これはなにか理由があるはず。

おとといスーパーライフに行ったとき雑誌売り場で立ち読みしてたら健康雑誌のところに1冊だけ『わかさ』が残っていた。手に取ると「坐骨神経痛」がでっかく、次に「脊柱管狭窄症」の文字がでっかい。あれっと手にとってみたらわたしの知りたいこと、やるべきことが書いてあるような。
写真付きでストレッチのやり方が出ている。説明も納得できるので買って帰った。おとといはわたしが読み、昨日は相方が読んだ。脊柱管が狭窄しているのを広げるストレッチということでの説明が納得できる。
わたしは映画を見るのに座り続け、ツイッター読むのにパソコン相手に座り続け、本を読むのに姿勢を正して座り続けている。脊柱管が広まることを拒むことばかりしていると冷や汗。せめて立つときは片足を前に出して立とう。

わたしは理屈はわかるけど、いざストレッチとなると運動オンチだからなかなか写真のようにいかない。相方に手取り足取り説明してもらって昨夜と今朝とストレッチをやった。なんとかなったのでこれを毎日続ける。続けることには自信がある(笑)。とにかく脊柱管を広げるためにがんばる。

1985年

昨日は1985年に開催されたライブエイドをテレビで見るために病院から外泊許可をもらったことを書いた。6月20日ごろに倒れて救急車で運ばれて即入院。手術はしないで輸血と薬と睡眠で1ヶ月の安静と診断された。倒れた時は太陽がギラついていて数日好天が続いたが7月に入ると雨の日が多くなった。

救急車で運ばれたのは本田にある大阪掖済会病院だったから、うちからは西へまっすぐに30分くらい歩いたところにあり、途中に松島公園と松島橋があった。アジサイとクチナシが雨に打たれている植え込みのそばを長靴履いてぱしゃぱしゃ歩いて行った。
毎日昼ごはんがすむと病院へ行って夕方までいたが、ちょうど名古屋場所のときで千代の富士を応援してたから済むまでテレビを見ていて帰った。

そうそうもういっこ思い出した。休んでいる間にわたしの両方の親知らずを抜いたんだった。心斎橋の日航ビルにあった歯科に行って抜いてもらったのだが、帰り道は大丈夫かと聞かれ、次回行くと、抜いた後は晩ご飯を食べられましたかと聞かれた。えっ、昼ごはんもしっかり食べましたと答えて歯医者さんをびっくりさせてしもた。実は食べることはしっかり食べたんだけど、からだはしんどくて病院から早々に帰って寝たっけ。

1985年をよく覚えているのは、プロ野球の阪神タイガースが優勝した年だからだ。あの夜は晩ご飯にお赤飯を買っておいて食べ、野球中継が終わってすぐに家を飛び出した。梅田へ行ってファンの渦の中に入り、「御堂筋を行進しよう」との呼びかけに応じて道頓堀まで歩いた。夜中を過ぎても大騒ぎが続いて、わたしたちも明け方近くまで騒いでいた。

いま思い出すと、夫が一生に一度の大病をした年であるが、ライブエイドに熱中し、阪神タイガース優勝で騒いだおもろい年でもあった。体調を気遣って仕事をセーブしたので、それ以来お金の苦労が絶えなかったが、なんとか切り盛りして現在に至る。いまも懐が苦しいっす。入院したときにタバコをやめてよかった。

血圧と体重 続き

血圧の数値を「高血圧手帳」に記入するようになってかなり真面目につけていた。朝と夜の2回測って2回の数値と平均値を記入する。1ヶ月ほど経つといろんなことがわかってきた。血圧は興奮したら上がる。わたしの場合は映画を見て興奮すると上がる。寒くても暑くても上がる。毎日測っているうちに、ちょうど穏やかな気分のときに測ると低いことが多いのに気がついた。だから記入する数値がかなり下がってきた。先生に、たまに高い日があるねといわれると、「あのときはアクション映画を見たあとですわ」とそつなく答える(笑)。
いまは午前中だけ測ればよいといわれているが、最近よくサボっているので、ちょっと気分を上げないとね。

毎日血圧を測って自分のからだを管理するっていいことだと思うようになった。
体重も管理しなくちゃと記録しだしたんだけど、こっちの管理は大変だ。食べたら太るもんね。ずっと長いこと45キロくらいあったから痩せたくてしかたなかった。いま41キロ台になったからうれしい。その代わりに膝が痛いわ、腰がだるいわである。歩かないから足が衰えている。ストレッチと体操とお風呂でばしゃばしゃもやっているけど追っつかない。

わたしの場合は、血圧が130台で体重が40キロが理想とするところで、かなり近くにいる。もうちょっと、ではなく、もうだいぶん、頑張らなくては。ここ数日甘いもの食べすぎだし、ジェラシック・パークに熱中しすぎたし。

血圧と体重

今日は相方が午後からお出かけなので晩ご飯は個食で、おやつは飲み物(紅茶、コーヒー、白湯、ココア)とビスケットとチョコレートだった。甘いものばかり飲んだり食べたりじゃあかんのだが、今朝の体重が低かったからよいとしよう。こういう日もあっていいでしょう。

整形外科に去年の春はじめて行ったとき、受付で脈拍と血圧を測ってもらった。実はわたしは血圧を測ったことがなかった。だいたい医者にいかないし。膝治療は整骨院か整体院だし。
で、血圧を測ったら異常に高い。時間をおいて何度か測ってもらったらようやく落ち着いた数字が出た。白衣高血圧ですねと笑われたが、それにしても高いということでいちばん軽い降圧剤を出してくれた。こんなことになろうとは・・・びっくりとがっかりとで情けなくなったが、薬は半年以上真面目に飲んだし、血圧は毎日家で測って「高血圧手帳」に記入している。先生が行くたびに「手帳は?」といって点検しご自分のパソコンに数値を入れている。血圧は上が少々高くても下が安定して低いからいいそうだ。血液検査の結果が上々で「あなたは長生きするよ」といわれた。そうでもないような気がしているが。

そんなことで血圧だけでなく体重も測って手帳に記入している。体重は週に2〜3回測っている。今朝測ったとき41,2キロだった。自分の記憶違いで「増えた〜 40キロを超えてしもた、どうしよう」と叫んだが、実は大間違いでいままでで最低だった。それで、今日は甘いものを堂々と食べている(笑)。