母のきょうだいは女3人の次に男、そのあとに女が2人の6人きょうだいだった。わたしが世話になった母の実家は末っ子の女子が養子を迎えていた。4人目で長男の叔父さんは、百姓はいやだと甲府へ出て商売をしていたようだ。
この叔父さんは羽振りがいいときは気前がいい。国民学校の旗日にミカンを一箱寄付したりする。朝礼の時に先生からミカンを分けてもらって「くみこさんはいい叔父さんがいていいね」とクラスの子がいう。ふふと笑うしかないわたし。実のところ叔父さんはわたしにはミカン一個すらくれたことがなかった。
学校帰りに出会ったとき「くみこ、お前の靴はなんだ、ボール紙じゃないか、今度オレが皮の靴を買ってやるぞ」と愛嬌のある大きな声でいった。わたしはずっとおじさんの姿を見るたびに、靴箱を持っていないかと気にしてたが、何ヶ月後にようやくこの叔父さんのいうことを当てにしてはいけないと悟った。
みんなと同じように国民服を着てもぴしっとしていてとても見栄えがよかった。誰にでも愛想がよくてうまく生きているように見えたが実はどうだったんだろう。