とんとんとんからりと隣組(わたしの戦争体験記 49)

なぜかいまだにときどき口に出てくる隣組の歌「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、まわしてちょうだい回覧板、教えられたり教えたり」
歌詞は多分間違ってないはず。ラジオからしょっちゅう流れていていたのがいまだに口にくっついている。

「コトバンク」の解説を読むと「江戸時代からの五人組は昭和になると都市では消滅したが、日中戦争以後に政府は国民精神総動員運動を企画した。1940年10月大政翼賛会の運動に引き継がれて・・・」と説明されている。
要するに、政府の思惑により外郭団体などが企画して国民生活の隅々まで支配しようということで、大阪新町に移り住んだ我が家も隣組に組織され、回り持ちで組長になって回覧板をまわしていた。

わたしは国民学校4年で疎開したので、その後のことは知らない。1年から4年の一学期が終わるまではずらりとハンコを捺した回覧板をお隣りさんにまわしに行ってた。配給とか灯火管制とか生活にかかわることはすべて上からの指導によって行う。それを軽快な歌を歌いながら運ぶ。

そういえば疎開から帰って住んだ家にも隣組があったが、みんな隣組といいながら自治会と名称が変わっていた。わたしの母親は婦人会の会長をしたりして活発な活動をしていたように思う。有志が集まって頼母子講なんかもやっていた。

姉が結婚して義兄が育ち暮らしてきた家に住むようになった地域には自治会があった。結婚して間もなく会計係に任命されたとかぼやいていた。その地域はいまも自治会が続いていて、とんとんとんからりんと戸を叩いてお隣りへお知らせなどを持っていっている。先日姉の代わりにわたしが持って行くと玄関はベルになっていた。玄関先での立ち話は昔のとおり。