コーシン チクチク ノミガサス オナカノマワリヲ センカイチュウナリ
翻訳:甲信 地区 地区 蚤が刺す お腹の周りを 旋回中なり
甲府空襲があったのは1945年(昭和20年)7月だった。甲府には空襲はないといわれていたけれど、その夜に市街地の74%が灰燼と帰し、至るところに死体が転がっていたとか。
後屋敷村にいたわたしは母や叔母たちと家の外に出て空をこがす火の山を見ていた。次兄が叔父さん(母の弟)の家のある甲府から逃げて来られるか心配しながら。すでに一度は空襲があって逃げ出せたことがあり、2度目の空襲なのだった。自転車で荷台に着替えなどをくくりつけて兄は逃げてきた。
この空襲の後にラジオでは警戒警報が発令されたと知らせる放送が度々あった。
「米軍戦闘機が甲信地区を旋回中」の知らせをこのように子供たちは歌にした。蚤は子供たちの生活に密着してたし。