マイケル・コックス『夜の真義を』をようやく読んだ

本書が3月10日に出ると知ったのは1月の末ごろだったかな。編集者がツイッターに熱く書いておられたのを読んで、好みや〜と思い、そうRTしたらフォローしてくださったといういきさつがある。10日になる前に読んだという書き込みがあったので、8日に姉の家に行った帰りクリスタ長堀の本屋に寄ってみたら、あった! でもそのときは「忘れられた花園 上下」を読みおわったところで、感想をあわてて、しかし丹念に2日かけた書いたのだった。
ようやく確定申告をすませ、10日の夜はOKI DUB AINU BANDOの演奏を聴きに行って、翌金曜日はゆっくりと仕事していたら地震があって津波が襲っていた。それに加えて原発事故が起こった。
そしてこの週は会報作り。時々刻々という感じでメールが入りミクシィとブログの書き込みがあって、それへの返信と会報への転載とで慌ただしかった。いらぬ雑事もあって時間と気持ちをとられた。ほんまにようやった1週間だった。前置き長過ぎ。

そんなことで、なかなか「夜の真義を」に取りかかれなくてあせったが、読み出すと現実を忘れて熱中していた。
ディケンズの時代の物語である。作中にディケンズの連載小説が載っている週刊新聞を待っているところがあった。ディケンズに捧げるみたいな気持ちがあるような気がした。ロンドンの霧、ロンドンの倶楽部、ロンドンの売春婦、ロンドンの食べ物、ロンドンの暗黒社会といちいち言いたくなるくらいに、ロンドンが描かれている。
だけど、本書に描かれているのは、現代人の精神の病いではないかしら。最初のシーンで主人公が見知らぬ男性を刺し殺すシーンの不条理は、19世紀に生きている人々を描いているのに〈いま〉(2006年イギリスで刊行)の感覚だ。
権威も良識もある人物から認められ好意をもたれる知性のある青年なのだが、彼の思いはただひとつ、仇を討つことに集中している。大学から放逐されるよう仕組れたところからはじまり、これでもかと押しつぶそうとする相手の禍々しさ。恋する相手さえも奪われるのだが、彼女は奪ったほうの男を愛していて彼をだましていた。
あらゆるものについての細かい描写に心を奪われつつ読んでいき、最後になって現代人の孤独な精神の物語なのだと気づいた。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)