室生犀星『山吹』のふたり

道を歩いていているときにちょっと脇へ寄ってなんとなく空を眺める。青い空に白い雲が浮かんでいたらラッキー。運良く昼の月が見えたら気分がよい。雨雲が見えたり向こうのほうが曇ってきていると、雨になるから帰って洗濯物入れなくてはと気がせく。

夕方には月が見えないかなとぐるっと空を見渡す。天文の知識がまるでないから見えたらラッキーというだけだ。うちのベランダからは西から南方面と上空が見える。お月さんが西にあればいうことないけど、この半月ほど見えたことがない。時間をずらせば見えるだろうが、夕方から深夜にかけては全然見えない。寝坊だから家で明け方見るのは無理である。徹夜で遊んだ帰りに明け方の月を見るのが好きだが、この頃はそれがないので寂しいかぎりである。

月と木星がセットで見えてたときが懐かしい。あれは春か夏のことだったかな。
「月齢カレンダー」を見るのが好きだが、参照しようにも月が西の空に見えないのだからしょうがない。月にまつわる話をあれこれ読むばかり。俳句や和歌を読んで気持ちをうろうろさせる。

思いがたどるところは、室生犀星『山吹』。ふたたび会えた男女は都でいっしょに住むようになるが、おとこが病いの床につきさきが長くない。ふたりは月を眺めている。千年あとでも、ひとは月を見て語るのだろうか、とふたりは語り合う。
『山吹』の男女が語り合ったときから千年経っているかしらないけれど、いま、月を見て同じことを思ってますよとあのふたりに伝えたい。