1958年の北八ヶ岳と日本シリーズ

1958年の秋、若かりしわたしはちっこいのにいっぱし登山家気取りで日曜日ごとに六甲山を歩いて足を鍛えていた。女子ばかりで北八ヶ岳に登ろうと話が決まり、それぞれ受け持ちを決めて出発した。背が低いから国鉄(いまのJR)の改札をリュック担いで通ると引っかかるので下ろして両手で持って通った。リュックを網棚にあげるにはポケットから新聞紙をさっと出して座席に敷き、ぱっと乗って網棚に置いた。こういうことを迅速にできることが自慢だった(笑)。遠くの山に登る前に六甲の次には比良山にも登っていたから国鉄の改札も荷物置きも修行済み(笑)。

コースとか忘れてしまったが、低い山をひたすら歩いた。ナナカマドの大きな木を生まれて初めて見た。山小屋のおじさんに採ってきたキノコがほとんど毒キノコだと教えてもらった。
途中でみんなと別れて最後の一日は一人でどこへ行ったのか忘れたが単独行した。ほんまに怖いもの知らずで生意気だった。

一人歩きの途中の峠で登山者が持っていたラジオが日本シリーズをやっていて、三原監督が率いる西鉄ライオンズがその場で優勝した。その瞬間ラジオを持ってた人と喜び合った。
日本シリーズがはじまると思い出すのが稲尾の連投と北八ヶ岳彷徨。