大阪大空襲から71年

ツイッターをやってるおかげで日々いろんなツイートを読み世の中の動きについていけてる、と思う。
先日から東京大空襲についてのツイートをたくさん読んだ。それで、ああそうだった、大阪はちょっと後だったな、13日の夜だったと思い出した。毎年思い出しはするのだが、今年は早めだったから、戦災を生き抜いて長生きした両親を思い出したり、まあまあ元気な姉と子ども時代のことを話し合ったりした。

大空襲のときは姉は知り合いのところへ、わたしは母の実家に預けられていたので、二人とも戦災体験はない。二人ともぐずだから足手まといになって全員アウトだったかも。
そういえば下の兄は山梨県の甲府にいて爆撃にあい必死で自転車で逃げたという。てんでんばらばらに生きてたんやなあ。全員生きて敗戦を迎えたが、全員が揃って暮らすようになったのはだいぶ先のことだった。

71年前のこの時間、この辺りはB29に爆撃され人々は逃げ惑っていたんやな。
父は焼夷弾で足を怪我したのでその辺にあったリヤカーに乗せ、母と兄が引っ張って歩いた。東へまっすぐ末吉橋へ出てから北方向に向かい、夜が明けてから十三大橋を渡って、三国大橋を渡って知り合いのいる豊中市に向かった。途中の道の端で持って出た米を炊いて食べたら砂でじゃりじゃりだったとか。