竹槍で抵抗(わたしの戦争体験記 89)

戦争も終わりに差し掛かった頃、わたしの大阪の家は爆撃にやられ、母と幼いのが2人山梨へ逃げてきた。新聞ラジオでは相変わらず勇ましい報道があるが、学校にはどこか諦めと悲壮感が漂っていた。
昼休みに校庭にいたら、女の先生が「明日の体育は山へ行って剣道しようかな。竹槍で最後までアメリカ兵に立ちむかう練習しないとね」といった。わたしは震え上がった。竹の刀を持って「えいやっ」と男子相手にやるなんて。女子相手でもあきません。わたしを見て先生は苦笑いしたが、目つきは笑ってなかった。
他に男先生がいたが誰もなにもいわない。わたしは「撃ちてし止まむ」という言葉を思い出して下を向いていた。

翌日、どんなことをさせられるのかドキドキしながら学校へ行ったら、全然体操のことも試合のことも誰も口にしなかった。あれっ、やらないのかとほっとした。いまもほっとしている。わたしのことだから、まともに竹刀をえいやっとやって自分が怪我したり笑。
もしかして、女先生は今になって剣道の練習することもないと上からいわれたのかもしれない。敗色濃い日本で、最後は竹槍で戦う練習なんてと校長先生が思ったのかも。大々的に「次の授業でやります」といっていたら話は別でやらないといけないが、どこか個人的な発言だったから受け流してよかったのかも。先生も教える相手がわたしのようなたよりない女子じゃかわいそうだ。