わたしは昭和16年に国民学校(小学校がこの年から国民学校になった)に入学した。6年生が終わったときに国民学校が廃止されて小学校と呼ばれるようになった。だからわたしは小学校の生徒になったことがない。
国民学校1〜2年生のときは軍国主義教育の始まりの時期だったが、新町の子だし、どっちかというと都会の子供という感じでのんびりしていた。3年生になってから急速にすべてが戦時下的になっていった気がする。
夏休みが終わって宿題の習字や図画を提出すると、全員の作品が壁に張り出される。
習字では、ほとんどが1枚の半紙に「撃ちてし」「止まむ」と2行に書いてあった。意味がわからないわたしは頭をひねったが、先生がこの言葉を教えていたときはぼっーとしていて聞いていなかったのだろう。先生の言葉から推し量って「にくい」と「米英」と2行で書いた。もちろんボツ。でも意味のわからん言葉は書きたくなかった。執念深く70年以上経っても覚えている(笑)。
「撃ちてし止まむ」を検索したら、【出展は古事記の神武東征の中に出てくる歌謡、「みつみつし 久米の子が 頭椎 石椎もち 撃ちてし止まむ 」に起源をもつが、これが大々的にPRされたのが、1943(昭和18)年第38回陸軍記念日である。】とあった。
そうなんだ。だから昭和18年の夏休みに習字の宿題に出たんだ。無視したわたしはよく叱られなかったなあ。