第20回大阪翻訳ミステリー読書会 『さむけ』ロス・マクドナルド著

早くから課題書が決まっていたのになかなか読めず、というより、読むべき本の中に混ぜて積んだままだったのをようやく読んだ。ロス・マクドナルドの本は70年代になってミステリー読者に返り咲いたころに読み出して夢中になったが、最終的にはたいしたファンではなくなっていた。輝かしくロバート・B・パーカーのスペンサーが出てきて、ジョセフ・ハンセンの調査員ブランドステッターやマイケル・ナーヴァのヘンリー・リオスなどゲイの探偵、そしてヴィクなど女性探偵たちの新鮮さに興味が移った。あちこちで書いたが、目下の興味は北欧の捜査官たちに向いている。

今夜の「第20回大阪翻訳ミステリー読書会」は20名の参加者が熱心に『さむけ』について語り、ロスマクについてそれぞれ感じたところから語っておもしろかった。ベテランの読み手の人を別にして、たいていは今回はじめて読んだ人なので感想も新鮮だ。その感想の裏打ちをするベテラン読者がいるのがいい構図だった。読書会の醍醐味を主催者は味わったと思う。

室生犀星『山吹』のふたり

道を歩いていているときにちょっと脇へ寄ってなんとなく空を眺める。青い空に白い雲が浮かんでいたらラッキー。運良く昼の月が見えたら気分がよい。雨雲が見えたり向こうのほうが曇ってきていると、雨になるから帰って洗濯物入れなくてはと気がせく。

夕方には月が見えないかなとぐるっと空を見渡す。天文の知識がまるでないから見えたらラッキーというだけだ。うちのベランダからは西から南方面と上空が見える。お月さんが西にあればいうことないけど、この半月ほど見えたことがない。時間をずらせば見えるだろうが、夕方から深夜にかけては全然見えない。寝坊だから家で明け方見るのは無理である。徹夜で遊んだ帰りに明け方の月を見るのが好きだが、この頃はそれがないので寂しいかぎりである。

月と木星がセットで見えてたときが懐かしい。あれは春か夏のことだったかな。
「月齢カレンダー」を見るのが好きだが、参照しようにも月が西の空に見えないのだからしょうがない。月にまつわる話をあれこれ読むばかり。俳句や和歌を読んで気持ちをうろうろさせる。

思いがたどるところは、室生犀星『山吹』。ふたたび会えた男女は都でいっしょに住むようになるが、おとこが病いの床につきさきが長くない。ふたりは月を眺めている。千年あとでも、ひとは月を見て語るのだろうか、とふたりは語り合う。
『山吹』の男女が語り合ったときから千年経っているかしらないけれど、いま、月を見て同じことを思ってますよとあのふたりに伝えたい。

ディケンズ『荒涼館』をまた読んでいる

押入れに積んである本を入れた段ボール箱を片付けるためにぼちぼち出している。14箱目を開けたらディケンズと池波正太郎が入っていた。それは数日前のことだったが、『荒涼館』の表紙を見たら辛抱できない。さっそく1〜4巻あるのを読み出した。1冊目のはじめと4冊目の終わりを懐かしく読んだ。好きなところはよく覚えていてもう一度楽しむ快感に酔った。いま2冊目を読み出すところ。うまくできたストーリーに引き込まれる。

いろんなお屋敷や上流家庭のそれぞれの台所事情を読むと、『高慢と偏見』だって裏側というか使用人側はこんなんやったのかとかいろいろ勉強になる。
そしてロンドン貧民街の貧しい人たちの暮らしや、上流中流からそこへたどり着いて貧しく暮らして死んでいった人の生涯の悲しさもある。

主人公エスタのまっすぐな気性と苦難から逃げない生き方が素晴らしい。子供のときから頼るものなく生きて、運良くというか、それしかない生活をするしかなくて、でも真面目な大人に好かれ支持される。ディケンズの女性主人公たちの中でいちばん好きだ。この調子で今回も2巻3巻を続けて読んでしまおう。

果物とお茶と『荒涼館』の午後

昨日の夜、押入れの本の入った段ボール箱の最後の5箱のうち大きな1個を開けたらディケンズと池波正太郎の文庫本がびっしり入っていた。この二人の本は処分できないなと部屋の奥に片付けた。今日はその中から『荒涼館』を探してエスターの純情にひたることにした。午後の楽しみ。わたしがディケンズの作品中もっとも好きなのがこの『荒涼館』である。

1989年に出版された本だが分厚くて4冊ある。お金がないしと躊躇しているうちに日にちが経った。忘れてしまったままだったが、読みたいと話したり書いたりしていたようで、数年前にイギリスに転居する人がディケンズの文庫本をタダでくれるという話が舞い込んだ。運賃だけで大量の文庫本をいただいて幸せ。もちろん『荒涼館』もあった。ものすごくうれしくてしゃべりまくり、書きまくって自慢してすぐに読み上げた。思ってたよりもずっとよかった。ちょっと『ジェーン・エア』に似ている。

主人公のエスターはまじめで誰からも好かれる少女であるが、大変な境遇の中でまともに生きようと努力し報われる。彼女は実はデッドロック準男爵夫人ホノリアの私生児であった。
物語の最後のほうで荒涼館の持ち主ジョン・ジャーンディスに荒涼館の主婦にならないかと結婚を申し込まれるが、エスターには愛する人ができてついにその人と結婚する。そして荒涼館の主婦になり、その後は幸福な毎日を送る。

梨とリンゴと柿、そしてコーヒーとビスケット。おやつと読書の午後は穏やかに暮れていった。

よしながふみ『きのう何食べた?』13巻

2007年から出版されているマンガをずっと最初からSさんにお借りして読んでいる。最初借りたのは07年よりあとだったと思う。最初に何冊かまとめて借りて彼女の在庫をすべて読んだ。それ以後は出版されるとすぐに彼女が買って読み、そのあとすぐに送ってくれてわたしが読む。

『きのう何食べた?』はゲイの男子二人の愛の生活物語である。このマンガで愛をかたちに表すものが史朗の作る料理である。二人がテーブルで夕食を食べながら今日一日のことや友だちや知り合いのことを話すシーンは激しいベッドシーンよりも穏やかで親密だ。

弁護士の筧史朗と美容師の矢吹賢治はいっしょに暮らしている。史朗41歳からはじまった物語だけど50歳を過ぎても相変わらず二人の愛の生活なのである。
二人とも客相手の仕事なので、いろんな職業の登場人物がいてそれぞれに物語があるのもいい。それに食べ物を絡めてうまいマンガだ。章ごとに料理の作り方があって楽しい。
(講談社 581円+税)

楽観の人

台風過ぎ去っての月曜日、結局昨夜は選挙結果も知りたいしと明け方まで起きていたので今日はゆっくり寝ていた。お昼前に明るく日が射しているのを見てあわてて洗濯した。夏なら夕方までに乾くが、いまの季節だからこのまま明日の午後までおいておく。次の洗濯物が山積みだ。夏物カーテンなどいろいろ洗い物があるので今週いっぱい洗濯に追われる見込み。今週はこれからずっと天気が良いらしいので助かる。

午後から明るい日差しの中で読書できていい日だった。読みかけの本や新刊書がいろいろ置いてあるのを片付けなければいけないが、昔のようにがむしゃらに読めないので困る。トシをとるっておそろしい。目は疲れるし、読んだ内容を覚えていられないし。ついには、なにを読んだか忘れてしまうかもしれない。ナンギなこっちゃである。でも、読みたい気持ち、読まなくっちゃという気持ちがあるから、読書については楽観的である。ミステリーもロマンスものも、何度も読む漱石や荷風も、ブロンテ姉妹も。買ったままの栗原康『伊藤野枝伝 村に火をつけ、白痴になれ』も「読まなきゃ本」の山に混じっている。
「死ぬまで本を読む」と楽観の人語りき(笑)。

本を減らす方法

一大決心をして本を捨てることにしたが、長い間に溜めたものだからなかなか減らない。部屋の隅にあった古い大きな本棚を引っ張り出して新しい台の上にのせたのが気に入って残した本を並べている。でもこれでは全然片付かない。整体院の先生に指摘されたけど、本の整理労働は膝にくる。ちょっと休んで落ち着いたらまた取り掛かろう。

そんなときにまた本を買ったし、訳者に新訳本を送っていただいたしで本が増えている。読むのは楽しいからやっぱり買うし、いただくのは喜んでいただく。

さっき新しい整理方法を考えた。
一度箱から出して本箱に並べる。数日後おもむろに「あったほうがいい」か考える。あったほうがいいのうち、まず大好きだったアラスカの女性探偵ケイトが活躍するシリーズの文庫本の1冊目「白い殺意」ともう1冊気に入っている本を残す。この方法でかなりの数の女性探偵物が整理できる。気に入っている本を探すのが一苦労だが。
これやってみると時間がかかるけど、納得できるような気がする。

雨の月曜日に読む、アーナルデュル・インドリダソン『湖の男』

雨の月曜日が憂鬱といっても20年以上通勤してないのでリアルではない。実際は起きてお風呂に入って出来上がっている昼ごはんを食べた。優雅〜なもんだ。そして一度も外に出ずに一日中パソコンと本で過ごした。はじめはパソコン前でツイッターを読んでぼちぼちとリツイート。リツイーターと自称しているが、フォロワーさんたちが勉強させてくれるのが有難い。自分は書くことがないので読むばかりなり。

読書はアーナルデュル・インドリダソン『湖の男』(東京創元社)の二度目。今日は感想を書こうと思っていたのだがまだ書けない。ばたばた読んだので消化不良なのだ。1970年代のアイスランドから東ドイツへ留学した若者たちを描いているのだが、話が現在になると、どの人物がどの学生だったかわからなくなる。自分の70年代を思い出したり。
二度目を読み終えたら整理できるだろう。
アーナルデュル・インドリダソンの4冊目の翻訳なのだが、4冊とも素晴らしい。なんと両方とも訳者が柳沢由美子さん。現在のミステリーの最高峰だと思う。亡くなったスウェーデンのヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー刑事についで本作のエーレンデュル刑事がわたしの尊敬する人。
夜になってからヴィク・ファン・クラブの会報づくりをやった。三分の一くらいまでできた。

本を読む、本を捨てる、本を買う

毎日本を捨てている。自分が持てる大きさと決めた小さい箱だけど、全部で18個あるのを毎日1箱は点検して仕分けしている。全部は無理だけど半分以上は捨てられるだろう。古い本って愛着があるだろうと思っていたが、全然そんなことはなくて、すいすい「捨てる本の箱」に移動している。内容を忘れているのはもう一度読もうと思うかなと考えたが、そんなことはなかった。サラ・パレツキー、ドロシー・L・セイヤーズさえ全部揃っていればいいじゃん、なのである。10数冊あるクレイグ・ライスはどないしょ。イアン・ランキンたくさんあるなあ。1冊ずつが厚すぎる。ポケミスのみ残そうか。こんな感じ。

おおかたの本を開いて飛ばし読みとかして思ったことは、ミステリーは旬の食べ物みたいということ。旬のとき読めばピンとくるし楽しいが、鮮度が落ちると楽しくなくなる。
いまは北欧ものがおもしろくて仕方がない。いま読んでいるアイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソンの『湖の男』(東京創元社)はいま現在面白い本である。さっき捨てた本だって買ったときは新鮮で面白かった。だから冷凍保存のように箱に入れて押入れに積んだのだ。
あっ、それは本の内容のせいだといってなくて、自分の感じ方のせいなんだけど。まあそのときはお金を払って買ったものだから、そのときの頭の栄養になり体が鼓舞されて元気になったんだわね。ということで後腐れなく捨てられる。そして新刊をまた買って楽しむ。でも、押入れには本は入れない。
今日も1冊アマゾンで買った。鹿島茂『オール・アバウト・セックス』(文春文庫)

本を捨てて捨てて、また買って

押入れに積んである本(ほとんどミステリー)をなんとかしたい。できたらお金にしたいと思ったが、アマゾンの中古本を見たらかなりが1円で買えそう。すこしくらいは値段のつきそうなのもあると思うが、点検するのがしんどい。もう捨てるしかないなと物を捨てるのが好きなわたしは思った。それで部屋の片付けをして本棚を設け、並べたり積んだりできる分を出してそれ以外は捨てる。
女性探偵ものをけっこう集めていたが、出してみるとほとんど忘れている。もう一度読みたいかというのも判断基準にして、どんどんゴミ箱に出していった。まだまだ1/5くらいしかすんでいないけど、ちょっとほっとした。本への愛着があると思ったがそうでもないようだ。身軽になるほうがほっとする。

あんなに好きで出るたびに買って10数冊はあったスペンサーものは4冊になった。すべて持っているのはサラ・パレツキーとドロシー・L・セイヤーズ。ダルグリッシュ警視長もののP・D・ジェイムズ、ダルジール警視もののレジナルド・ヒルが全部揃っている。これは置いとこう。あとは好きな作家の好きな作品を選ぶこと。おっと、ヘニング・マンケルの本も全部あるなあ。アイルランドの尼僧ものも。前途道遠し。

いまいちばん好きなミステリ作家はアイスランドのアーナルデュル・インドリダソン。きれいな装丁の本が3冊ある。さっき最近もう1冊出たのを知って注文したところ。『湖の男』、主人公がアイスランドの首都レイキャヴィク警察のエーレンデュル犯罪捜査官。誠実で確実な捜査官でいまのお気に入り