大菩薩峠で弟が迷子になった(わたしの戦争体験記 28)

山梨県へわたしを疎開さすために同行した母は、わたしと弟を連れてもう一人の叔母(三女)の家に挨拶に行った。先日書いた恵林寺へ行く途中で道をそれた村だったと思うが、母としては大いに奮発して自動車を雇い、塩山経由で妹の嫁いでいる村へ行った。乗るときも降りるときも自動車が珍しくて村の子たちが群がって見にきた。

叔母と叔父に挨拶してわたしは行儀よくしていたが、いたずら盛りの弟はじっとしていられず、一人で庭から村の方に出て行った。村の子はびっくりだろう。よそ行きを着た小さな男の子ひとりがふらふら歩いている。集団で弟をつけて歩き、弟は上へ上へと逃げたらしい。かなり高いところまで登って行った。家中が大騒ぎになり、近所の人たちも一緒に探し始めたが、なかなか見つからない。追っていった子供らに聞き出して山の途中で大声で泣いている弟を見つけた。

あの山は大菩薩峠だとそのときおじさんがいったのを信じ込んでいまにいたる。半ズボンの可愛い都会の子だったが、村の子には天狗の子に見えたって。

中里介山の『大菩薩峠』は3冊目くらいまで読んで中断したまま。第1巻だけを何度も読んだ。映画は市川雷蔵のを深夜テレビで見て、その後はビデオを借りて何度も見た。

我が家の事件のことは記憶が薄れていたが、連合赤軍事件の大菩薩峠での騒ぎで思い出した。それ以来、叔父の言葉がウソかホントか突き止めたいと思っているがもう聞けない。肝心の弟ももうこの世にいない。