遠足はほとんど史跡(わたしの戦争体験記 15)

西六国民学校では一学年に2〜3回は遠足があった。ただ一回だけは箕面へ行ったと覚えているが、その他は史跡とか神社だった。

よく覚えている一日。湊町から関西線で笠置へ。関西線は山梨県に行く時に名古屋まで利用するから慣れている。いかにも関西らしい車窓からの眺めが好きだった。

笠置駅に着くとすぐに神社に詣でて後醍醐天皇がいかに偉大かという神秘的な講話があって頭を垂れて聞いた。
外に出ると境内に石組みのちょっと神秘的な場所があった。そこがお墓なのか碑だったのかなんにも覚えていないが、どこか惹かれるものがあった。歴史の持つ重みのようなものを感じた。
お弁当は梅干しおにぎりだけだったが、うまかったあ。

後醍醐天皇と関連して楠木正成・正行親子の忠義と孝行についても教育された。遠足で千早赤阪村に行った記憶はあるけど、どんなところだったかすっかり忘れている。
紀元節(2月11日)とか明治節(11月3日)とか重要な日には橿原神宮へいった。境内がすごく広くてよその学校からもたくさん来ていたのを覚えている。

いま書いたところと戦後は無縁である。奈良や京都へはよく行ってるが、仏像や建物への個人的興味で信仰心も崇拝心ももってない。
いま、ちょっと検索したりしていたら、笠置が懐かしくなってきた。そのうち余裕ができたら奈良で泊まってゆっくりと笠置へ行くのもいいなと思った。まあ、思うだけで終わるだろうけど。

後醍醐天皇についてはまるっきり無知なので、ちょっと勉強しようと、網野善彦『異形の王権』(平凡社)を買った。今夜から読む。おもしろそう。