叔母夫婦の家(母の実家)へ着いて3日後に噂を聞いて近所に住んでいるK子さんが遊びに来た。ここの国民学校は1学年に1組だから同じクラスになる。母と叔母が仲良くしてねと頼んでくれた。姉にもらった着物を着た人形と着替えの着物を見せると、すぐに着替えさせて遊び出した。「良い着物はどれ?」はすぐに返事ができたが、「いな着物はどれ?」がわからない。「いな」が「否」とわかるまでだいぶかかった。
K子の家はいちばん近くだが道路と畑を隔てたかなり向こうだった。それから2年は否応なく彼女と連れになって過ごすことになった。
わたしは東京で生まれて5歳で大阪に転居したので言葉で苦労した。ようやく関西弁に慣れたのに、今度は関東系の言葉である。もともと無口だったのがよけいに口をきかないようになった。いまそういうと嘘やと笑われそうだが、ほんとに10代のはじめまで無口でとおした。
山梨弁は関東弁をもひとつ田舎弁にした「そうけ」とか「そうずらよ」とか、いまになれば深沢七郎の小説でなじみだけれども、だんだん慣れてきて日常的に使うようになった。
それにしても、山梨県では大阪は異界だった。「この子は扱いにくい」という祖母の口調が思い出される。