スリランカカレーを食べてスリランカの勉強

最近の我が家のカレーはスリランカカレーであると作る人がいっている。たしかにカレーは独特な味わいでうまいけど、「スリランカ」って国はどこにあるの」というのがわたしの最初の問い。

スリランカ民主社会主義共和国、通称スリランカ、1948年イギリスからセイロンとして独立。72年にスリランカ共和国に改称して英連邦内の共和国となり、1978年からスリランカ民主社会主義共和国となった。
セイロンはインド洋にあり、国民の7割が仏教徒である。

《》はウィキペディアより
《島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。》

《文化遺産は、聖地アヌラーダプラ(1982年)、古代都市ポロンナルワ(1982年)、古代都市シーギリヤ(1982年)、聖地キャンディ(1988年)、ゴールの旧市街と要塞(1988年)、ダンブッラの黄金寺院(1991年)。
自然遺産は、シンハラジャ森林保護区(1988年)、スリランカの中央高地(2010年)。》

以上丸写しだが、カタカナの響きにも懐かしいようなエキゾティックな響きを感じる。これはなにかを読んで感じるのがいいかも。参考文献を読まなきゃ。

セイロンという名称はセイロン紅茶で知っていただけという情けないわたし。これからスリランカカレーを食べながらぼちぼち勉強していこう。

世界史の転換点 IWJの田中宇インタビュー

昨日は風邪引きという自覚で日記アップ後にすぐ寝てしまった。長時間睡眠ののち今日はお昼頃起きたら鼻水と咳と痰が激しくどうなることかと思った。ずっと静かにしていて夕方郵便を出しに外に出たら足がしんどい。ナンギやなあ〜 それでもメールの返事を何通か書いているうちになんとなく楽観的な気分になってきた。晩ご飯後しゃべっていたらワインのせいかもひとつ陽気な気分になっていた。さっきは歩くのもしんどかったくせにアホちゃうか(笑)。

おととい日本時間の9日にアメリカ大統領選挙の結果がわかったのだけれど、そのことで、岩上安身さんと田中宇さんの対談があったのを気がつかなかった。相方がどこかで知ってこれは見る価値があるというので、わたしが会員になっているIWJのサイトを見ることにした。IWJは先日契約更新したところだ。IWJは会員でないときによく見ていたのに、お世話になっているからと会員になってからあんまり見ていなかった。毎日届くメールの通信がおもしろくてそれですませていた。反省。

岩上・田中対談は最初の部分はだれでも見られるが、途中これからというところからはお金を払っていないと見られない。見たらわかるがお金を払った値打ちがある。
この会談は大統領選挙の前日に行われた。そのときに見ていたらよかったと思ったが後の祭り。田中さんは結果が出る前にトランプ勝利とはっきりおっしゃった。その鋭い分析のおもしろいこと!4時間くらいやってたように思うが、コーヒータイムとウィスキータイムの他は目を離さずにじっと見つめて聞いていた。

IWJのサイトより
【トランプ勝利の予測的中!】米国マスコミの異常な「トランプ叩き」は仕組まれた罠だった!?米大統領選挙の裏の裏までせまる!岩上安身が国際情勢解説者の田中宇氏に単独インタビュー! 2016.11.8

またお二人の対談をやるそうなので楽しみだ。予告を忘れずに見よう。
IWJの火を消すな、と真剣に思った。

選挙報道で疲れた

お昼前からラジオをかけてアメリカの大統領選挙の報道を聞いていた。最初はクリントンさんが勝つと思い込んでいるところへ有利なような報道だったから、やっぱりというかなんだかそれもつまらないようなヘンな気分である。日常の用事をしながら、昼ごはんを食べながら、野村正育アナウンサーの声を聞き続けていたら、あれは何時ごろだったろう、トランプ有利に変わってきた。
ええっ〜、同じように叫んだ人がたくさんいたはず。

整体院に3時に予約を入れてあるので出かけた。まあ、もうトランプ大統領に決まったようなものだが、野次馬としてはその瞬間を聞いていたかったな。残念でした。
帰ったらすでに2社がトランプ当選と報じていて、当選演説がはじまった。
このひとが大統領になってこれからの日本はどうなっていくのだろう。

なんとなく解説の座談会を聞いていたがいうことはわかってるし。
疲れた一日であった。

鳥取地震と阪神大震災の記憶

午後、パソコン前に座っていたら机の上のiPhoneがでっかく叫び出した。「地震や」と叫んで立ち上がったら部屋は揺れはじめた。うちはマンションの8階なのでよく揺れる。
午後2時7分、鳥取地震、ずいぶん長く揺れていた。物が落ちるとかはなくゆらりゆらりと揺れるだけ。「うわっ、どないしょ」「どこにいたらええのやろ」と言葉がぽろぽろとこぼれる。テーブルのところへいって「この下にもぐろうか」と言ったところで、揺れはおさまった。それからはラジオをかけっぱなしで野村アナウンサーの緊迫した声を聞いていた。

阪神大震災以来、地震が怖い。
あのときは壁一面につくりつけた本棚の上段からばらばらと本が飛び出した。その下に布団を敷いて寝てたから当たれば大変なことになるところだった。
揺れの方向によって物が落ちたみたいで隣家の人は食器棚の扉が勝手に開いて食器がたくさん飛び出し割れたそうだ。うちは食器はほとんど大丈夫だった。

飛び出した本はふだんはあまり開かない全集本だったが、片付けるときに飛び出した本を捨ててしまった。残った揃ってない全集本は本棚下段の隅に積んであるのだが、昨日ふと、「坂口安吾全集の残りはいらんね、ほかそうかな」と言った。そしてまず第一弾を取り出してゴミ袋に入れたのだ。
昨日そんなことがあって今日の地震なのでちょっと怖い。

晴れた5月の青空に〜

若いときのことだが、メーデー行進をしたくて友だちの会社の労働組合のメーデーに一緒に参加させてもらったことがある。わたしが働いていた小さな会社は労働組合もなく作ろうと言い出すものもいなかったから一人でやきもきしていただけである。
早くから『うたごえ歌集』でメーデーの歌を練習したので、行進しながら大きな声で歌った。いまでもたまにお風呂で歌っている。
「晴れた5月の青空に、うたごえ高く響かせて、歩く我らの先頭に、掲げられたる組合旗」
ほらほら歌えるやん。その日は雨やったけど(笑)。「おれらは金をもらって(組合から手当が出たみたい)来てるのに、あんたはえらい」と言われたけど、そのときはお金を払ってでもメーデーやりたかったのだからしゃあない。達成感はあったようななかったような。

いまは〜 あの元気はどこへ行ったやら〜
朝里の浜のニシンのようにどこかへ行ってしもうたな〜
季節の変わり目の5月はしんどくて憂鬱なり。

熊本地震

昨日の夜は本を読んでいると大きな地震があったねと友人からのメールがあり、ええっ、知らんかったなあと慌ててラジオをつけた。10時ごろだった。
21時26分に震度7の地震が熊本であったニュースが繰り返されている。怖いね、寝られるかなといいながらいつものようにお風呂に入り横になった。

うとっとしたときにまだパソコンに向かっていた相方が「地震や」と叫んだ。ベッドがゆらゆら揺れている感じというのは寝ぼけていたからだと思うが、とにかくゆっくりと揺れていた。この感じは東日本大震災のときに似ている。あの時もゆらゆらと長時間揺れていた。震源地が遠い地震の特徴なんだろう。
それで目が覚めてしまいラジオをつけて状況を知りネットをつけて情報収集したり、友だちにメールしたりした。ほどほどで寝てしまったが。

そして今朝、10時ごろに目を覚ましたらラジオがいま起きた地震のニュースを伝えている。9時51分に震度6弱。最初は余震ということだったが、こんな記事が・・・
「気象庁は、マグニチュードが大きい16日午前1時25分の地震を「本震」と位置づけ、熊本地震をその「前震」に格下げした。」
記事は「これ以上の本震が今後あるかもしれない」と続いている。

お話会 山田真さんの声を聞く〜水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど〜

正確には『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く〜水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』が今日27日に京都上京区の古書店カライモブックスであった。京都在住のヴィク・ファン・クラブ(VFC)会員のYさんを誘ったのだが、とても喜んでもらえたので本当によかった。

山田真さんはわがVFCの会員である。お医者さんで活動家の上に翻訳ミステリファンという人は滅多にいないと思う。ときどき読んだばかりのミステリの紹介・感想を書いてくださるのを会報に載せている。好きな探偵とか警察官とかの好みがわたしとはちょっと違うが、たまに合致することがあるとうれしくなる。ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー刑事とかね。

今日は水俣・森永ミルク中毒などの公害問題の経験したことと、いまの福島の原発の問題について、現場での経験や現状について話された。
いま福島では「放射能が不安だ」と口に出せば「福島の復興を妨げる非県民」といわれてしまう情況だそうだ。
つづいて不登校のことになると当事者たちはすごく真剣に話し質問した。その返事のお母さんがたの肩の荷がおりる山田さんの言葉に、わたしはうなった。不登校というと学校に行きさえすればそれで問題は解決するみたいに思っていたわけではないが、すぱっと不登校を否定しない意見を聞くと励まされる。

砂漠の中のオアシスのようなカライモブックスの午後だった。終わっても山田さんを囲んだり、お母さんどうしで立ち話をしたり、活動のビラ配りをするひともおり、なかなか終わらなかったが、暗くなるころYさんの車で京都駅まで送ってもらった。車に乗る前に昔ながらの喫茶店でカレーとコーヒーと楽しい会話の時間がめちゃ楽しかった。

行きしはJR京都駅から市バスで30分、西本願寺、二条城の側を通って一條戻橋・安倍晴明神社の側を通って天神公園前下車、10分ほど歩いて到着。方向音痴なんで余分なことをしないように、ネットで調べて周到な行動表(?)をつくって行ったから無駄なく到着した。
(『水俣から福島へー公害の経験を共有するー』山田 真 岩波書店 1900円+税)

大阪大空襲から71年

ツイッターをやってるおかげで日々いろんなツイートを読み世の中の動きについていけてる、と思う。
先日から東京大空襲についてのツイートをたくさん読んだ。それで、ああそうだった、大阪はちょっと後だったな、13日の夜だったと思い出した。毎年思い出しはするのだが、今年は早めだったから、戦災を生き抜いて長生きした両親を思い出したり、まあまあ元気な姉と子ども時代のことを話し合ったりした。

大空襲のときは姉は知り合いのところへ、わたしは母の実家に預けられていたので、二人とも戦災体験はない。二人ともぐずだから足手まといになって全員アウトだったかも。
そういえば下の兄は山梨県の甲府にいて爆撃にあい必死で自転車で逃げたという。てんでんばらばらに生きてたんやなあ。全員生きて敗戦を迎えたが、全員が揃って暮らすようになったのはだいぶ先のことだった。

71年前のこの時間、この辺りはB29に爆撃され人々は逃げ惑っていたんやな。
父は焼夷弾で足を怪我したのでその辺にあったリヤカーに乗せ、母と兄が引っ張って歩いた。東へまっすぐ末吉橋へ出てから北方向に向かい、夜が明けてから十三大橋を渡って、三国大橋を渡って知り合いのいる豊中市に向かった。途中の道の端で持って出た米を炊いて食べたら砂でじゃりじゃりだったとか。

今夜もニコニコ動画『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』

ここ数日は日記のアップが遅くなっている日が多い。10時から12時までの番組「ニコニコドキュメンタリー」を見てから書いていた。詳しくは【ドキュメンタリーを中心とした世界の映像作品を配信する「ニコニコドキュメンタリー」がスタート。第1弾として、日韓問題を描いたオリジナル作品を配信する。】というもの。
わたしはニコニコ動画には関心がなかったし、こういう番組が始まるのも知らなかったが、相方が突然「これから見るけど・・・」というのでなにも知らずに見た。【第1弾、BBCワールドワイドから推薦を受けたイギリスの制作会社 BLAKEWAY が国際的な第三者の視点から「日韓問題」を描いたオリジナルドキュメンタリー。『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』】がすごく良かった。そのあとの討論も勉強になった。
まだ続く番組だけど、今日は「朴槿令(パク・クンリョン)氏インタビュー 聞き手:津田大介」だった。
昨日の『「ヘイトスピーチ」を考えよう』には作家の中沢けいさんが出ておられて、理路整然で元気いっぱいの発言に驚いた。
7日に『タイズ・ザット・バインド〜ジャパン・アンド・コリア〜』のエピソード2があって、8日は討論がある。両方とも楽しみだ。

ベ平連のころ

アメリカ軍の北ベトナムへの〈北爆〉に対する抗議活動市民団体「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(ベ平連)は1965年に発足した。のちに「ベトナムに平和を!市民連合」に名称変更。
なんで知ったのかどう連絡したのか覚えてないが、月に一度くらい出ていた通信を購読して、大阪でベ平連主催の講演会があるときは行っていた。朝までの徹夜集会というのに行って朝帰りして近所の主婦に嘲るような顔をされたのを覚えている。

65年の9月にサルトルとヴォーボワールが来日し、ベ平連主催の講演会があるというので頑張って入場券を購入し東京へ行った。そのころはヴォーボワールに夢中だった。講演会が終わって外へ出るとお二人と鶴見良行さんたちがおられたのをうらやましく見ていた。

だいぶ経ってからだと思うが、「関西ベ平連」というのが発足するというので、喜んでその会に行ったが、労働組合ぽい匂いを感じて遠ざかった。
その後は新聞を送ってもらいカンパするだけになった。

のちのち、阪神大震災のボランティアをしているときの会合で小田実さんが側におられてお互いに顔を見たのだけれどなにも言わずだった。それからしばらくして小田さんは亡くなられた。
吉川勇一さんが亡くなり、鶴見俊輔さんが亡くなって、ベ平連の中心を担った方々がいなくなっていく。ベ平連を実際に知っている人も少なくなっただろうから、できるだけ当時を思い出して書いておこう。