小山仁示さんの思い出

小山仁示さんが5月26日に亡くなられたと昨日(6月2日)姉の家の朝日新聞で知った。専門は日本近現代史で関西大学名誉教授だけど、ずっと大阪大空襲の講演会のほうで知られていた人だ。2006年の講演会のときにしんどそうだったので、それ以来お名前を見ないし気になっていた。実は先日ふと小山さんのことを思い出して検索してほっとしたところだった。虫の知らせというけど、亡くなられた日の前後だったと思う。

大阪大空襲は1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけてだった。わたしの家は西区にあってアメリカ軍の空襲で焼け出され、命からがら親子離ればなれになって逃げた。わたしはいま焼けた家の近くに住んでいるのだが、なにも空襲について学ぼうとかいう気持ちをもたないで戦後50数年を過ごしてきた。それが田辺寄席の会報「寄合酒」に載っていた「田辺に落とされた模擬原爆、戦中戦後の男性と女性」という東住吉区女性学級の記事を読んで行ってみようと思った。講演内容もだが講師が小山仁示さんだったので、お会いしたくなったのだ。

その帰り道で、昔の仲間の話になり、わたしの知っていた夫人は若くして亡くなり再婚したこと、いっしょに遊んだ文学仲間の青年も最近亡くなったと教えてくれ、「昔の仲間で生きてるのはぼくときみだけや」と言われた。「ぼくも元気なつもりやけど、君は元気そうやな」と続けられ、わたしは「出世とかお金のことを考えへんから元気なんですわ」と答えて「変わらんなあ」と笑われたのだった。
それから2006年の講演会にもう一度行ったのが最後だった。そのときは面会者がたくさんいてお話できなかった。
小山仁示さんのご冥福をお祈りします。