岡田春生「教育よ、国を滅ぼすな—百草頭上無辺春—」(2)

岡田さんは大正5年(1916)に四国の宇和島市で生まれた。3歳のときに医師の父親が治療中に破傷風菌のついたメスで自身を傷つけてしまい、感染して亡くなった。その半年後に母が当時流行したスペイン風邪に感染して亡くなった。孤児になった5人のこども(岡田さんは末っ子)はそれぞれ親戚の家に預けられて苦労した。
その後、盲目の祖母に引き取られ熱愛されるが、体が弱くて家に引きこもりがちで本ばかり読んでいた。亡父が遺した本は日本文学や探偵小説の古典があって、その読書が長じても歴史探偵小説、サスペンス好きという生涯の趣味となった。
田舎の中学から東京へ出て早稲田大学に進んだ。父が遺したお金は放蕩者の兄が全部使ってしまい苦労して大学を卒業。

結婚して3人のこどもを養うために働き、一生の大半を教員として過ごし60歳で定年退職した。最初は中国の北京日本中学校教諭で、本書では中国の回想に一章ついやされている。戦後帰国してからはほとんどを東京都の教員として過ごした。特に美濃部都政で日教組の強いときに教頭、校長として苦労した話が詳しく書いてある。具体的に自分と教員たちの言葉と行動が記されていて、記憶力にも感心する。わたしは岡田さんと考えは違うけど、日教組の人たちのことを許せない岡田さんの気持ちはよくわかる。教条主義の身勝手な人たちがいたのがわかるから。

忙しい中で禅の修行をされて精神統一が深まったとあり、さまざまな霊的経験をされている。ユングの深層心理学についても書いてあるのだがむずかしい。

退職後、フランスの修道院に入った。気持ちのよい場所なので座禅を組もうと思う。びっしりと決まった労働と祈りの時間があるので、食事の時間と寝る時間を削って最低5時間座ったそうである。

いまは夫婦で有料老人ホームにおり、なにもかもヘルパー等のお世話になり、感謝しながら暮らしている。
【いつ死んでもよい。この平凡極まるボケ老人が……平凡な一生、いや平凡こそは、それこそ最上の生き方ではないか。「無事是れ貴人」と禅家では言う。】

本のサブタイトルについて
【禅語に「百草頭上無辺春」という句がある。宏智正覚(わんし しょうがく)というシナの南宋の頃の坊さんが、春咲く草花の一つ一つが春というものを体現しているというのである。それに気付かないだけであるといった。】