21日に書いた「記憶の夜店」から記憶をたぐっていって「ラヂオ焼」にいたった。記憶の中の夜店は「戸屋町の夜店」だった。阿波座から四ツ橋へんまで連なる長い夜店だったという。父親と兄たちといっしょに夜店をぶらつき「ラヂオ焼」はテントを見るだけで食べさせてもらえなかった。四ツ橋から住まいに帰る道はびっしり民家が建っているが、みんな灯火管制によって灯りは少しももれてなかった。薄暗い街並みを黙々と歩く一家。話す声も抑えたヒソヒソ声でたよりない。それでも兄たちは落語の物真似をして笑わすのだった。
家に帰っても電灯は笠にかけた黒い布におおわれているから、立って本を電灯の下に広げて読むのだった。兄が場所をとってしまうので、わたしは引き下がっていた。「あんたはおてんとさんが出ているときに読みや」と母がいうし。
夏は戸を開け放してすだれやのれんを下げているが、灯りは防げても声がもれるのが難点だった。とにかく子沢山なので、灯りも声も押し殺さねばならない。どちらも漏れると隣組の会長さんから苦情が来る。ひっそりと、ひっそりと暮らしていた。それにうちは子供が7人もいるのにひとりも戦争に行ってないので肩身が狭い。姉たちは女だから免れ、兄たちは2年ほど年齢が低いので免れていた。