台風21号は月曜未明に東海地方上陸へ

今年も何度か台風の予報があったが、いざとなると大阪は外れで雨も風もたいしたことなく、なーんや今回も来なんだなあと思う。がっかりするわけではないが、予報を信じてるものだから肩透かしやなと。

今回の台風21号はほんまにくるような気がするが、くるまでが長い。台風と関係なく秋の長雨で洗濯物が部屋にぶら下がっているし、ベランダに干したのは干したときの状態でぶら下がっている。さっきいよいよ風が出てきそうと小物を取り入れて暖房の風が当たるところに移動させた。

台風がいざくるとなっても、窓をしっかり閉めベランダを片付けただけで他にすることがない。昔は台風がくるというと非常用のリュックを用意して、お風呂に水を張ったものだが・・・。いまもリュックはそのままあるし、懐中電灯、スニーカーが枕元にある。
そうそう、昨日はコンビニへ行って非常食用のカップ麺を2つ買ってきた。ここで「(笑)」と入れようとしたらすごい風の音。笑っていてええんか。

窓を開けて外を見たら自動車が全然通ってない。雨は激しいが台風という感じではない。街路樹の銀杏の木が揺れているけどたいした揺れではない。
いま23時前、台風はこれからかな。
23時10分、あれ、いますごい風の音がした。こうやって朝までかな。またすごい音がした!

熟した柿がうまく秋深まる

雨が降り続いている。今朝もすこし降っていたが姉の家に出かけた。最近は雨の日でも姉は「悪いなあ、ごめんね」という感じで、しんどいやろから来なくていいとかいわなくなった。今週は姪が行けないそうなので、わたしは今日行っとかないと。ということで数日分のおかずとおやつを買ってタクシー利用で行った。たいしたことしてないのに疲れてかなわん。こんちはーと家へ上がるなり、ああ、しんどー。

帰りに乗ったタクシーに「東へ行って長柄橋を渡ってから梅田へ行ってください」と頼んだ。ゆうべ寝るときにふと気がついたのだが、淀川を渡るのに新御堂とか淀川大橋しか通っていない。いちど長柄橋を渡ってみたいなと思ったので、さっそくやってみたわけ。長柄橋から眺める淀川はひなびた感じがした。もちょっと時間があって気持ちに余裕があるとき来てみたい。そしてもっと明るい時間に。

帰ってお風呂に入って晩ご飯(赤ワイン、イカのトマト煮、野菜たっぷりオムレツ、チーズとピクルス盛り合わせ、トースト、紅茶)食べていい気分になったらデザートに熟した柿が出てきた。ずるっと果肉がたれて口中に。うまーいのひとこと。秋深まりぬ。

堀江からアメリカ村へ カズオ・イシグロさんがノーベル賞

「誕生日にご飯を食べに行かなかったなあ、明日アブサンに行こうか」と相方が言い出した。この前の日曜日に大阪南港でアブサン主催の野外パーティがあって楽しかったそうだ。そのお裾分けと称して今日も飲もうという魂胆が見えてるけど(笑)、姉のところでお手伝いさんをやったあとの気晴らしになるかと同行した。ジョローナで待ち合わせている間に姉の誕生日プレゼントに秋らしいスカーフを買った。

エスニックな料理をいろいろ頼んでワインを飲み、お店の人と楽しい会話をしてから、アメリカ村のバーへ行った。信じられないような凝ったテーブルと椅子に驚いた。趣味でこういうものを集めて使うことに喜びを感じている人がいるんだ。お酒の味が引き立つ。一杯だけ飲んでタクシーで帰宅。タクシー待ちの三角公園付近でちょっとおぼろな月を見た。

今夜は始まりが早かったから終わり時間も早くて、帰ってからじゅうぶんツイッターで楽しんだ。カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞をもらったニュースがあった。前からなぜ彼の名前が話題に上がってこないか不思議に思っていたからうれしい。

大型の台風18号

3連休中に台風がくると早くから知っていた。大阪は台風がくるといっても最近は全然こないから、今回も来ないやろと思うし、いやいや今度こそくるでと思うし。さいわい出かけるところはないから気にすることはない。
最近の大阪は台風がくるのを早くからニュースで知り、心の準備をしているとスカで終わることが多い。だからこそ、いつも今度こそほんまに来るでと思うのである。さすがに風呂に水を張っておくことまではしないが。非常用の食べ物はいつも用意してあるし、枕元には靴と懐中電灯が置いてある。リュックサックも置いてある。

晩ご飯をすませて片付けの途中から雨音がしてきた。そうそう、物干し竿が1本あるのを片付けようと昨日話してたのに忘れてた。ベランダを点検して飛ぶものがないのを確かめてきつく戸を閉めた。

9時に姉に電話したら、うっとおしいけど一昨日から雨戸を全部閉めてあるからもう寝るわといってた。あんたもはよ寝えやとのことだが、そうはいかん。わたしが寝るのは台風がどんなふうに去っていくか点検してから。

あんなに暑かったのに

おととい昨日は昼間は涼しくて快適で夜は寒いくらいだった。昨夜はTシャツで出かけたら帰り道が少し寒かった。アブサンで窓際に座ったら道路に面した窓が大きく開いており、冷たい風が入ってきてた。季節の移り変わりがすごくはっきりしている。

今日も窓を開け放していたら北風が吹き抜ける。快適なようで少し寒いような午後だった。昼過ぎに干した洗濯物が夕方乾いていない。先日まではすっきりと乾いていたのに、それだけ午後からの日差しがにぶってきてる。冬になるとベランダで夜干して翌日夕方まで置いておくとか。洗濯物に限ってはきっぱり乾く真夏がいちばんいい。もうちょっとしたら取り入れたのを部屋干しする日々がくる。

天気予報を見ていたら関西全域に「注意報」が出ている。夏の間は「雷注意報」だったが、今日は「乾燥注意報」だ。季節が移り変わってるなあ。
昨夜は蚊取り線香をつけ忘れて寝たが蚊は出なかったようだ。今夜はちゃんと忘れないでつけない(笑)。

大阪駅ステーションシネマで『鉄路の斗い』を見た

最近買い物するのに大阪駅のイカリスーパーへ行くことが多い。明るくて美味しいものが揃っていて買いやすい。駅の建物に入って歩いているとふと思い出すときがある。イカリの隣りには明るいティールームがあって賑わっている。このあたりが暗かったことを思い出すこともない。北側は相変わらずの高架下だが昔とはずいぶん違って明るくなった。
『鉄路の斗い』は石原裕次郎主演作と二本立てだった。ということで、裕次郎の映画のリストをみたらすぐにわかった。

かたや、ルネ・クレマン監督、アンリ・アルカン撮影のモノクロ映画、フランスの鉄道労働者のナチス抵抗を描いた作品である。この映画のことを知ってから絶対見たいと思っていた。大阪駅構内だからどこにでも行くぞというほどの決意ではなかったけど。でも誘う友だちがいなかったのだから孤独やったんやな。
労働者たちが処刑されるときに小さな虫が壁に止り、羽のゆらめきを一人の労働者がじっと眺めていて、すぐに銃の音が響き彼は倒れる。忘れられないシーンだ。

そうだ、裕次郎はたしかドラマーの役だったと思い出して調べたら『嵐を呼ぶ男』で、封切りは昭和32年である。多分、ステーションシネマは二番館だろうからその翌年くらいかな。記憶をたどると、一人で行き、はじめて入る映画館であったこと、トイレの匂いが漂っていたことくらいしか思い出せない。

梅田日活のころ

先日タクシーの運転手さんにイナロクのことを教えてもらった。国道176号線がイナロクか〜と感心したらいろんな知識を付け加えてくれた。イナロクが梅田新道からはじまっているとは知らなかった。梅田新道とは懐かしい。

この日記にしょっちゅう出てくる姉より2歳下、わたしより10年上の亡き姉が小中学時代のわたしにとって憧れだったことを書いておこうとさっきご飯を食べながら思った。断片を相方にしゃべってたらいろいろ思い出した。書いているうちに思いが少しはまとまるかなあ。

二番目の姉はよく遊んだ人だった。タイピストをしている会社をひけると、たいてい遊びにいく。映画、ダンス、そしてどこかの喫茶店のようなところから帰ると寝ている妹にも聞こえるように話すのだった。聞きながらわたしも姉みたいな遊び人になろうと思った(笑)。
父が買う推理雑誌『宝石』、映画は『スクリーン』『映画の友』、姉が買うのはいまなら『アンアン』『ポパイ』のようなものか『スタイル』だった。たまに『新女苑』も。兄が買う『改造』もあった。『世界』も出てたかも。わたしはもちろん『ひまわり』。あれほど雑誌が輝いていた時期はなかったと思う。

姉は大阪駅からまっすぐのけっこう広い通りを「うめしん」といっていた。喫茶店、洋服屋があったように記憶する。
それから10年くらい経ち、ハタチくらいになったころ、その「うめしん」でわたしも遊ぶようになった。コーラスの友人の両親が相次いで亡くなり、遺産に日活の株があったそうで、映画がタダで見られる。毎週のように二人で出かけた。小林旭と宍戸錠がわたしのお目当て。もうちょっと上品なのを見たいと彼女。でも日活映画やもんと2年くらいは通ったかな。帰りにすぐそばのお好み焼き屋に寄るのが楽しみだった。いま思うと北新地の流れだったのか、お座敷になった店で、出来上がりにマヨネーズをかけまわしてくれた。わたしらはいっちょまえの遊び人のような顔をして食べてた。

過ぎゆきつつある夏

歳をとると月日の経つのが早くなる。なんべんも書いてるけど、これほんま。
この夏も梅雨がすんで天神祭がすんで、明日のつぎの日曜日はお盆休みの一日である。おお忙しい。夏の集まりで交換するプレゼントを買いに行かなきゃ。姉と姪とその娘、女3人に気に入られるようなプレゼント、2・3年前までは心斎橋大丸のソニーストアにおしゃれなものがあって便利だったのだが、大丸の建て替え工事がはじまり閉店した。それ以来、阪神、阪急、東急ハンズ、堀江のジョローナで買っている。今回も姪親子のものはもう買ってある。姉用を早く探さねば。欲しいものの単価が姉妹で違うからなんぎである。毎年スカーフというのもね(笑)。数日中に梅田へ行こう。

今日は淀川花火の日だった。音だけは景気良く聞こえていたが、まるっきり見えず。光だけはピカピカ見えたけど、光のもとは見えなかった。毎年いうてます。

お盆のパーティが終わればすぐに秋がくる。姉の庭の萩の枝がすごく伸びている。お盆にはつぼみがついているかも。一年経つのが早い。

知らなかったよ、イナロク

わたしの行動範囲はとても狭くてほとんど歩きですむ。歩く以外は地下鉄とバスで足りていた。最近は高齢者と認められて「敬老優待乗車券」を使っている。ところが膝の具合がもひとつで階段の上り下りと長時間歩くのが厄介になり、最近はタクシーを利用することが多くなった。大阪市内をちょこっと行き来するだけだからお金はしれている。姉の家に行くときの交通費は支給されてるし。
ぱっぱと流しの車を止めたりと、なかなかすばしこい都会っ子やなあと思う。そして、運転手さんとの会話がおもしろい。

今日は姉の家からの帰りにタクシーを止めた。道順を説明するとき、「イナロク通りまひょか」と聞かれた。イナロクはなにと尋ねたら、国道176号線のことやった。梅田新道交差点を起点として福知山に至る道路のことだって。大阪の北摂、兵庫県は丹波や篠山、京都府は宮津、福知山と運転手さんはイナロクが通過する町を鮮やかに説明してくれた。実はわたしは176号線を先日法事で姪の家に行くのにいままで電車だったのでタクシーで説明するために地図を調べて知ったんだった。
30年間を事故なしできたという運転手さんはこの時間のここは混んでるとか把握していて、渋滞全然なしでしかも近道を通って運んでくれた。

天神祭の思い出

こどものときの夏祭りの日は母親が浴衣でなく絽の着物を着せてくれた。薄い水色の地色に白と赤で柄が描かれていてすごく好きだった。いまもその薄い色合いを覚えている。手にはうちわでなく扇子を持たせてくれた。いまは着物は着ないけど扇子は好き。持ち歩いていて使うことはないけど、秋草模様の扇子をバッグに入れている。扇子には好きな短歌を書いてあるが字が下手なので人さまに見せられない。

お祭りが大好きで豊中市に住んでいたときだって、阪急電車に乗っていまは亡き姉に天神祭に連れて行ってもらった。氷スイカをおごってもらったのも懐かしい思い出だ。
それから10数年経って会社勤めをするようになったがお祭りはやっぱり行かなきゃ。浴衣と下駄をバッグにいれて出勤し、帰るときに会社に住んでいる管理人の奥さんに浴衣を着せてもらった。そしてコーラスや学習会で一緒だった男女数人連れ立って天神祭に行った。わたしが自分で彼氏と思ってた彼は、おとなしい女子と一緒に歩いている。そのとき彼らは仲良くなったみたいでその後結婚し、わたしはあっというまに失恋していた。
ここに住み始めたころは花火が見えたが、10年くらい前からは音だけ聞こえて見えなくなった。いまは音も聞こえない。ラジオのニュースで天神祭による交通規制を告知しているのを聞きながら、今日は天神祭か〜というてるだけである。
熱いコーヒーを淹れて飲もうかな。冷蔵庫にチョコがあるし、本棚にはワイルドターキーがある。