戦後だいぶ経ってからわたしら母子が納屋を改造して住んでいたように、小川の上流に同じような納屋に住み始めた人がいた。母親とちっちゃな子で、母は子を離さずにいつも抱くか背中におぶっていたのを不思議に思ったのを覚えている。母と叔母さんとの会話で新入り母子は引揚者だとわかった。こどもと離されて連れていかれるのをおそれているのだと、ここにいればもう大丈夫なのにと母はいうけど、こどもを取り上げられる恐怖心がおさまらなかったのだろう。
そういえば春頃に学校の校庭で満蒙開拓団へ参加する人たちの壮行会があった。にぎやかとはいいがたい歌と励ましの言葉が続き、わたしたち児童はなにもわからず日の丸の旗を振って見送ったのだった(ウィキペディアに詳しい説明あり)。
引揚者が帰ってきていると村で噂されてたのこの人だった。
こんにちはをいおうと顔を見ると、髪がごわごわ。バリカンで刈ったのではなくハサミでジョキジョキ切ったみたいなざんばら髪が伸びていてすごく見苦しい。すぐに手ぬぐいを髪の上にのせて覆ったが子供心にも恥ずかしさが伝わった。ソ連兵に強姦されるから髪を切って男の服を着て逃げてきたそうやと母が説明してくれた。最後はいつものセリフ「あんたらはこうやって親がいて毎日ご飯が食べられて幸せや」が出た。