昨日は良い天気、今日はヘンな天気

お昼頃起きたら雨が降っていた。風も強い。昨日はあんなに良い天気だったのに今日は荒天ですなと洗濯物を引き寄せた。もう濡れるものは濡れてたけど。
朝食はサンドイッチとスープとサラダ。
昨夜はケアマネ事務所の帰りに阪急オアシスに寄って出来合いのおかずをいろいろと買った。赤ワインがあるので、チーズ、サラダ、揚げ物いろいろ。うちとしてはお金がかかった夕食だった。お腹いっぱいで寝たら寝つきが悪かった。

昨日はとても良い天気で、近所の野菜売りさんも「今日は暖かいですね」と西日を浴びながらいっていた。西区役所の近くにあるお店を金曜日の午後だけ借りて八百屋を開いている。半年前くらいに気がついて買いに行くようになった。
昨日は大きな「柿」という文字を風流な古書体で書いた袋に入れてある柿が置いてあったのでふたつ買った。さっき食べたら秋の柿のようにはうまくないが、でも柿は柿だからありがたく食べた。冷たいところに保存してあったのかな。街で暮らすといろいろあって楽しい。

関西弁と関東なまり(わたしの戦争体験記 78)

わたしは東京都品川区で1934年に生まれた。5歳で大阪新町に移転したときは近所の子たちに東京弁をからかわれ、必死で大阪弁をしゃべるように努力した。国民学校(小学校)に行く頃は大阪の子として大阪弁を使うようになっていたが、家では父親が東京弁を使い、母親は東京弁と山梨弁を交えた大阪弁を使っていた。姉兄たちは外では大阪弁、家では東京弁も交えて使っていた。
わたしは国語の時間に教科書を読むとき関東なまりで読むので、先生にうまい朗読とほめられるわ、みんなに感心されるわで得意になっていた。

山梨県へ疎開したときは、最初に大阪弁を笑われてから気を付けて東京弁を使うようにしたので違和感が少なかった。それも山梨弁よりも正しい標準語という感じで読むので国語の時間はクラスの華だった。6年生になると講堂で本の朗読をさせられたりした。でも勉強のできる子たちのほうが結局は勝ちで、勉強のできない子たちに慰められたりした。

6年生の夏に大阪にもどると国語の時間は先生に指名されて朗読することが多かった。クラスで勉強のできる子たちのグループがあった。わたしはできない子たちとの付き合いが多かったが、少しファンがついて投票などあるとけっこう人気があった。

わりと最近のことだが、初対面の人に「スギヤさんは関東出身?」と聞かれた。大阪弁でしゃべっていてもどこかに関東なまりが出るらしい。107歳で亡くなった父は死ぬまで東京弁だった。施設に入ったとき同室の人たちに影口をたたかれていたけど、気にせずに東京弁をとおしていた。

ひとりで留守番

こどものときから一人で留守番するのが好きだった。
戦後の住まいは辺境になったので昔のようにはいかないが、それでも「おおい、出かけるぞ」と父が叫び、母と子供達はわーわーいいながらついていった。昼間だと阪急電車に乗って梅田へ出て、歩いて天六商店街へ行った。または市電か地下鉄で難波か日本橋へ出て新世界へ行った。けっこう遠いのに平気で出かけたものだ。父の入るところは古本屋か古レコード屋に決まっていた。たまに古着屋に入り古着を買ってくれることもあった。

夕方だと近くの商店街の古本屋か道路脇で商いしている古雑誌やぞっき本の店をのぞいた。裸電灯の下でミステリーを漁る楽しみを覚えた。「金魚のふん」といわれながら、兄弟姉妹は上から順にへばりついて歩いたものだ。
わたしはみんなでわいわいするのも好きだったが、ひとりで留守番するのが好きだった。用事を言いつけられることもなく、マイペースでおやつをつくって食べた。まだガスがきてなかったから、七輪に火を起こしてフライパンをのせ、メリケン粉を水で溶いて丸く焼く。卵と砂糖があれば上等だ。おもむろに食べて片付けて、それこそ何食わぬ顔をして鏡を見る(笑)。

「これはまだ早い」と父に読むのを止められている本を読むのも楽しみだった。座布団を2枚並べた上に平べったくなって本を読む。禁じられた遊びを楽しんだ。
みんなが帰ってくるころにはきちんと片付け何食わぬ顔でお土産ちょうだいと手を出した。貧乏だったけど明るい我が家だった。
いまもひとりで留守番するのが好きだ。

パプリカ食堂 Veganでおいしいパスタ

いつも野菜を買いに行く野菜屋さんカリスファームはパプリカ食堂のひさしを借りて営業していて、うちは無農薬の野菜を月・木曜日に買いに行っている。いつもパプリカ食堂のヴィーガン料理ってどんなんやろといいながらまだ食べてなかった。
数日前から今度の火曜日に四ツ橋へ出た帰りに寄ろうと決めて楽しみにしていた。郵便局や銀行に寄って用事を片付け、ユニクロでTシャツとセーターを買って夕方新町1丁目のお店へ。店の前で野菜を買うときしか行ってないので、今日は新鮮な気分。
木の香りのする店内へ案内してもらって、まずトイレを借りた。車椅子では前からの風があたって冷えるのだ。カッコもクソもない(笑)。

メニューを見るとパスタがいろいろあってとまどったが、相方がうまく説明をききながら注文して、パスタとサラダとワインが出てきた。
家では真似できないパスタだといいながら食べた。ワインもうまくて、わたしはふだんあんまり飲まないのだが、ついコップの半分くらいを飲んでしまった。酔ったみたいで足がもつれ帰りに出口でどすんと尻餅をついた。相方とお店の人と外国人のお客さんが手を貸してくれてヒロイン立ち上がる(笑)。怪我はなし。

コーヒーとケーキをと思ったときはお腹いっぱいでコーヒーだけにしたんやけど、残念やった。ヴィーガンのケーキはどんなんやろ。たまごを使わないそうだがどんな味かな。次回が楽しみ。

あれはたしかジェーン台風だった

台風19号は明日12日の夕方から夜にかけて東海または関東に上陸する見込みとラジオでいっている。関西はそれるらしいが、大きな台風なので影響はあるだろう。
今日は夜になる前にと、干してある洗濯物を片付けて竿やハンガーなども外した。明日は洗濯を休む。

台風がくると思い出すのは、中学生のときか働き出して間も無くのときだったか、ジェーン台風が大阪をおそったときのこと。当時は台風にカタカナの名前がついていた。父親がカラミティジェーンかと喜んでいたのを思い出す。

父も兄たちも仕事や出先から帰ってこなかったので、母とわたしと弟と妹が台風が通り過ぎるのを家で待っていた。急ごしらえの風呂場の屋根のブリキ板がはがれて飛んでいったのを弟が追いかけて拾ってきた。さすが男の子と母は大喜び。風が吹き荒れているとき、「なんまいだ、なんまいだ」と座布団を被っていた母(笑)。
わたしは「いざ!」というときのために、登山用アノラックを着て待機していたが、出番はなかった。

たしかその台風に、最寄の阪急電車「神崎川駅」に渡る橋桁が破壊された。それから長いこと電車に乗るために渡し船で川を渡っていた。

わたしが人に笑われようとも、台風に備えて早めに食量や懐中電灯やろうそくを用意し、風呂に水を溜めておくのはそのころの台風体験によるものである。

近場ぶらぶら

もうすぐお彼岸だ。ここ数年ずっとお彼岸に彼岸花を見るのが楽しみ。うちの近所の、つるかめさんに行く途中に毎年彼岸花が咲く場所がある。歩道から1メートルほど車道に突き出た当初は街路樹が植えてあったところ。いつのまにか木が枯れて片付けられ、代わりの木は植えられず、雑草園になっていた。数年前にそこに1本彼岸花がすらりと伸びて咲いた。それから毎年花の数が増えている。ふだんは見向きもしないところだが、秋のお彼岸近くなるとがぜん気になる。先週つるかめさんに「来週は咲くで」といった。今日つるかめさんに行くのに相方とそこを通ったら1本咲いて蕾をつけた茎が10本以上伸びていた。

近くの食堂で働いている女性が「お花きれいですね」と声をかけてきた。「毎年楽しみにしてますねん」「だれか世話をしているのかしら」「勝手に生えて咲いているんですよ」とやりとり。
帰りにまた寄ってみたら、彼岸花以外の雑草が抜いて横においてあった。さっきの女性がやったのかな。来週通るのが楽しみ〜。

つるかめさんが済んでから迎えに来た相方がお茶しようと1丁目方面へ。オリックス劇場前の公園横のライオンキッチンで野菜を買った。ここは「道の駅」みたいにブリキ缶にお金を入れて野菜を勝手に持っていく。公園横の道は東西に風が通っておそろしいほど。帽子が飛ばされないようにおさえていた。

お茶は最近お気に入りの上島珈琲店へ行くことに。1本南の道へ出る前に相方が「ここや」というので見たら雑貨店のドアに人形劇団クラルテの『女殺油地獄』(おんなころし あぶらのじごく)のポスターが貼ってあった。この前見てすごいというてたやつがこれや。
すさまじい河内屋与兵衛の上半身の絵姿にくらくら。お店の人が出てきはって、近松門左衛門、文楽、歌舞伎、クラルテの話を熱を込めてしてくれた。「クラルテ」懐かしいなあ、いまもやってはるんや。

『女殺油地獄』の絵と説明してくださった老婦人とに丁寧にお別れして上島珈琲店へ。コーヒーとケーキを頼んで大きなソファに席を取った。
ここは外にいるとジャズが大きな音で聞こえるんやけど、中に入ると音無しなのがよい。
トイレがビルのトイレを使うようになっていて、知らずに直接トイレに行くとドアが開かない。カウンターで一声かけると遠隔操作で開けてくれる仕掛けになっている。わたしは知らずにそろっとトイレに行ったところ閉まっていて混乱した。すぐ後に来た女性が戻って聞いたら開けてくれてやれやれ。

とてもおもろい週の半ばの寄り道だった。
帰りは半袖では寒いくらいだった。
彼岸花は咲いてるし、秋やなあ。

立秋はとうに過ぎた

意識していない間に今年の立秋(8月8日)は過ぎていた。
当日記に立秋前日の7日「夏負けしてられへん」と書き、翌8日(立秋当日)に「水飲んで夏バテから回復」と書いた。2日おいて11日の冒頭は「暑い、暑い。ああ、暑い。」である。それから台風がゆっくりときた。話を変えようと思ったわけでないが、ここで自然に児童書『家なき子』とソウルフード『被差別の食卓』が入って、どら焼きと魚の話。
そして、おとといにはついに「暑さに立ち向かわず」となった。

今日も暑かったが、暑さの質が台風前と全然違う。なんとも言えぬ湿気がある。
昨夜は洗濯物をベランダに干したのだが、そのままにして夕方取り入れようとしたらまだ濡れていた。薄い木綿の夏パジャマが乾いていないのでショックだ。ちょっと押し込んで吊っていたからなあと理由をつけたが、昨日は同じ状態で乾いていた。
この湿度がこわい。

台風10号は「ゆっくり」「大型」「強い勢力」

今日は8月12日月曜日、いま夜の8時、ネットニュースを見たらタイトルに並べた言葉が出てきた。次には「台風10号 超大型になりました」というタイトル。ほんまかいな。えらいこっちゃ。

さっき他のニュースを見ていた相方が「ガムテープこうてくるわ」と立ち上がった。「ガムテープようけあるやん」といったら、「あれは去年の残りや、去年慌てて買いにいったら紙のテープしかなかったんや。丈夫なやつを買ってくる」「ついでに非常用にラーメン」「よっしゃ〜」
その他いろいろ買ってきて我が家の台風10号対策完了。
懐中電灯、ロウソクもマッチもある。水も用意してある。当日はお風呂に水を溜めておくのを忘れずに。

ここまで書いたまま晩ご飯になって、ごちゃごちゃしゃべって、いま何時? 10時55分や。明日は相方が早く出かけるので今日は早寝だ。これアップして寝よう。

雨雲接近

部屋でぐじゃぐじゃしていた土曜日。なんか鬱陶しくてヴィク・ファン・クラブの用事も手につかず。お菓子を食べたり『週刊現代』を読んだりして一日を過ごした。
こんなときこそと古い文庫本、谷崎潤一郎の『陰翳礼讚』を出したが、紙が変色している上に文字が細かくて老眼が進んでいるわたしには読めない。新本で買い直すか、青空文庫に入っているか探そう。その前にもう一度『吉野葛』を読むべし。新しい『細雪』3冊があるからこっちを先に読むかな。

いよいよ本当の梅雨に入ったようだ。だがいままでのところ騒いでいるわりに雨が降ってない。昨日も今日も薄日が差し洗濯ができて生干しでも干せたからよかった。あとは部屋干ししとけば順ぐりに乾いていくだろう。

今日は土曜日で明日は日曜日。あったりまえか(笑)。
今夜はまだ降ってないけど、雨雲が発生しているらしいから夜中に降るんだろう。
ウキペディアで見たら「梅雨」という言葉がいろいろある。まず「梅雨入り」「梅雨開け」そして「梅雨寒」「菜種梅雨」、あれ、こんなもんか。
いまアイホンに「西区に雨雲接近」と知らせが入った。この知らせは昨日もおとといも入ったが結局はたいして降らず。今日こそ当たって大雨になるかもね。窓を閉めて寝なくちゃ。蚊取り線香も忘れずつけて。

台風3号

ここ数日ニュースや天気予報で予告があり今日発表された熱帯低気圧が台風になって西日本へ向かうというニュース。わたしは台風は台風として生まれるものと思ってたからおおいに戸惑った。知らなんだわ、熱帯低気圧が台風の元なんて。こんなこと知らなかったのはわたしぐらいだろうな。話のネタになると思って笑っているが、バカにされるだけ?(笑)。

去年の大阪を襲った台風はすごかった。ガラス窓にダンボールを貼ってガムテープでべたべたと押さえて、それでもガタつくのは腕で押さえてた。外はすごい風でいろんなものが飛び交っていた。近くのマンションの8階の窓に大きなものが飛んできて部屋の中に飛び込み、住人の女性に当たって彼女は亡くなったとニュースがあった。わたしは飛んで入ってくるものもなく無事だったが、生きているといろんな災厄が襲ってくるものだ。
今年の台風はどうなんだろう。去年に学んで早めに対策しておかねば。