薪でご飯を炊いていた(わたしの戦争体験記 87)

いまや笑い話であるけれど、戦後から何年かわが家は薪でご飯を炊いていた。もちろん近所中がそうだった。煙突のついたかまどがあって、新聞紙を丸めて火をつけ細く割った薪を燃やす。そのあとは太い薪をずんずん燃やしてご飯を炊く。
かまどの他に鉄のガスコンロが一つ、七輪が一つあって、それで9人の3食をまかなう。味噌汁やカレーが大鍋で出てきてた。
親が留守の時はお腹が空いたらフライパンを七輪にのせて「おやき」を焼いた。小麦粉を水でとき砂糖があれば上等だった。

まあ、いまも同じようなものか。ガスレンジとオーブントースターがあるから一応文化的笑。電子レンジは使いません。食器洗い機がなくてお湯を流して洗っている。

台所の水道がうまく床上までこなかったので入り口横のかめに溜まるようにし、ひしゃくで汲み出していた。父がお風呂が好きで大きなタライを手に入れてきたので、場所を作ってタライで湯あみした。工夫したらなんでもできると自慢していた父と行水の後始末に追われる母。